お友達とわたしの気持ち
ナイトレイ公爵家のお茶会から一週間後。
わたしはフィー様と共にナイトハルツ公爵家に来ていた。
馬車から降りてまず思ったのが、華やか、だった。
ナイトレイ公爵家も美しい屋敷であったが、ナイトハルツ公爵家の屋敷は彫刻などが多く、よりいっそう華やかな建物である。
思わず見惚れていると、出迎えてくれたフランが言った。
「お母様もわたくしも華やかなものが好きなのよ」
なるほど、と思う。
同時にナイトハルツ公爵はきっと、ナイトレイ公爵様と同様に奥様のことを大事にしているのだろうと感じた。
「改めて、今日は来てくれてありがとう、アデル」
「わたしのほうこそ招待してくれてありがとう、フラン」
言葉を崩せば、フランが嬉しそうに微笑んだ。
「フランセット、僕のことは無視かい?」
横にいたフィー様の言葉に、フランがツンと顔を背ける。
「わたくしが招待したのはアデルよ。イアンお兄様は女の子のお茶会についてくる困ったさんだわ」
「否定はしないけど。でも、今日は用事があるから、僕はアデルを送っただけだよ」
「あら、そうなの?」
フランが嬉しそうな表情でこちらを向く。
それにフィー様が苦笑した。
「昔は『イアンお兄様、イアンお兄様〜』って慕ってくれたのになあ」
「だってアデルはお友達ですもの。イアンお兄様は長生きだからいつでも会えるけれど、アデルは人間だから、わたくし達吸血鬼とは時間が違うわ。会える時に会わないと」
「まあ、そうだけどさ」
フィー様とフランの会話に内心でハッとする。
……吸血鬼と人間とでは寿命が違う。
それは当たり前のことなのに、こうして吸血鬼の二人が話すまで、わたしはそのことを忘れていた。
今はさほど寿命について感じなくても、五年、十年と経てば嫌でも実感するだろう。
わたしのほうが先に老いて死んでしまう。
そう思うと、胸の辺りが苦しくなる。
……わたしが死んだら、フィー様はどうするのかしら。
そのうち別の誰かと一緒になるのだろうか。
それは、とても嫌だ、と思った。
ぽん、と肩に手が置かれる。
「それじゃあアデル、僕はちょっと出掛けてくるから、フランセットと楽しんでおいで。馬車は置いていこうか?」
「我が家の馬車で送るから問題なくってよ。アデルもそれでよろしいかしら?」
フィー様とフランに見つめられ、慌てて頷いた。
「え、ええ、それで構わないわ」
「また後でね、アデル」
ちゅ、とフィー様はわたしの頬に口付けると、ナイトレイ公爵家の馬車に乗り込んで元来た道を戻っていった。
それを見送り、顔を戻せば、フランと目が合う。
「お茶の用意をしてあるの。さあ、行きましょう?」
フランに手を取られてナイトハルツ公爵家の屋敷の中へ案内される。
控えていた使用人達が一斉に頭を下げた。
恐らく、この使用人達も混血種なのだろう。
そうして手を引かれるまま、玄関ホールを抜けて廊下を進み、右へ左へ行った後、フランが扉を開けた。
その先にあったのは広々とした温室であった。
暖かな日差しが照らす室内は明るく、瑞々しい緑がそこかしこにあるものの、フランの目指す場所には可愛らしい白の丸テーブルと二脚の可愛らしいデザインの椅子が置かれている。
テーブルのそばでフランが立ち止まり、わたしを椅子の一つに座らせる。
そして残りのもう一つにフランが腰掛けた。
「こうしてアデルが来てくれて嬉しいわ」
どこからともなく侍女らしき使用人が近付いてきて、紅茶を二人分用意すると静かに下がっていく。
「わたしも、招待してもらえて嬉しいわ。昔は母の社交についてお茶会などに参加していたけれど、こうして個人的に誰かの家に招待してもらえたのは初めてよ」
「もしかして、わたくしはアデルの初めてのお友達?」
訊き返されて、苦笑が漏れた。
「そうね、この歳で友人が一人もいないなんて恥ずかしいことでしょうけれど……」
「そんなことないわ。妹がアデルの悪い噂を流したせいよ。でも、わたくし、少し嬉しいの。だってアデルの一番のお友達ってことでしょう?」
「ええ、フランはわたしの最初で、一番のお友達ね」
嬉しそうなフランにふと訊き返す。
「でも、フランは友人が多いでしょう?」
「社交という意味での繋がりはそれなりにあるわ。ただ、その人達をお友達とは言えないわね。お互い、自分や家の利益を考えて共にいることが多いから」
「公爵令嬢も大変なのね」
