結婚への準備
フィー様と結婚すると決心してからは忙しかった。
でも、それは嫌な忙しさではなくて、毎日疲れるけれど、幸せへ一歩一歩向かっているような感覚が不思議な充足感を与えてくれる。
わたしが忙しいように、フィー様も結婚式のあれこれで忙しいだろうに、毎日、きちんと二人の時間を取ってくれるし、いまだに毎朝、赤いバラを渡してくれる。
「アデル、本当にいいの?」
そばで見ていたフィー様に訊かれる。
「ええ、いいわ」
わたしの返事に、髪結師の女性が頷き、そしてシャキンとわたしの髪にハサミが入れられた。
シャキ、ショキ、と髪の切られる音がする。
そして、はらりとわたしの肩口で赤が揺れた。
結婚したら、わたしは吸血鬼へ転化する予定だ。
そうしたら、この赤い髪とは永遠に別れることとなる。
吸血鬼へ転化すると、銀髪に紅い瞳になるそうで、わたしはその前に髪を切ることにした。
気持ちを切り替えるのも目的だけれど、前に話した通り、フィー様はわたしの赤い髪が好きなので、これは残して鬘にしてもらうつもりだ。
瞳の色は戻せないが、鬘を被れば髪色は戻る。
髪結師が切った毛先を整えてくれる。
「やっぱり、短い髪も似合うね」
そばで見ていたフィー様が言う。
「そう? 変じゃないかしら?」
「変じゃない。可愛いよ」
肩口で切り揃えられているが、元から少し癖のある髪なので、ふんわりと波打っている。
髪結師が前髪の一部を三つ編みにして、額を斜めに通るようにすると、なんだかいつもより自分が幼く見えた。
フィー様がニコニコ顔でこちらを見つめる。
「せっかくだから画家を呼んで描いてもらおうよ」
と、言うくらいだから、短い髪型も気に入ったらしい。
「フィー様と一緒ならいいわ」
「僕も?」
「だってわたしだけだと寂しいもの」
「分かった。二人で並んだ絵を描いてもらおう」
フィー様が手を振るとメイドの一人が静かに一礼して下がっていった。
恐らく、数日後には画家が来るだろう。
髪結師が仕事を終えたことを告げる。
鏡を見れば、短い髪のわたしが見つめてくる。
「ありがとう。髪は鬘にしておいてくれる?」
「かしこまりました」
そうして、髪結師は後片付けを始める。
わたしが立ち上がるとフィー様が近付いてくる。
短くなった毛先をフィー様が触った。
「ふふ、アデルの髪ってふわふわだよね」
感触を楽しむように撫でられる。
「フィー様みたいにまっすぐで艶やかな髪だったらと思うことがあるわ」
「そうなの? 僕はアデルのこの少し癖のある髪、好きだよ。ふわふわで、華やかで、触り心地が好いよね。僕の髪は量が多いから結構邪魔なんだ」
「切らないの?」
髪の短いフィー様もきっと格好良いだろう。
「うん、短いとちょっと子供っぽく見えるから」
フィー様は少し恥ずかしそうにそう言った。
それはそれで見てみたい気もするが。
「それにしてもあっさり切っちゃったね。あんまり思い入れとかないの?」
「ないわね。放っておいても伸びるものだもの」
「アデルってそういうとこはサッパリしてるね」
どうせ、しばらくすればまた伸びるのだ。
多分、結婚式の前にもう一度、整えるために切るだろう。
むしろ頭が軽くなって清々した気分である。
「元々、好きで伸ばしていたわけではなかったから」
フィー様の手が止まる。
「じゃあ何で伸ばしてたの?」
「……昔はティナと何でもお揃いだったのよ。ドレスも、髪型も、色は違っても同じデザインで同じ髪型で。そうすれば平等だと両親は思っていたようだけど、わたしはそれが嫌だった。だから髪を伸ばしたけれど、ティナはすぐにわたしの真似をしたわ」
それどころか、わたしの着ていたドレスや髪飾りを欲しがった。
子供の頃はそれほど体格に差がなかったのもあって、わたしのドレスをティナが着ることもあった。
……あの子はわたしのものがとにかく欲しかったのね。
他人の持つものの方が良く見えたのかもしれない。
たとえそれが同じものだったとしても、ティナからしたら、わたしの持つもののほうが良く見えたのだと思う。
「でも髪型は違ったよね?」
フィー様が首を傾げた。
それに苦笑が漏れる。
「ティナとわたしは顔立ちが違うもの。わたしに似合う髪型が、ティナに似合うとは限らないわ」
「なるほどね」
昔のティナはわたしの真似ばかりしたけれど、段々と成長していく中で自分に合うものが分かってきたようだった。
……そういえば、ティナの好きなものって何だったかしら?
