我が儘
* * * * *
彼女を見た瞬間に感じたのは、懐かしさだった。
僕は吸血鬼の純血種で、混血種よりも、人間よりも、ずっと寿命が長い。
多少の個体差はあれど純血種は千年、二千年は余裕で生きる上に、年齢を重ねてもあまり老いることはない。
かく言う僕自身、生まれてから三百年近く生きている。
けれども僕は人間が好きだった。
短い人生の中で精一杯毎日を生きて、年老いて、人生を背負った姿で死んでいく。
そういうところが人間は美しいと思う。
だから人間の友人は昔から多かった。
元々、吸血鬼自体、あまり数が多いわけではない。
寿命が長い分、子が生まれにくいという欠点が吸血鬼にはあり、純血種同士となればそれこそ一夫婦の間に生まれる子供は一人いれば良いほうだ。
それはともかく、僕は人間の友人とばかり関わっていた。
相手は僕の姿を見ればすぐに吸血鬼だと分かる。
地位や権力、見目の良さに釣られて近付いてくる者もいたけれど、そういった者と親しくすることはなかった。
友人の中でも彼は特に覚えている。
やや癖っ毛の、燃えるような赤い髪に、深い森のような濃い緑の瞳をした、気の強い男だった。
僕が彼と出会ったのは、彼が二十代くらいの頃で、よく夜に家を抜け出してこっそり街の酒場に行っていた。
昼間に会うことはなかったが、いつも、同じ店で大体決まった時間に行くと、彼はやって来た。
きっかけは酒場でやっていたゲームだった。
トランプを使った遊びで、酒場にくる男達は酒を飲みながら、その日の酒代をかけてゲームをして過ごしたようだ。
偶然、店に入った僕はそれに参加させてもらったのだ。
「僕はイアン」
「私はエドだ。ゲームは初めてか?」
「うん、お手柔らかに」
結果は惨敗。有り金全部、酒代に消えた。
でも悪い気は全くしなかった。
最初、彼はとても強くて、僕は負けてばかりだった。
でも教えてもらううちに、段々と慣れてきて、彼を負かすことが増えてくると、彼は怒るどころか喜んでいた。
気が強くて、負けん気も強くて、曲がったことが大嫌いで、でもそれらと同じくらい優しくて気持ちの良い男だった。
毎日会っていたわけはない。
だけど会えば必ず一緒に酒を飲む。
そんな、酒飲み仲間だった。
夜しか会わなかったが、彼が伯爵家の息子だということは他の者からこっそり教えてもらった。
貴族の令息がこんな街の酒場にいるなんてと思ったけれど、僕も似たようなものだったので、指摘しなかったし、他の人達も僕についてあれこれ言うことはなかった。
酒場にいる男達はみんな、気の良い者ばかりだった。
吸血鬼の僕に対して普通に接してくる。
それが僕には楽しくて、心地好かった。
そうして一年、二年と時を重ねた。
彼は妻を娶り、父親から爵位を譲り受け、夜に見かける回数は減った。貴族の社交が忙しかったのだろう。
しかし時々ふらっと現れては共に酒を飲み、騒ぎ、遊んで、そして帰っていった。
しばらくして、彼はまた酒場へ通うようになった。
「息子に爵位を譲った」
これでまたここで自由に騒げる、と喜んでいた。
けれども数年経つと彼のくる回数がまた減った。
訊くと、彼は困ったような顔をした。
「いや、息子夫婦と孫がちょっと気にかかってな」
そう言葉を濁しながらも彼は話した。
どうやら息子夫婦の間に双子の娘が生まれたのだが、片方が病弱で、両親がそちらに付きっきりになり、もう片方の子供が若干放置気味になっているらしい。
彼が注意して、息子夫婦はすぐにもう片方の子供にも気を回すようになったが、彼は納得していないようだ。
息子夫婦がその子を放置してしまうことがあるため、彼は、その子を心配してそばにいるのだとか。
「その孫がまた、私に似て、綺麗な赤い髪に濃い緑の目をしていてな、笑うと本当に可愛くてなあ。あれは将来美人になる」
「孫馬鹿だねえ」
そう言えば、彼が笑った。
「そうかもしれん。なあ、イアン」
彼が僕をまっすぐに見た。
「お前、うちの孫を娶る気はないか?」
「はあ!?」
突然の言葉に僕は持っていたトランプを落としてしまい、その間に彼が勝ってしまった。
「ちょっと、そういう冗談は酷くない?」
しかし彼は笑ったまま言った。
「冗談じゃないんだがな」
それ以上、彼は孫について言ってくることはなかった。
ただ孫のことを話す回数は増えた。
彼は孫を「私の可愛いアデル」と呼んでいた。
