お茶会にて(2)
扇子を広げて「恐ろしいわ」とご令嬢の一人が言う。
しかし怖がっているというよりかは、わたしを嘲っているというほうが近いだろう。
「しかも婚約を破棄されて、婚約者が妹と婚約し直すなんて。どんなことをしたら捨てられるのでしょうか? 家同士の婚約など、そう簡単には破棄出来ませんのに」
公爵夫人は微笑んだまま、フランはスッと目を細めた。
……あ、お二人が怒ってくださっている。
それに気付くと心が温かくなる。
これまで、どれほどわたしを悪く言う者がいても、噂があっても、社交界で助けてくれる人はいなかった。
でも、今は怒ってくれる人がいる。
それだけで十分、勇気をもらえた。
しっかりと顔を上げてご令嬢を見る。
「申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」
「なっ……!?」
わたしを嘲っていた顔が赤く染まる。
恐らく、自分のことをわたしが知っていると思った上での発言だったのだろうが、わたしは彼女のことを知らない。
「初対面の相手の正しいかどうかも分からない噂を持ち出したり、婚約破棄についてわざわざ掘り下げてくるなんて、あまりに失礼で驚きました。どちらの家の方なのかしら? 今後の付き合いを考えなくてはいけませんわ」
ギリッと扇子を握るご令嬢の手に力がこもる。
睨みつけられても全く怖くない。
「私こそ、あなたと関わるつもりはありませんわ!」
「そのわりにはあなたから話しかけてこられましたが……。あら、もしかしてわたし、嫌がらせを受けているのかしら? 今度は『ウェルチ伯爵令嬢を虐めるご令嬢』の噂が広まるかもしれませんわね」
「なんですって! 私は虐めてなどいませんわ! ただ、あなたのことを心配して、身分相応の立場というもの思い出させてさしあげようとしただけで……っ」
「身分相応の立場とは何のことでしょう?」
初対面の相手にそんなことをされる覚えはない。
第一、こんな無礼な振る舞いをしておいて、嘲っておいて、わたしのためだなんて一体どんな思考をしているのだろうか。
「それは、だから、悪い噂のある伯爵令嬢に過ぎないあなたが公爵家のナイトレイ様と婚約するなんて、分不相応だと……」
「それこそ余計なお世話ですわ。公爵家も伯爵家も同意して結ばれた婚約に、何か問題があると?」
公爵家が認めた婚約者に、異議があると声高には言えないはずだ。
それは公爵家の決定に文句をつけるようなものだ。
しかも全く関係のない家の者が横槍を入れれば、当然、どちらの家からも煙たがられるだろう。
「あら、お二人の婚約に問題なんてありませんわ。アデル、こちらの方は覚えなくて結構ですわ。こんな礼を欠くような方、付き合っていたら同類だと思われてしまいますもの」
「そうね、どうやら私達はお邪魔のようだし、このテーブルのご挨拶は控えましょう」
と、フランと公爵夫人が言う。
それに、テーブルにいた他のご令嬢達の顔色が悪くなる。
ナイトレイ公爵家の夫人とナイトハルツ公爵家のご令嬢に嫌われたら、社交界ではほぼ、立場を失う。
四大公爵家のうちの二大から背を向けられてしまえば、社交界で立ち回ることは出来ないだろう。
ご令嬢達が慌てて制止の声をかけてきたが、公爵夫人とフランがわたしの左右からそっと腕を掴むと次のテーブルへ移動する。
そして、次のテーブルで挨拶を済ませた後に、公爵夫人が言った。
「最近の若い方はすぐに噂を信じてしまって困るわね。アデル様の噂はその『病弱な双子の妹』が『健康な姉に嫉妬して』流したものですの。アデル様はご家族から長い間、冷たく扱われて、その状況を知ったイアンが助け出したのよ」
「そうですわ。それに、もしアデルが性格の悪い人だったなら、イアンお兄様はそんなことも見抜けないような人物ということになってしまいますもの。そんな話をしたらナイトレイ公爵もきっとお怒りになられますわ」
「しかも、その『双子の妹が姉の婚約者を寝取る』なんて、とても貴族のご令嬢とは思えないわ。本当に病弱なのかしら?」
公爵夫人とフランの言葉に、そのテーブルだけでなく、他のテーブルの方々も「まあ」と驚きの声が上がって互いに顔を見合わせている。
「私もティナ様が泣いていらしたから、そうなのだろうと思っておりましたけれど……」
「そういえば、最近ティナ様をお見かけしませんわね」
「なんでも、体調を崩してしまって外出も出来ないのだとか……」