あの子はいつも色々な人から沢山贈り物をもらっていたけれど、いつだって「ありがとう」と言うけれど「嬉しい」と言っているところは見たことがなかった。
淡い明るい色のドレスも、リボンやフリルの多い装いも、あの子に似合っていたけれど、ティナ自身が好きだったのかどうかは分からない。
わたしは淡い色が好きだったが、顔立ち的に淡い色は似合わなくて、子供の頃から濃い色を着ることが多い。
……あの子はわたしのものを欲しがったけれど……。
もしかしてティナは濃い色が好きだったのだろうか。
今となってはもう訊くことも出来ない。
ティナとフィアロン侯爵令息は、吸血鬼の掟を破った重罪人として両家から除籍された上で王家に身柄を引き渡されたらしい。
その後、罰を受けることになったそうだが詳細は知らない。
ただ、フィー様は「もうアデルと顔を合わせることないよ」とだけ言っていた。
わたしもあの二人と顔を合わせたいとは思わないし、もう関係のない人達なので、それ以上訊くことはしなかった。
それよりも今は結婚の準備で忙しい。
メイドの一人がそっと声をかけてくる。
「服飾店の者が到着いたしました」
それにフィー様が頷いた。
「今日はドレスのデザイン選びと採寸だっけ?」
「ええ、そうよ。太らないよう気を付けないとね」
「僕も気を付けないとなあ」
フィー様のエスコートで部屋を出て、応接室へ向かう。
わたしのドレスを今日は選ぶ予定だ。
ちなみにフィー様の結婚式の装いだが「アデルのドレスに合う格好なら何でもいいよ」だそうだ。
そもそもフィー様はあまりセンスが良くない。
いつも着ている服はフィー様の侍従が用意していて、フィー様が自分で選んだものは大抵、侍従に却下されるらしい。
……何と言うか、華やか好きなのよね。
それが柄物と柄物を合わせて着たり、逆に変な色合い同士で合わせたりするので、確かにどことなく野暮ったく見えるのだ。
フィー様が見目が良いので野暮ったい衣装でも、それなりに良く見えるのだけれど、それで誤魔化せることばかりではない。
応接室に着き、フィー様が扉を叩き、開ける。
中には公爵家御用達の服飾店のデザイナーとお針子達がいて、いくつかトルソーが置かれており、そのトルソーは白いドレスを着せられていた。
挨拶を交わし、ソファーへ腰掛ける。
「本日はドレスのデザインをお決めになられるとのことでしたので、既製品の中でも華やかなものを選んで持ってまいりました」
デザイナーが手でトルソーを示す。
一つは肩や腕が出て、細身の、最近の流行りとは少し違っているが、足に沿った形の上品な白いドレス。
一つはパフスリーブがほどよくある、首周りの出た、結婚用のドレスでは流行りの後ろ裾が長くてスカート部分が膨らんでいる白いドレス。
一つは手首から肩口まできっちり詰まった、チューリップを逆さまにしたような形のスカートの可愛らしい白いドレス。
……わたしに合うのは一番最初のドレスかしら?
流行りではないけれど、スラッとした感じが綺麗に見えるだろう。
「近くで見ても?」
「ええ、どうぞ」
フィー様が立ち上がって三つのドレスを眺める。
その間に、わたしは採寸を行うことにした。
隣室の小部屋でメイドに手伝ってもらい、一度ドレスを脱ぎ、お針子達がわたしの腕の長さや肩幅、腰、胸部など全身あちらこちらを測る。
……伯爵家にいた時より少し太ったかしら?
