お茶会にて(1)
数日後、ついにお茶会の日となった。
夫人はずっと忙しそうではあったが、フランセット様の話をすると、とても喜んだ。
「あの子もいてくれるなら安心だわ」
ちなみに後で知ったのだが、公爵夫人とフランセット様は伯母と姪の関係らしい。
吸血鬼は長生きなので血縁関係が少しややこしい。
それはともかく、フランセット様は公爵夫人の生家の者でもあるので、お茶会に参加するそうだ。
朝から身支度を整えて、濃い緑色のドレスを着る。
どのドレスを着ようか考えた時、フィー様が選んでくれたのだ。
「濃い緑のドレスがいいよ。アデルの赤い髪と緑でバラみたいに見えるから」
吸血鬼の方達は皆、わたしをバラにたとえる。
最初はフィー様が言い出したのかもしれないが。
しかし、訊いてみると吸血鬼はバラが好きらしい。
なんでも、原初の吸血鬼が妻に結婚を申し込む際に渡されたのが赤いバラだそうで、華やかで吸血鬼の紅い瞳に似た色のこの花が好まれるそうだ。
「だから吸血鬼にとって赤いバラは『幸運』とか『幸福』って意味もある、一番好まれる花なんだ。アデルは僕にとっての特別な赤いバラだよ」
そう言われると、赤い髪も緑の瞳も悪くないと思えるのだから、わたしは実は単純なのかもしれない。
フィー様の選んだ濃い緑のドレスは意外と似合っていて、巻いて少し癖をつけたわたしの赤い髪と相まって、確かにバラと言えなくもない。
ルビーの装飾品を合わせると華やかになる。
「僕は参加出来ないけど、もし嫌なことがあったら僕を呼んでね。影に蝙蝠がいるから僕の名前を呼べばすぐに攫ってあげる」
「ありがとう。でも、頑張ってみるわ」
フィー様のその言葉だけで心強い。
「わたしはフィー様の婚約者だもの。ちょっとのことで逃げていたら、笑われてしまうわ」
「……」
「フィー様?」
押し黙ったフィー様がわたしを抱き締めた。
「本当につらくなったら呼んでね」
それにわたしは頷いた。
「ええ、その時はお願いするわ」
* * * * *
午後になり、お客様が訪れる時間になる。
わたしは紹介もあるから最後にという話で、待っていたのだが、フィー様がずっと横にいた。
部屋を出るまで一緒にいてくれるのかと思っていたら、何故かフィー様にエスコートされてお茶会の会場へ向かっている。
「あの、フィー様?」
「お茶会には参加しないよ。でも、アデルを送っていくのはいいよね? そのほうがみんなにも僕の婚約者だって分かるし」
「なるほどね」
フィー様なりに考えてくれていたようだ。
エスコートしてもらいつつ外へ出る。
屋敷の庭園前の広場のような場所が、今日の会場である。
フィー様にエスコートされているからか、会場に入ると、周囲が少しざわつくのを感じた。
……ここで俯いてはダメよ。
しっかり前を見て、堂々と歩く。
「義姉上」
フィー様の声に公爵夫人が振り返った。
「あら、イアン、アデル様を送ってくれたのね」
「うん、ちょっとでも長く一緒にいたいから」
「ふふふ、そうね、あなた達はいつも一緒だものね」
フィー様がわたしの手を取り、手袋越しに指に口付けられる。
「それじゃあ、また後でね、アデル」
「ええ、また後で、フィー様」
そうしてフィー様は会場を出て行った。
わたしに視線が集まっているのが分かる。
他より少し高い場所にいるから、余計に視線を集めやすいのだろう。
公爵夫人のそばに寄ると、夫人が笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい、アデル様」
「お招きくださり、ありがとうございます、ソフィア様」
「フランセットも来ているわ」
公爵夫人が手招くと、フランセット様がくる。
「ご機嫌よう、アデル様」
「ご機嫌よう、フランセット様」
本日のフランセット様のドレスは真っ赤だった。
でも、とても似合っている。
「さあ、皆様にも紹介しないと」
夫人が振り返り、会場にいるご令嬢やご夫人に顔を向けた。
わたしもそれに倣って振り返った。
……さすがナイトレイ公爵家。
親戚や傘下の貴族がかなりあるのだろう。
ご令嬢やご夫人の数が多い。
「先ほどのやり取りを見ていた方もいらっしゃるでしょうけれど、こちらのアデル・ウェルチ伯爵令嬢は私の義理の弟イアンの婚約者ですわ」
公爵夫人の紹介に合わせてカーテシーを行う。
この一週間の間に礼儀作法を学び直したので、今までよりも更に綺麗に行えるようになったはずだ。
微かに感嘆の溜め息が聞こえてきて、少し嬉しかった。