「もしかして妊娠で体調を崩していらっしゃるのかしら」
ジッと視線がわたしへ集まる。
「申し訳ありません。元より、家族とはあまり仲が良くなかったものですから、妹がどうしているかわたしは存じ上げません」
「伯爵家にいてはアデル様が心安らかに過ごせないと思い、婚約後はアデル様をナイトレイ公爵家に招いているのよ。イアンは大喜びだし、屋敷の雰囲気も明るくなって嬉しいわ」
「公爵家の皆様は温かく迎えてくださり、わたしも毎日夢のような日々を過ごさせていただいております」
ここまであからさまにナイトレイ公爵家がわたしの味方だと言っている状況では、もうわたしへ攻撃しようなどと思う者はいないらしい。
先ほどのテーブルは、まるで葬儀に出席しているかのように静かで、周囲のテーブルの人々もそのテーブルから視線を逸らしている。
関わって、自分に飛び火したくないのだろう。
それからは特に何もなくお茶会は過ぎていった。
わたしを攻撃しようとしたご令嬢は、ずっと、震えて俯いていた。
そこにあるのが怒りなのか羞恥なのかは分からないが、お茶会が終わると、謝罪もせず、逃げるようにその令嬢は帰っていった。
公爵夫人とフランは何も言わなかったけれど、退出の挨拶もそこそこに帰ってしまったのはまずいのではと思ったものの、わたしがそれを心配する必要はない。
「ウェルチ伯爵令嬢……」
恐る恐る声をかけてきたのは、わたしを攻撃しようとしたご令嬢と同じテーブルにいた別のご令嬢達であった。
「あの時、すぐに彼女を止めず、申し訳ありませんでした」
「それにお茶会の空気を悪くしてしまいました」
「同じテーブルに着く、私達が注意すべきでした」
頭を下げられ、気にしていませんよ、と微笑んだ。
「あれはあの方が悪いのであって、あなた方がわたしへ謝罪をする必要はございません。でも、お気持ちは受け取ります。こちらこそ、ご挨拶もせず、失礼いたしました」
わたしが怒らなかったことに、彼女達はホッとした様子であった。
少し離れていたが、公爵夫人とフランの視線を感じるので、きっと、彼女達もそのことには気付いているだろう。
こうしてわたしに謝罪して和解したという建前が欲しいのだ。
「ただ、今日はもうお茶会も終わりですから、ご挨拶はまた次の機会に改めてということでよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
「そうですね」
「またお会い出来る日を楽しみにしております」
ご令嬢達はもう一度、恐らく謝罪の意味を込めて浅くお辞儀をして、それから公爵夫人に帰りのご挨拶をしに向かった。
彼女達が離れると、すぐにフランが近付いてくる。
「嫌な方々ね。許して良かったの?」
ツンとした態度のフランにわたしは苦笑した。
あのご令嬢達は、多分、わたしとわたしを攻撃しようとしたご令嬢、両方がお茶会で喧嘩を繰り広げれば面白いくらいの気持ちだったのだろう。
止めもせず、黙って見ていたのは、もしかしたら彼女達もあのご令嬢と同じ考えを少なからず持っていたからかもしれない。
どちらにせよ、わたしのことを下に見ていたのだ。
今回も、謝れば許してくれるだろうという気持ちが少しだが、透けて見えた。
「ええ、どうせ、次の機会なんてありませんから」
彼女達のほうから、もう一度近付いて挨拶をしようとしてくるならともかく、わたしのほうから挨拶に行くつもりはない。
それに、フィー様は社交に関して、わたしの好きにすればいいと言ってくれている。
公爵夫人があの時、挨拶をしなくても良いと判断したということは今後もわたしがわざわざ関わる必要はないのだろう。
彼女達との縁はこの先もきっとない。
フランが、あら、と愉快そうに笑った。
「そういうことね」
わたしの考えをフランも分かったらしい。
二人で微笑み合っていると、足元の影から霧が出て、小さな黒い蝙蝠が現れる。
『アデル、お茶会は終わった?』
そわそわした様子の蝙蝠が肩に乗る。
「ええ、ほとんどのお客様はお帰りになられたみたい」
『じゃあ迎えに行くね』
柔らかな声に頷き返す。
「フィー様がくるまで待ってるわ」
蝙蝠がすり、とわたしの頬に体を擦りつけてから、霧となって影へ戻る。
それを見ていたフランが少し呆れた表情をした。
「イアンお兄様ってば、これではわたくしがアデルと過ごす時間がなくなってしまうじゃない」