ドレスを着せてもらい、元の部屋に戻っても、フィー様はまだ三つのドレスを眺めていた。
「フィー様、ドレスはいかがですか?」
声をかけるとフィー様が振り返る。
「アデルが髪を切る前だったらこっちが似合うかなって思ったけど、今のアデルはこっちのほうが良さそうな気がする」
最初にこっちと示されたのは、スカートが足に沿った上品なドレスだったが、次に示されたのは手首から首元まで詰まったドレスのほうだった。
「それに、あんまり肌を出してもらいたくないなあ。他の男がアデルの肌を見るって考えたら面白くない」
「そうなのね」
三つ目のドレスに近寄る。
いくつかレースを重ねてチューリップを逆さまにしたような形のスカートのドレスは可愛らしいけれど綺麗だ。
首や腕全体がレースで覆われていて露出は少ない。
試着も出来ると言うことだったので、その一つ目と三つ目を試着させてもらうことにした。
まずは一つ目のドレスを隣室で着せてもらう。
意外なことにコルセットはないそうで、着心地が好いが、しかし体の形がよく出てしまって少し気恥ずかしい。
フィー様へ見せたら即座に首を振られた。
「確かに凄く似合ってるけど、扇情的すぎるよ! ダメ、絶対ダメ!! 他の男達がアデルに鼻の下伸ばしちゃうから!!」
と、言うことでなしになった。
でも、ダメ、と言いながらもフィー様はしっかりこちらを見ていた。顔は赤かったけれど。
次に三つ目のドレスを試着した。
そちらはきちんとコルセットを締めて、ペチコートなども穿いて、あまり体の形は出ない。肌の露出はほぼない。
着替えて応接室へ戻ると、フィー様が近付いてくる。
「うん、こっちのほうが可愛い」
まだ調整していないのでドレスはやや大きいけれど、鏡で見ると思いの外わたしに似合っていた。
短く切った髪で少し幼く見えるので、多少可愛らしい形のドレスでも違和感がない。
……フィー様の反応も良さそうね。
遠目に見ると露出は少ないが、よく見れば、レースから肌が透けているので見た感じ、あまり重さも感じない。
「これにするわ」
「かしこまりました」
そうして隣室で元のドレスに着替えて応接室へ戻る。
ここから更にフリルやコサージュなどをつけたり、わたしの体に合わせて調整したりして、式までに間に合わせるようだ。
何度か調整と確認のために来るそうで、まだまだ忙しい日は続くだろう。
フィー様の衣装についてはあっさりしたもので、同じ白系統の服でデザインを決めただけだった。
「男の装いなんて、それほど変わらないからね」
フィー様にとって、結婚式の主役はわたしなのだとか。
それから、デザイナーといくつか話をして衣装のことが決まると、わたし達は応接室を後にした。
この後にも、まだ色々とやるべきことがあるのだが、とりあえず休憩を挟むことにした。
部屋に戻るとフィー様がソファーへどっかり座る。
そして、ふあ、と欠伸をこぼした。
「フィー様、もしかして寝不足?」
「ん? うん、まあ、最近忙しいからね」
わたしもソファーへ座り、自分の膝を叩く。
「少し休んだほうがいいわ。膝枕してあげるから」
フィー様が目を丸くしてわたしと、わたしの膝を見た。
「え、いいの?」
「ええ、どうぞ」
もう一度叩いて見せると、いそいそとフィー様はソファーの上で横になり、わたしの足の上にそっと頭を置いた。
紅い瞳が嬉しそうにキラキラ輝いている。
……少し休んでもらいたかったのだけれど。
むしろ、目が冴えてしまっているようだ。
いつもとは逆に、わたしがフィー様の頭を撫でる。
「アデルに撫でてもらうの好きだなあ」
「普段はフィー様がわたしの頭を撫でているものね」
「うん、でも、アデルはよく蝙蝠の頭を撫でてるよね? あれは感覚も共有してるから、僕も撫でてもらってるようなものだよ」
……わたし、結構な頻度で蝙蝠を撫でていた気がするわ。
可愛いから、つい、頭や体、首元などを撫でていたし、そうするとすり寄ってきて喜ぶからしていたけれど、フィー様と感覚を共有しているなら今後は控えたほうがいいだろうか。
「アデルは優しく触れてくれるよね」
フィー様が嬉しそうに笑っている。
……嫌じゃなさそうだし、いいのかしら。
フィー様の手がわたしの手を掴み、頬擦りする。
その仕草が蝙蝠と似ていて『ああ、本当に感覚を共有しているんだな』と納得した。
「早くアデルと結婚したいなあ」
フィー様の言葉に笑みが漏れた。
「もうすぐでしょう?」
「そうだけど、僕は今すぐにでもアデルと結婚したい」
「婚姻届は出してあるものね」
ちなみに婚姻届は結婚式の日に受理される予定だ。
「恋人でいられるのはあと少しだけだもの。その期間を楽しみましょう、フィー様」
あと一月半もしたら、わたし達は結婚する。
それまで、恋人兼婚約者という関係を楽しめばいい。
「アデルがそう言うなら」
わたしの手にすり寄り、フィー様が目を閉じる。
本当に寝不足だったようで、少しすると静かな寝息が聞こえてきて、わたしはそっとフィー様の頭を撫でた。
「……フィー様に出会えて良かったわ」
膝の上に感じる重みが愛おしかった。