「さあ、今日は仲を深めるためのもの。皆様、ごゆっくり楽しんでくださいな。アデル様も一緒にお茶をしましょう」
いくつも丸テーブルが並べられており、そのうちの一つに促されて着席する。
その席には公爵夫人とわたし、フランセット様、そしてもう一人、ご令嬢が座っていた。
「こちらはバルセ侯爵家のティエニー・バルセ侯爵令嬢よ」
「ティエニー・バルセと申します」
「先ほどご紹介いただきました、アデル・ウェルチでございます」
ご令嬢は銀白色の髪に、ピンクに近い赤色の瞳で、とても可愛らしい外見をしている。恐らく十五、六歳くらいか。
侯爵夫人が教えてくれたが、ナイトレイ公爵家の分家で、前ナイトレイ公爵と人間の妻の間に生まれた息子が婿入りしたのだそうだ。
ちなみにティエニー・バルセ侯爵令嬢はその息子の娘で、混血種である。
「遅くなりましたが、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ほんわかとした雰囲気のご令嬢だ。
「ナイトレイ様が婚約してくださって本当に良かったわ」
チラ、とバルセ侯爵令嬢は周囲に視線を走らせた後、扇子で口元を隠しながらこっそりと言った。
「実は、私とナイトレイ様は十年ほど前に一度婚約の話が出たのですが、その時には既に想いを寄せる方がおりましたので、丁重にお断りさせていただきました」
それに少し驚いたが、公爵家の者となれば早くからそのような話が出ても不思議はない。
むしろフィー様がいまだに結婚していないことのほうが珍しいのだろう。
「ちょっと、ティエニー……!」
慌てたようにフランセット様が小さく声を上げる。
「そうなのですね。フィー様は公爵家の方ですから、婚約の話が出るというのは当然のことだと思います。それにあくまで『婚約の話が出た』というだけで実際に婚約を結んだわけではありませんから」
もし、フィー様がわたし以外の他の誰かと婚約していたら、違っていたのかもしれない。
わたし達が出会った時、フィー様はわたしを止めてくれただろうか。
他の誰かに「僕の可愛い人」と呼びかけるのだろうか。
それを、嫌だ、と思ってしまった。
吸血鬼で、公爵家で、優しいけれど怖い人でもあって。
それでも、わたしはあの人と一緒にいたい。
優しい声で「僕の可愛いアデル」と呼ばれたい。
「わたしは今、わたしのそばにいるフィー様を信じています」
シンとテーブルが静まり返った。
そして、次の瞬間、柔らかな笑い声が上がった。
「ごめんなさい、馬鹿にしているわけではないの」
おかしそうな、明るい笑い声には確かに嘲りの色は感じられず、本当に思わず笑ってしまったという感じである。
「ただ、ナイトレイ様は愛されていて、とても羨ましいと思っただけですの」
「……愛……」
……これは、愛なのかしら。
「あら、違うのかしら?」
訊き返されて、わたしは考えた。
一緒にいたい。そばにいてほしい。触れてほしい。
あの優しい声で甘くわたしの名前を呼んでほしい。
そっと胸に触れるとドキドキと脈打っている。
「……いいえ、違いません」
いつから、なんて訊かれたら、多分最初から。
あの日、死のうとしたわたしを止めてくれた彼の姿を目にした瞬間には、きっと、わたしはもう……。
「わたしはフィー様を愛しています」
彼の手の中に落ちていた。
フィー様は優しいから、わたしがその自覚を持つまで待ってくれているだけで、本当は分かっているのかもしれない。
優しく、甘い、夢のような誘惑の中で。
わたしは愛されること、愛することを知ってしまった。
まあ、と公爵夫人が口元を押さえる。
わたしとフィー様の関係を知っているのと、普段を見ているから、わたしがフィー様について想いを語ったことに驚いたのだろう。
横にいるフランセット様は少し頬が赤い。
「安心しましたわ」
ティエニー様が微笑んだ。
「両想いなら、もう、絶対に私へ婚約の話は来ませんわね」
「それが心配だったのですか?」
「ええ、だって婚約の話が出たら、私は私の想い人に心を打ち明けられなくなってしまいますもの」
わたしの気持ちを知ったティエニー様は嬉しそうだ。
けれども、わたしが何かを言う前に、後ろから長い腕が伸びてきて抱き寄せられる。
一瞬、驚いたが、怯える必要はない。
「アデル……!!」
気が昂っているのか、耳元で聞こえた声は少し掠れていた。
「イアン、まだお茶会中よ?」
椅子に座るわたしに後ろから抱き着いたフィー様が、公爵夫人の言葉に更にギュッと抱き着いてくる。
