さよならを告げる(2)
でも、それを向けられても気持ち悪いだけだった。
「公爵家では良くしていただいておりますので」
「そうか。……その、前より綺麗になったな」
「愛してくれる方がそばにいますから。……御用がないのでしたら話しかけないでいただけますか? わたしはもう、あなた方を家族とは思っていません。以前も申し上げましたが他人として接してください」
……話しているだけで苛立ってくるわ。
チラと見上げたフィー様も冷たい目で兄を見ている。
兄、いや、ウェルチ伯爵令息もそれに気付いてたじろいだ。美形の無表情というのはかなり威圧感がある。
「……ウェルチ伯爵家からティナを除籍する」
それにはさすがに驚いた。
伯爵夫妻を見ても黙っている。
つまり、ウェルチ伯爵夫妻も伯爵令息も同意した上で、ティナをウェルチ伯爵家から放逐するということか。
……この人達はティナを愛していたのではないの?
「父上と母上も同意している。現時点でティナはもう伯爵令嬢ではない。我が家の令嬢はアデル、お前だけだ」
「何故、ティナを除籍したのですか?」
「お前は何も知らないのか?」
ウェルチ伯爵令息の視線がフィー様に向く。
フィー様を見上げれば、額に口付けられた。
「デニス・フィアロンとティナ・ウェルチは吸血鬼の掟を破った。吸血鬼が頂点のこの貴族社会で掟を破れば、当然、罰せられる」
「フィアロン侯爵令息は混血種だからともかく、ティナも罪に問われるのね」
「吸血鬼を誘惑して血を差し出すよう唆した悪女さ。また同じことをする人間が出ないよう、見せしめの意味で重罪人として扱われるだろうね」
ティナとフィアロン侯爵令息については、あれ以降あまり考えていなかったが、吸血鬼にとっては大ごとだったようだ。
……でも、分かっていてフィー様は教えたのよね?
やはり優しいだけの人ではないのだろう。
「元は、あなたがティナに血のことを教えたせいでもあるのですが……」
ウェルチ伯爵令息の声は小さかった。
あの、わたしへ向けていた怒声のような口調ではない。
「混血種とはいえ吸血鬼の妻になるなら、掟については知る必要があるから教えただけだよ。それを実行するかどうかは本人達の責任だと思うけど?」
フィー様にサラッと言い返されてウェルチ伯爵令息が押し黙る。
伯爵夫妻も黙っており、なんだか、彼らが酷く小さな存在のように見えた。
伯爵家にいた時はもっと大きくて、どうしたって倒せない、反撃してもどうしようもない壁のように感じていた。
実際はそのようなことはなかったのだ。
「たとえティナが除籍されたとしても、わたしはウェルチ伯爵家には戻りませんし、このまま、フィー様と結婚します」
「っ、私達を捨てるのか……?」
つい、額に手を当ててしまう。
「あなた方がわたしを捨てたと、前に言いましたよね? だからわたしもウェルチ伯爵家を捨てます」
「血の繋がった家族じゃないか……!」
「その家族に長年冷たく当たったのはどなたでしょうね」
ウェルチ伯爵令息が俯く。
少なからず自覚はあるらしい。
そもそも、夜会の、人が大勢いる場所でこんな話をするべきではないのだ。
そんなことも分からないくらい追い詰められているのだろうか。
……それもそうかもしれないわね。
吸血鬼の掟を破り、家から重罪人を出したとなれば、ウェルチ伯爵家の名も傷付く上に社交界でも爪弾きにされる。
恐らくフィアロン侯爵家もそうなるのだろう。
「アデル! この親不孝者め!!」
ようやく口を開いたウェルチ伯爵の第一声に呆れた。
「孝行したいと思えるほどの親は、わたしにはおりません」
「まあ、なんてことを言うのっ? ここまで育ててあげたのは誰だと思っているのかしら!」
「お金を出していただいたことについては感謝していますが、家族として接してはくださらなかったではありませんか。あの家で愛情をくれたのはお祖父様だけでした」
「それは、病弱なティナのことで私達は手一杯だったから……!」
苛立ちが募る。
確かに騙していたティナは悪い。
わたしを悪役に仕立てたティナは悪い。
だが、きちんと事実を調べなかった両親や兄は?