昔、まだ友人と呼べる相手がいた頃、わたしはあまり友達との間に利益を感じてはいなかった気がする。
一緒に話したい、遊びたい、共にいるだけで楽しい。
そんな、純粋な気持ちだった。
だけどティナが現れてからはそれも崩れ去った。
先に親しく付き合っていたわたしよりもティナを信じた友人達には失望したし、それ以降、友人をつくる気にもなれなかった。
どうせ、わたしが友人をつくればティナに奪われる。
「そういう人達はそれでいいのよ。わたくしも、向こうも、分かっていてそうしているわ。だけどアデルは別よ? 家のことは関係なく、お友達になりたいと思ったの」
「ありがとう、フラン」
「感謝されるようなことではないわ」
ツンと顔を背け、扇子で隠してしまったけれど、それが照れ隠しであることは簡単に分かった。
紅い瞳が嬉しそうに細められていたから。
「イレーナ、アデルに軽食を取り分けてあげて」
先ほど紅茶を用意してくれた侍女が頷き、動く。
「苦手なものはございますか?」
「いいえ、ないわ」
侍女がケーキスタンドからサンドイッチを皿へ取り分け、わたしとフランの分をそれぞれ用意した。
「ありがとう」とお礼を言うとニコリと微笑み返される。
皿の上には一口サイズのサンドイッチが四つほど並んでいる。どれも色鮮やかで見ているだけでも綺麗だが、外見から、美味しいのだろうということも分かった。
サンドイッチに手をつける前に紅茶を一口飲む。
「美味しい……」
甘酸っぱいベリー系の香りが鼻を抜ける。
爽やかで、さっぱりとした味の中に少し渋みがあり、一口含むとベリーの甘酸っぱくて瑞々しい香りが広がった。
「まるでベリーをそのまま頬張っているようね」
「わたくし、この紅茶が好きよ。アデルはどうかしら?」
「ええ、わたしもとても好きな味だわ」
カップに口をつけるまでは濃厚なベリーの香りがするけれど、口に含めば、その香りは柔らかくなる。
「華やかで、瑞々しくて、香りも強くて、でも口に含むと優しい香りになるのがまるでフランみたいね」
「あら、それは褒めてくれているのかしら?」
「もちろん。素敵な紅茶を用意してくれてありがとう、フラン。ベリーの香りに凄く癒されるわ」
「……帰りに持たせてあげる」
扇子を閉じて、顔を戻したフランは機嫌が良さそうだ。
勧められてサンドイッチに手をつけた。
一口サイズの大きさに切ってあり、食べると、肉の甘みと野菜のシャキッとした食感、それを包む柔らかなパンも美味しい。
……さすが公爵家。
ナイトレイ公爵家の食事を初めて食べた時も感動したが、ナイトハルツ公爵家の料理人も相当腕が良い。
思わず、しみじみ味わってしまう。
「ところで、イアンお兄様との仲が少し進展したみたいね」
フランの言葉にドキリと心臓が跳ねた。
「えっ?」
「イアンお兄様がアデルを見る目、前よりもずっと『好き』って気持ちが出ているもの。それにアデルもイアンお兄様に向ける目がとても輝いているわ」
「そう、かしら……?」
フィー様の愛情は感じているし、熱い視線も何となく気付いていたけれど、そんなにわたし自身も分かりやすかっただろうか。
頬に手を当てれば、フランが微笑む。
「イアンお兄様も変わったわ。前はもっと子供っぽくて、恋愛話なんて全然興味がなくて、女性の影もなかったの。そういうことよりも、友達同士でお酒を飲みながら騒いで遊ぶほうがずっと楽しいって言っていたわ」
「それは……、ちょっと、想像出来るわね」
フィー様は整った美しい男性の容姿をしているけれど、話してみると、結構子供っぽいところがある。
わたしにべったりだし、公爵家で仕事をしている様子もみたことがないし、出掛け先にはいつも遊び目的だ。
部屋にいる時もチェスやトランプを楽しんでいる。
「しかも昔のイアンお兄様ときたら、ヴァレールと走り回って遊んでいるような人だったのよ。とても大人の男性とは思えなかったわ。……まあ、吸血鬼は長命だからこそ精神の成長も人間より緩やからしいのだけれど」
「そういえばフィー様の年齢を訊いたことはなかったわ」
「イアンお兄様は人間で言えば二十代前半かしらね。実年齢についてはわたくしも知らないけれど、恐らく三百は超えているわよ」
わたしとフィー様は、人間的な外見年齢で見れば釣り合いは取れているだろうが、実年齢ではわたしはフィー様から見たら子供なのだろうか。
……でも、子供だと思われていたら口付けなんて、しない……わよね?