「だって、アデルが僕のことを愛してるって! 最初は『好き』くらいを想像してたから、嬉しくてつい……!!」
……どうして知っているのかしら。……あ。
そういえば影の中に蝙蝠がいるのだった。
つまり、わたしの影の中にいる蝙蝠を通じて、お茶会での会話や出来事をフィー様も見聞きすることが出来る。
「アデル、僕を愛してるって本当?」
後ろから覗き込まれる。
整った顔立ちが間近にあり、気恥ずかしい。
けれども嘘を言う必要はない。
「ええ、フィー様を愛してるわ」
その頬に想いを込めてそっと口付ける。
フィー様が固まった。
あらまあ、と公爵夫人とティエニー様の声が重なる。
そして、ぶわっと体が持ち上げられた。
「ああ、アデル、僕も君を愛してる!!」
横抱きにされて、くるくると視界が回る。
「え、ちょ、フィー様……!?」
あはははは、とフィー様の明るく嬉しそうな笑い声がして、見上げれば、本当に嬉しそうに笑っていた。
すぐに椅子へ下ろしてもらえたけれど、フィー様は離れなかった。
「フィー様、女性のお茶会の場に男性がいるのは……」
そう言えば、フィー様が悲しそうな顔をする。
「また後で、一緒に過ごしましょう」
もう一度フィー様の頬に口付ける。
と、同時にポンとフィー様の体が蝙蝠になる。
どうやら時間切れのようだ。
『絶対に、僕と一緒に過ごしてね』
名残惜しそうに蝙蝠がわたしの頬に頬擦りをしてから、影の中へと消えていった。
突然現れて消えていったフィー様に場の空気がざわついたものの、パンパン、と公爵夫人が手を叩く。
「義弟がお騒がせしてごめんなさいね。婚約者が好きなあまり、会いに来てしまったみたいなの。お気になさらないでくださいな」
夫人が使用人に手を振ると、お詫びと称して新たなお菓子が各テーブルへ運ばれていった。
「ナイトレイ様ってあんな情熱的な方でしたかしら?」
「いいえ、ですがイアンお兄様、よほど嬉しかったようですわね」
フランセット様のお話によると、あの蝙蝠を使った眷属やそこから一時的に自分を移動させたり、分身を生み出したり、そういった能力を常時使える吸血鬼は純血種しかいないらしい。
それでも、普段からこうして他者の影に眷属を潜ませるというのは珍しいそうだ。
「よほどアデル様と離れたくないのか、過保護なのか。どちらにしても、普通はそのようなことはいたしませんわ」
と、いうことだった。
「ナイトレイ様は純血種の中でも先祖返りで血が濃いそうですから、もしかしたら原初の吸血鬼様もあのようだったのかもしれませんわね」
「確かに、あの子は昔からちょっと自由奔放なところがありましたものね」
ティエニー様と公爵夫人が笑う。
フランセット様も否定はしなかったので、わたしが知らないフィー様を皆様は知っているのだろう。
それが少し羨ましい。
「でもイアンお兄様は女遊びだけはなさらなかったわ」
こっそりフランセット様がそう教えてくれた。
「ありがとうございます、フランセット様」
「……フランでいいわ。わたくしもアデルって呼ぶから」
「分かりました、フラン」
フランセット様改め、フランがニコリと微笑んだ。
その嬉しそうな笑顔にわたしも笑みが浮かぶ。
「さあ、そろそろ皆様も落ち着いた頃ですわね」
公爵夫人が立ち上がる。
「皆様のテーブルへご挨拶に伺うの。アデル様も一緒に行きましょうか」
「はい、ソフィア様」
「わたくしも一緒にまいります」
フランも立ち上がった。
夫人は頷き、それを見たティエニー様が微笑んだ。
「では、私はのんびりお茶を楽しませていただきますわ」
そうして、公爵夫人とフランと共に、各テーブルへのご挨拶回りをすることとなった。
テーブルはわたし達が座っていたテーブルに近い場所ほど血筋が近かったり、爵位が高かったりしており、離れるほど血筋が離れていて、爵位も低かったりする。
後は社交界での力関係も場所に表れるらしい。
……どのテーブルに誰を座らせるか決めるだけでも大変そうだわ……。
挨拶をする順番もあるようで、公爵夫人についてそれぞれのテーブルへ向かった。
途中までは何事もなく終えられたけれど、出席者のほとんどはわたしの噂を知っているのだろう。
様子を窺ったり、値踏みするような視線を向けられることもあった。
それでも何も言わないのは公爵夫人と公爵令嬢がわたしの左右に立っているからだと思う。
「まあ、アデル・ウェルチ伯爵令嬢といえば『病弱な双子の妹を虐げている』なんて噂が流れていると聞きましたわ。どんなに見目が良くても、ねえ……?」
そんな中でも、意外と猛者はいるものらしい。