とても愛おしそうに、大事そうに、そう呼んでいた。
彼があんまり孫の話をするものだから、彼の孫の名前を覚えてしまった。
その後、そろそろ結婚したらどうかと兄にせっつかれ、それが嫌になって、しばらく国を出て周辺国を旅して回っていた。
ほんの数年、ふらっと旅に出るつもりだった。
でも、その間に彼は亡くなってしまった。
実は、僕が旅に出る少し前くらいから病を患っていたらしく、彼はそれを友人にも、家族にも隠していたそうだ。
そのことを知ったのは、国に帰ってきてからだった。
彼の友人であり、昔からの飲み仲間の一人にそれを教えてもらった時には、彼が亡くなってから八年経っていた。
……また、彼と話したかった。
僕にとって彼は大切な友人で、周辺国を巡って帰ってきた暁には彼と酒を酌み交わしながら土産話をしようと思っていたのに。
彼はもう会えないところへ逝ってしまった。
せめて帰国の挨拶と、友人のくせに病を隠していたことと、先に逝ってしまった文句を言いたかった。
もし病について教えてくれていたら、僕はきっと旅に出ることもなかっただろう。
彼と過ごす時間をもっと増やし、大事にしただろう。
だけど、同時に分かってしまった。
彼が本当に負けん気が強くて、そして意固地な部分があったから、友人にも家族にも、弱っていることを知られたくなかったのだ。
彼の好きだった赤いバラの花束を持って、教会へ向かった。
彼の眠る墓がある、さほど大きくはない教会だ。
周りを木々に囲まれて、静かで、どこか物悲しい気持ちになる。
夕焼けで全てがオレンジ色に染められている世界の中、彼女がそこにいた。
一つの墓の前に座り込み、やや俯いた横顔は虚ろな、けれど服装からしてどこかの貴族の御令嬢だと気付いた。
「……お祖父様、今、いきます」
そんな呟きが聞こえた。
高過ぎない、落ち着いた声だった。
その御令嬢が微笑んだ。
諦めたように、傷付いたように、安堵するように。
虚ろな表情で微笑み、目を閉じた。
オレンジの世界でも判別出来るほど鮮やかな赤い髪には見覚えがあった。彼とよく似た燃える炎みたいな綺麗な色。
吸血鬼の、僕の瞳より明るく温かみのある赤。
御令嬢が手に握ったものを首へ突き立てようとする。
それがナイフだと気付いた時には、その細い手首を掴んでいた。
驚いた様子で見開かれた瞳は濃い緑色だ。
気の強そうな顔立ちに、意志の強そうな瞳、可愛いというよりかは美人というほうが似合う、凛とした年頃の娘。
足元の墓を見て、ああ、と理解した。
……この子が、彼の可愛いアデル。
彼がどうして赤いバラを好んでいたのか。
きっと、この孫に似合う花がそれだったからだろう。
「どうせ死ぬなら、その人生、僕にくれない?」
彼女の笑顔を見てみたいと思った。
彼が言っていた『明るい笑顔』を浮かべた彼女は、確かに、きっと大輪のバラが咲き誇るように美しいのだろう。
彼の言葉通りになるのは少し微妙な気持ちではあるものの、彼はとても、僕のことを理解していたらしい。
彼女を見た瞬間、心惹かれてしまった。
「僕、君に一目惚れしちゃったみたい」
……僕と同じ色に染めたい。
吸血鬼は傲慢で、強欲なのだ。
* * * * *
「兄上、結婚したい人がいるんだけど」
彼女、アデルから了承を得て、すぐに兄の部屋を訪ねた。
同じ屋敷に住んでいる兄はこの国の四大公爵家の一つ、ナイトレイ公爵家の現当主である。
僕と同じ純血種の吸血鬼なので、銀髪に紅い瞳をしている。兄の妻である義姉さんも純血種だが、今はその話は置いておくとしよう。
兄は突然そう言い出した僕に驚いた顔をした。
「お前は結婚を嫌がっていなかったか?」
訊き返されて僕は首を振った。
「別に結婚は嫌じゃないよ。ただ、好きでもない相手と結婚するのが嫌だってだけで」
「なるほど。それで、好きな相手を見つけたと?」
「うん、好きというより『欲しい相手』かもしれない」
吸血鬼だから、人間の友人達が先に死んでしまうのは仕方がないと納得している。
それでも、欲しいと思ってしまった。
僕自身もどうしてそこまで欲しいと感じているのか分からないが、彼女の諦めたような笑みを見た時、僕の心臓が高鳴った。
……明るい笑顔を見たい。彼女に触れてみたい。
「彼女が年老いて死んじゃうのはちょっと嫌なんだ。僕のそばで彼女に笑顔でいてほしい。それに、彼女が僕と同じ色を纏うことを許してくれたら、きっと、凄く綺麗だ」