わたしが違うと言った時、この人達は信じるどころか話すら聞いてくれなかった。
ティナが泣いたら信じたのに、わたしのことは信じない。
……ああ、そうだわ。
その頃から、わたしはこの人達に抗うのを諦めた。
言っても聞いてもらえない。信じてもらえない。
余計に悪だと言われるだけだった。
「言い訳なんてどうでもいいです。結婚したら、あなた方とは関係を断つつもりですし、助ける気もありません」
「そもそも、アデルに関して伯爵家は一切口出しをしないって条件を呑んだのはそっちでしょ? 今更『血の繋がった家族』って立場を使って助けてもらおうなんて虫が良すぎるんじゃない?」
不快感が込み上げてくる。
「ティナのことすら、愛してはいなかったのね」
だからと言ってティナに同情はしない。
ウェルチ伯爵令息の肩が小さく揺れた。
多分、どこかでそれに気付いたのだろう。
「伯爵家がどうなってもいいのか!?」
「ええ、構いませんわ。生まれた家というだけで、家族ではありません。わたしにはフィー様や公爵家の皆様という新しい家族が出来ます」
「アデル、嬉しいよ」
ギュッと抱き寄せられ、その手に自分の手を重ねる。
「少々騒がしいが、何事だ」
聞こえた声に振り向けば陛下と王妃様がいらした。
フィー様と共に礼を執る。
ウェルチ伯爵夫妻や伯爵令息も同様に礼を執った。
「伯爵家が今更になってアデルにすり寄ってきたんですよ。アデルが拒絶しているのに話を聞きもしなくて」
「まあ、アデル、大丈夫?」
フィー様の言葉に王妃様がお声をかけてくださった。
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
それに周囲が少しざわついた。
王妃様が親しげにわたしへ声をかけたから驚いたのだろう。
だがフィー様は両陛下のお子なのだから、わたしが婚約者の両親と知り合いだったとしても不思議はない。
「ウェルチ伯爵か。丁度良い」
陛下の表情が冷たいものへと変わる。
横にいらっしゃる王妃様は扇子で顔を隠した。
「ウェルチ伯爵、そなたの娘ティナ・ウェルチは吸血鬼の掟を破り、混血種の血を飲んだ。そして、フィアロン侯爵家のデニス・フィアロンもまた、ティナ・ウェルチに唆されて血を与えた。どちらも重罪である」
「っ、お、恐れながら申し上げます。ティナは吸血鬼の掟を知りませんでした! それに、今は伯爵家から除籍処分しており、伯爵家の者ではございません! 王家への引き渡しも済んでおります」
「デニス・フィアロンが掟についてティナ・ウェルチに話した上で、それを破らせたことは調べがついている。……確かに引き渡しは完了したようだが、アデル嬢とイアンの婚約の際にナイトレイ公爵家と結んだ条約は守っていないようだな?」
……引き渡しとは何かしら?
「引き渡しって?」
フィー様にこっそり訊いてみる。
「さっき少し話した通り掟破りは重罪だから、王家が直々に裁いて罰を与えるんだよ。多分、良くて鉱山送り、悪ければティナ・ウェルチもデニス・フィアロンも処刑かな」
「そうなのね……」
「反省していれば鉱山送りで済むと思うけどね」
だからティナは伯爵家から除籍処分されたのだ。
罪人を出した家と他の貴族達から忌避されてしまうから、ティナを除籍することで膿を捨て、同時に伯爵家は罪人に対して適切な対応をしたと印象付けるために。
……あの家を出られて良かったわ。
もし残っていたら最悪わたしのほうが修道院へ入れられて、除籍されていたかもしれない。
「アデル嬢に関する一切に口を出さない約束だと聞いたが」
「はい、その通りです、陛下」
陛下の問いかけに、こちらに来たナイトレイ公爵が頷く。
「ですが、アデルは私達の娘です!」
「そうであったとしても公爵家との条約を無視する理由にはなるまい。家同士の契約ですら自分勝手に破るのがウェルチ伯爵家のやり方と受け取ることも出来る」
ウェルチ伯爵は返す言葉がなかったようだ。
「アデル嬢」
陛下に呼ばれて視線がわたしに集中する。
「そなたは、伯爵家との関係をどうしようと考えている?」
それは恐らく、わたしのための問いかけだった。
いくら言っても聞かない伯爵家だが、王族や大勢の貴族の前での言葉まで無視することは出来ないだろう。
一瞬目を伏せるとフィー様と繋がった手に少しだけ力が込められ、大丈夫だと言ってくれているようだった。