「よろしければ、今度、ナイトハルツ公爵家に遊びに行かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「アデルなら大歓迎よ。今度、招待するわ」
約束ね、と言われて頷いていると、足音がした。
振り向けば、公爵邸の外階段を駆け下りたフィー様がこちらへ向かってくるところであった。
「アデル!!」
駆け寄ってきたフィー様に勢いよく抱き締められる。
走ってきたのか、フィー様は少し息が乱れており、体温もいつもより高いのが感じられた。
その背中にそっと腕を回す。
「お待たせしました、フィー様」
「うん、すっごく待ったし、我慢したよ!」
横からフランの声がする。
「アデル、そろそろわたくしも帰るわ」
「はい、気を付けてお帰りください、フラン」
「次に会う時は丁寧な言葉遣いはいらないわ。わたくし達、お友達だもの。それじゃあ、またね」
正面から抱き締められていてフランは見えなかったけれど、そう言ったフランの声は少し照れた様子だった。
足音が遠ざかるとフィー様が体を離す。
「アデル、部屋に戻ろう? ここだとゆっくり話せない」
手を繋ぎ、引かれ、歩き出す。
公爵夫人がこちらに気付いて小さく手を振ったので、わたしも小さく頭を下げておいた。
公爵邸の中へ戻り、わたしの部屋へ向かう。
歩調はわたしに合わせてあるけれど、どこか、フィー様の足取りは急いでいる風でもあった。
部屋に着き、中へ入る。
ソファーに座ると横からまたギュッと抱き締められた。
「ねえ、アデル、お願い。もう一回言って?」
何を、と訊かなくても分かった。
「愛してるわ、フィー様」
わたしを抱き締める腕に手を添える。
「これからも、ずっと、わたしのそばにいて」
「うん。……うん、ずっと、アデルのそばにいる」
その言葉が嬉しかった。
少しだけフィー様に寄りかかる。
「僕の可愛いアデル。……本当に嬉しい」
囁くような声は少し掠れている。
「でも、一番最初は僕に向かって言ってほしかったなあ」
「ごめんなさい、その、気持ちを自覚したのはあの時だったから……」
「そっか、バルセ侯爵令嬢には感謝しないとね」
そこで、ふと思い出した。
「バルセ侯爵令嬢と婚約の話が出たことがあるそうね」
「ああ、うん、あれね」
少し嫌そうな声に顔を上げれば、思ったよりも近くにフィー様の顔があってドキリとする。
しかしフィー様はそれに気付いていないようだった。
「僕、その婚約の話が嫌で、しばらく他国に旅行って名目で逃げちゃってさ。アデルと会ったのは帰って来てすぐだったんだよ」
「それ、バルセ侯爵令嬢は知ってるの?」
「多分ね。向こうに想い人がいるって理由で婚約の話が流れたのを知って、さすがに悪いことしたなあとは思った」
婚約の話が出た途端に他国に逃げられるなんて、バルセ侯爵令嬢としてもいい気分はしなかっただろう。
たとえ婚約する気がなかったとしても、そういう話が広まれば、貴族の間で面白おかしく噂されてしまう。
「ちゃんと謝罪に行ったよ。チクチク言われたけど」
「それは仕方ないわね」
謝罪程度で話が済んだなら、バルセ侯爵令嬢は心が広い。
そんなことを考えていると頬に柔らかな感触が触れた。
「愛してるよ、僕の可愛いアデル」
その言葉が嬉しくて、同時に酷く懐かしくて。
またそう言ってくれる人がいることが幸せで。
……ああ、そうだったわ。
お祖父様と過ごした時にも感じていた、温かくて、優しくて、安心出来る心地好さ。
もう何年も忘れていたけれど、幸せというのは、こういう気持ちなのだ。
「改めてだけど、アデル、僕と結婚してくれる?」
ウェルチ伯爵家に迎えに来てくれた時にも、跪いて結婚の申し出をしてくれた。
でも、あの時と今とではわたしの気持ちは違う。
「わたしで良ければ」
「違うでしょ、アデル」
ジッと見つめられて、理解した。
……卑下した言い方は良くないわね。
「わたしも、フィー様と結婚したい」
フィー様が笑った。
「ありがとう、アデル!」
お日様みたいに明るい、嬉しそうな笑顔だった。
気付けばわたしも笑みが浮かんでいた。
この人となら、この先の人生はきっと明るく生きていける。
「あ、バラを用意しておけば良かった〜!!」
しまった、という顔をするフィー様に笑ってしまう。
「今日から、結婚するまで毎日贈るからね!」
そうして、宣言通り、結婚式まで毎日一本ずつ、色の違うリボンが結ばれた赤いバラを持ったフィー様が、わたしの部屋を訪れるようになるのだった。