僕の言葉に兄が苦笑した。
「お前は先祖返りで始祖の血が濃く出ているとは思っていたが、どうやら性まで吸血鬼そのものらしい」
「どういうこと?」
「私達の始祖、原初の吸血鬼は元は孤独であった。だが一人の人間の娘を愛し、その娘を能力で同族に転化させて完全な吸血鬼とし、その間に生まれた子孫が今の私達だ」
「そういえば、そんな歴史習ったね」
吸血鬼の歴史なんてどうでもいい。
元々勉強にあまり興味がなかったし、兄が公爵の地位を継ぐことが確定していたので僕は自由気ままに過ごしていた。
「始祖は生涯、その娘と添い遂げた」
ちなみに、その始祖と娘は、始祖が生まれた場所に大きな霊廟を建てて、そこで永い眠りについている。
死んでいるわけではないらしい。
始祖達は永遠の命に飽きて眠っているだけだ。
いずれ、目覚める時がくるだろう。
子孫である僕達が国を治めているのは、始祖の代わりでしかなく、始祖が目覚めた際には国を、大陸を、始祖へ返上する。
……僕はそういうの、全く興味がないんだけどね。
「それで、結婚したい相手というのはどこの誰だ?」
兄に訊かれて答える。
「アデル=ウェルチ。ウェルチ伯爵家の長女だよ」
「ウェルチ? ……お前が以前、話していた友人も同じ家名ではなかったか?」
「よく覚えてるね。僕が欲しいのは、その友人の孫だよ」
兄が、ふむ、と考える仕草をする。
色々と思考を巡らせているようだ。
「そのウェルチ伯爵家の御令嬢の年齢は? 年頃の娘ならば、既に婚約者がいるか、他家と婚約の話が持ち上がっているのではないか?」
「あ〜、その心配はないよ。僕が欲しい子、アデルはね、今日、婚約破棄されたんだって」
「……は?」
普段は無表情で感情を滅多に表に出さない兄が、ありえない、という顔をした。
婚約とは家同士の契約であり、一度結んだ婚約を破棄することなど、普通はありえない。家の信用問題に関わるのだ。
たとえ婚約している本人同士に気持ちがなかったとしても、険悪な関係だったとしても、政略結婚とは家のためのもの。
「一応訊くが、破棄の理由は何だ?」
よほどのことがなければ婚約が破棄されることはない。
「婚約者が、アデルじゃなくて、その双子の妹に惚れて孕ませたんだって」
「……ウェルチ伯爵家はそれを許したというのか?」
「むしろ喜んでアデルの婚約を破棄して、婚約者と妹の婚約を再度結んだらしいよ」
はあ、と兄が額に手を当てて溜め息をこぼす。
常識的に考えたら、その婚約者と双子の妹に問題があり、アデルは被害者で、責められる立場ではないはずなのに。
あの歪な家ではアデルは悪者のように扱われていた。
「可哀想なアデルは家族の誰からも愛情をもらえなくて、悪者にされて、ひとりぼっちで苦しんでる」
死のうとするくらい絶望して、諦めてしまっている。
「僕はね、兄上。少しだけ後悔してるんだ」
彼が「孫を娶らないか」と訊いた時、もし頷いていたら。
僕が彼女ともっと早くに出会っていたら。
アデルの未来は今と違い、幸福に満ちていたのではないだろうか。
「もっと早くに彼女を助けられる機会を、僕は見逃した」
彼は孫の未来を想像出来ていたのかもしれない。
そして、僕に、助けを求めていたのかもしれない。
僕は馬鹿だから気付けなかった。
「婚約の打診を行うのは構わないが、その前にアデル=ウェルチの身辺調査をする」
「三日後にはアデルを迎えに行くって約束してるから、それまでに終わらせてね。婚約したらアデルは伯爵家から連れ出すつもり」
「まさか同じ屋根の下で暮らす気か?」
「そうだよ。非常識な伯爵家にアデルを置いていたら、あの子、何度でも死のうとしちゃうからね」
兄がまた溜め息を吐いた。
「保護という名目でなら、言い訳は立つが……」
「種族が違うから、婚約したら花嫁修行のために引き取るって言えば問題ないでしょ」
あの伯爵家にいてはアデルの心労が溜まるばかりだ。
それに、同じ屋敷で暮らせば彼女と一緒にいられる時間も長くなるし、もっと彼女を知ることが出来る。
今感じている気持ちはもしかしたら、彼女への愛情ではなくて、罪悪感だという可能性もある。
そうだったとしても僕は彼女を欲しいと思った。
「僕はアデルがいい」
彼の孫である彼女に生きてほしい。
それは僕の我が儘だ。
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