「わたしは今後一切、ウェルチ伯爵家と関わりを持つ気はありません。金銭面で育ててくれたことには感謝しています。しかし、あなた方はわたしを子として愛してくれることがなかった。わたしも、もう、あなた方を親とは思えません」
まっすぐに顔を上げる。
「ですから、わたしのことは忘れてください。初めからいなかった者として、他人として、今後は互いに関わることなく離れて暮らしましょう」
陛下が一つ頷いた。
「家族だから互いに助け合えるわけではない。時には互いに傷付かないために、あえて離れるという道もある」
「そうね、家族には心の繋がりもなくてはいけないわ。血の繋がりだけでは家族とは言えないもの」
「アデル嬢自身もこう言っている。公爵家との婚約の条件をきちんと守るべきだ。そうだろう、ウェルチ伯爵?」
王妃様も頷き、そしてお二方がウェルチ伯爵夫妻を見る。
視線を向けられた伯爵夫妻は顔色を悪くしながらも、お二方の言葉に頷くしかなかっただろう。
「は、はい、おっしゃる通りでございます……」
それにわたしはホッとした。
もう二度と伯爵夫妻は、公の場でわたしに話しかけることは出来ないだろう。
わたしが拒絶し、公爵家との婚約の条件を多くの人々が知っているので、人目のある場所で下手にわたしへ声をかけようとすれば約束を破ったことになる。
ずっと肩に重く圧しかかっていたものが消えた気がした。
まだ心に燻る色々な感情は消えないけれど、その重みがなくなっただけでも十分だった。
「さあ、少し騒がしくしてしまったが、夜は長い。皆、今宵もこの夜会を楽しむと良い」
手を叩いた陛下の言葉で空気が穏やかなものに変わる。
いつの間にか止まっていた楽団の演奏が流れ出し、人々の談笑やダンスがまた再開される。
ウェルチ伯爵夫妻と令息は居心地が悪そうに退出していった。
伯爵夫妻は早々にわたしへ見切りをつけたようだが、兄だけは最後までわたしのことを気にする素振りを見せた。
出ていく直前、目が合った。
わたしは小さな声で告げる。
「さようなら」
声は聞こえなくても、口の動きで分かったらしい。
兄は視線を落とすと気落ちした様子で、先に退出したウェルチ伯爵夫妻の後を追って出て行った。
優しくフィー様に抱き締められる。
「僕達も少し休憩しよう?」
「……ええ、そうね、少し疲れたわ」
「こっちにおいで」
促されて、ウェルチ伯爵夫妻達が出て行ったのとは別の扉から廊下へ出れば、王城の使用人がおり、空いている部屋へ案内してくれた。
そして、いくつかある休憩室の一つへ入る。
「お疲れ様、アデル。よく頑張ったね」
一緒にソファーへ座ると頭を撫でられた。
「手が冷え切ってる」
言われて、そこでやっと手が冷たいことに気が付いた。
フィー様に寄りかかれば、わたしを温めるように抱き締められる。
手を伸ばし、フィー様の頬に触れる。
見上げるとフィー様と目が合った。
指でフィー様の唇を辿れば、意味に気付いてくれたのか、フィー様の顔が近付いてくる。
目を閉じる。柔らかな感触が唇に重なった。
「……もっと甘えてもいいんだよ」
至近距離でフィー様が囁く。
「……もう一度、して」
「うん」
また唇が重なる。
二度、三度と戯れるように口付けを繰り返す。
「……早くアデルと結婚したいな」
甘えるようにフィー様が呟く。
「わたしも、そう思っているわ」
「じゃあ、帰ったら兄上に伝えておくね。出来るだけ早く婚姻届を出して、式を挙げて、夫婦になろう。頑張れば三ヶ月くらいで式は挙げられると思う」
「ドレスや装飾品は既製品でもいいわ」
「それならもっと早く出来るかもね」
ふふ、とフィー様が嬉しそうに目を細めた。
「式を挙げた後、アデルを吸血鬼にするね」
「前ではないのね」
「転化させるには色々あるから」
転化の方法については式の後に教えてくれるそうだ。
ただ「痛くはないらしいよ」ということだった。
「吸血したらなれるのではないの?」
「あー、人間の間ではそういう風に言われているみたいだね。でも人間の体を変化させるんだから、さすがに血を吸ったぐらいじゃあ吸血鬼には出来ないよ」
「それもそうね」
けれど、それ以上はフィー様は教えてくれなかった。
吸血鬼に転化する方法は特別なものなので、簡単には教えられないのだそうだ。
なるほど、と納得したし、無理に訊くつもりもない。
「痛くないならいいわ。フィー様に全部、任せる」
何故か、フィー様の顔が少し赤くなる。
「……うん、絶対、優しくするから」
その言葉がどういう意味なのか。
それを知ることになるのは二ヶ月後のことだった。