そっと唇に触れる。
口付けを許してから、フィー様は毎日のように口付けをしたがったし、わたしも幸せな気持ちになるので構わなかった。
ただし、それ以上のことはしていない。
「だけど、今のイアンお兄様はフラフラしていたのが一本に定まった感じがするわ。元々、興味のあることには集中する性質だもの、アデルという愛すべき人を見つけて、今まで適当に過ごしていたイアンお兄様の気持ちが落ち着いたのね」
……わたしはこれからどうしたいのだろう。
死にたい、消えたいという気持ちはまだ完全になくなったわけではないけれど、フィー様と一緒に生きていきたいという気持ちもある。
けれども同時に怖いと思ってしまう。
それが何に対しての恐怖なのか自分でも分からない。
「アデルと一緒にいるイアンお兄様のほうが、前よりもずっといいわ」
フランの言葉にわたしは微笑んだ。
「きっと、わたしもそうよ。前のわたしだったなら、多分、フランとは友人になれなかったと思う。フィー様に出会って、わたしも変わったわ」
「お互いに良い影響を与え合える関係って素敵ね」
「……わたしはもらってばかりよ」
ふぅん、とフランがテーブルに頬杖をつく。
「アデルはそれが嫌なのね」
その言葉にハッとする。
視線を上げればフランがわたしを見ていた。
「そう……。そうね、気になってしまうわ。わたしは与えてもらうばかりで、フィー様に何も出来ていないもの」
フィー様からもらってばかりで、わたしはフィー様に何も返せるものがない。
それが、心のどこかで引っかかっていたのだ。
フランが目を瞬かせた。
「あら、アデルは意外と自己肯定感が低いのね。もらったものを全部同じだけ返す必要はないと思うわ。それでも、返してないことが気になるなら、気持ちで表せばいいのよ。アデルが笑顔で『ありがとう』って言えばイアンお兄様はそれだけで喜ぶわ。イアンお兄様、単純だもの」
「……フランはフィー様に厳しいわね」
「親戚のお兄様としては好きだけれど、子供っぽいし、少し性格が捻くれているから、歳上だけど歳下な感じもするのよ」
大人っぽく背伸びをしているフランからしたら、大人なのに子供っぽいフィー様に色々思うところがあるのかもしれない。
「ねえ、アデル。アデルは吸血鬼は嫌い?」
唐突に訊かれて、わたしは驚いた。
「いいえ、好きよ。少なくとも、今まで会った吸血鬼の皆様はとても優しくて良い方々ばかりだったわ」
「元婚約者は混血種だったでしょう?」
「だからと言って混血種全てを憎んだりはしないわ。悪いのは妹と元婚約者よ」
フランはホッとしたような顔をする。
「……わたくしやイアンお兄様が『吸血鬼に転化して』とお願いしたら、同族になってくれる?」
その答えに窮した。
どう答えるべきか考え、そして、正直に伝えることにした。
「フラン、わたしは怖いの。家族からも婚約者からも裏切られて『死にたい』という気持ちが大きくて、今は『生きたい』気持ちもあるけれど、長い時を生きる勇気がないわ」
フランは嘘で偽った言葉を好まないだろうから。
それはきっとフィー様もそうなのだと思う。
「だからどうするか迷っているの」
「……なりたくない、ではなくて?」
訊き返されて、そういえば、と気が付いた。
「吸血鬼になること自体は嫌ではないわ」
「良かった。それなら、沢山悩めばいいのよ。種族が変わるんだもの、数年迷っても当然だと思うわ」
「そうかしら?」
「そうよ。わたしだって人間になれると言われて、大切な人に『人間になってくれ』って言われたら凄く悩むもの。イアンお兄様だって、無理強いはしてこないんでしょう?」
それに頷き返す。
フィー様は一度でもわたしに『吸血鬼になってくれ』とは言わなかった。
そういうところが安心出来て、でも、同じくらい寂しくて。
……寂しい? わたしは、それが寂しいの?
「もしかしたら『吸血鬼になってくれ』って、言われたいのかもしれないわね。……わたしが必要だと、欲しいと、そう強く願ってほしいのかも」
「イアンお兄様がそう願ったら、アデルは頷くの?」
「……分からないわ」
しかし、もうわたしはフィー様の手の中に落ちている。
もし強く請われたら断る自信がない。
「ただ、わたしが死んだ後にフィー様が他の女性と付き合ったり結婚したりするのは、とても嫌よ」
フランがおかしそうに笑い出した。
「アデル、それは答えと同じことよ」
「同じ?」
「イアンお兄様が他の女性と一緒にいるのが嫌なら、そうならないように、ずっとアデルがそばにいればいいじゃない」
まっすぐな言葉がストンと胸の内に収まった。
……わたしがずっと、そばに……。
「生きるのが嫌になったら、その時にどうするか考えればいいのよ。アデルは考えすぎだわ。イアンお兄様みたいにもう少し、自由に生きてみるの」
……もっと自分勝手に生きてもいいのだろうか。
「わたくしはアデルに吸血鬼になってほしいわ。……きっと、イアンお兄様もそう思ってるはずよ」
もしもそうだとしたら、わたしは……。
それからナイトレイ公爵家に帰るまで、わたしの頭の中はずっと『これから』のことでいっぱいだった。