新たな味方
婚約発表から一週間後。
部屋でフィー様と一緒に過ごしていると、公爵夫人が私の部屋を訪れた。
「アデル様、ちょっとよろしいかしら?」
申し訳なさそうな様子にわたしは首を傾げた。
「はい、大丈夫です。何か御用でしょうか?」
「一週間後にお茶会を催す予定なのだけれど、ナイトレイ公爵家の分家や傘下の貴族のご令嬢やご婦人方が来られるの。それにアデル様も参加してほしいと思って。もちろん、無理にとは言わないわ」
夫人の言葉に考える。
公爵家の、フィー様の婚約者になった以上はいつまでも社交から逃げているわけにはいかないだろう。
何より、わたしの悪い噂を広めていたティナは、あの姿ではもう社交の場に現れることもない。
……また、社交をしてみようかしら。
横にいるフィー様を見上げれば微笑み返された。
「アデルの好きにしていいよ」
と、言うので、わたしは夫人に頷いた。
「出席いたします」
「良かった。イアンの婚約者として皆様に紹介するわ。もし噂のことを言うような方がいても、私がきちんと説明するからアデル様は堂々としていらしてね」
「はい、ありがとうございます、ソフィア様」
そういうわけで、一週間後のお茶会に出席することになった。
* * * * *
お茶会に出席することを決めてから三日。
フィー様と公爵邸の庭を散歩していると、使用人の一人が来て、お客様の来訪を告げた。
「ナイトハルツ公爵家のフランセット様とナイトヴァーン公爵家のヴァレール様がお越しになられました」
「ああ、あの二人ね」
フィー様が納得した様子で、少し苦笑を浮かべた。
公爵家ということはフィー様の親戚なのだろう。
四大公爵家は両陛下の兄弟姉妹や子などが爵位を継いでいるので、両陛下のお子であるフィー様は当然、他の公爵家とも血縁関係がある。
「僕の従妹と、もう一人の従兄の息子だよ。婚約したって聞いて、アデルに会いたがっていたから、我慢出来なくなって来ちゃったのかも。……どうする?」
会いたくないから帰ってもらうよ、とフィー様が言う。
「せっかく来ていただいたのだから、お会いするわ」
「そっか、じゃあ行こうか」
「お二方はどんな人?」
「そうだね、従妹はちょっと気が強くて、従兄の息子はちょっと元気過ぎるところがあるけど、二人とも良い子だよ」
使用人を先に行かせて、わたし達もゆっくり後を追う。
応接室の一つに通してあるそうだ。
公爵邸は広く、応接室が複数あって、お客様に合わせて通す場所が変わるのだけれど、どの部屋も品が良くて美しい。
到着した扉には百合の絵がはめ込まれている。
フィー様が扉を叩き、ややあって、扉を開けた。
「イアン兄〜!!」
扉を開けた途端に何かが飛び出してきて、それはフィー様のお腹の辺りに突っ込んだ。
かなり良い勢いだったのにフィー様はよろけることもなく受け止める。
少し色の暗い銀髪に淡い紅色の瞳の男の子が顔を上げた。
外見的特徴からして吸血鬼だが、人間の年齢でたとえるなら、まだ五歳か六歳くらいの子供である。
空色の服がよく似合っていた。
「まあ、ヴァレール、はしたなくってよ」
室内から、高く澄んだ、でも少し幼さの残る声がする。
それにヴァレールと呼ばれた男の子が振り向く。
「だってさいきん、イアン兄があそびに来てくれないんだもん! ボクはもっとイアン兄とあそびたいのに!」
「婚約されたのだから、婚約者を優先するのは当たり前ですわ」
「ええ〜!!」
まだくっついている男の子にフィー様が苦笑した。
「ヴァレール、いきなり飛び出したら危ないよ。僕の婚約者もいるんだから、もし、彼女が怪我をしたらどうするの?」
そこで、男の子がわたしの存在に気付いて目を丸くした。
男の子がフィー様から離れ、わたしはフィー様と共に応接室の中へ入った。
応接室のソファーには淡い銀髪をツインテールにして、ぱっちりとした明るい紅色の瞳をした女の子がいた。人間で言えば十五歳くらい。黒いドレスはフリルやリボンがあしらわれている。
「紹介するよ。僕の婚約者のアデル・ウェルチ伯爵令嬢だよ。アデル、こっちナイトハルツ公爵家の長女で僕の従妹のフランセットと、ナイトヴァーン公爵家で従兄の息子のヴァレール」
カーテシーを行い、言葉を待つ。
すぐにお二方は声をかけてくださった。
「フランセット=エフィニア・ナイトハルツですわ」
「ヴァレール=アロイス・ナイトヴァーンだよ!」
それにわたしも挨拶を返す。
「ウェルチ伯爵家の長女アデル・ウェルチと申します」
カーテシーから姿勢を戻すと、男の子に手を取られた。
「ねえ、アデル、こっちで話そうよ!」
「あ、こら、ヴァレール!」
そうして、意外と強い力で引っ張られて、ナイトハルツ公爵令嬢の横に座らせられ、わたしの横に男の子が座った。
フィー様はやっぱり苦笑して、でも、怒ることもなく空いている向かいのソファーへ腰掛けた。
わたしはお二人に挟まれて、どうしたら良いのか困ってしまった。
「アデル、ボクのことはヴァレールってよんでね!」
「わたくしのことはフランセットでよろしくてよ」
左右から言われ、頷く。
「わたしのこともアデルとお呼びください」
お二人が頷き、そしてヴァレール様が見上げてくる。
「アデルのかみ、すっごくキレイ! リンゴとかイチゴみたい! あまくておいしそうな色だね!! さわってもいい?」
「はい、どうぞ」
わたしの髪にヴァレール様が触れる。
でも、引っ張ったりはせず、撫でるように触るヴァレール様は嬉しそうだ。
「アデル様、ヴァレールを甘やかすのは良くありませんわよ」
と、フランセット様に言われてしまう。
「申し訳ありません。昔から、優しい姉か可愛い弟が欲しいと思っていたので、つい」
「そう、まあ、その気持ちは分からないでもないわ。わたくしにとってもヴァレールは可愛い弟のようなものですもの」
ツンと澄ました様子で扇子を広げるフランセット様は、まだ幼い顔立ちとは裏腹に大人びた性格らしい。
しかし、チラチラと視線がわたしの髪に向けられる。
それが少し微笑ましかった。
「よろしければフランセット様も、触られますか?」
「え、いいんですの?」
パッと振り向いたフランセット様は、けれども、すぐに我へ返った様子で小さく咳払いをすると顔を背けた。
「し、親しくもない間柄で髪を触るなんて失礼でしょう」
ふと、気が付いた。
大人びた子かと思っていたけれど、そうあろうと背伸びしていて、大人の一員になりたがっている女の子なのでは?
わたしにもそういう時があった。
「わたしは構いません。でも、そうですね、もしフランセット様が気になるようでしたら、わたしもフランセット様のお手に触れてもよろしいですか? その爪、とてもお似合いで、素敵ですね」
フランセット様の形の良い爪には爪紅が塗ってあり、紅い瞳や髪やドレスにつけられた赤いリボンとお揃いでおしゃれだ。
きらりと明るい紅色の瞳が煌めいた。
「そう、そうなの、とっても可愛いでしょうっ?」
「ええ、瞳とリボンのお色に合わせてあって、おしゃれですね。それによく見ると爪の先は黒色でキラキラ輝いて、まるで指先に魔法がかかったようです」
「赤色を塗った後に、爪の先に黒色を塗って金粉を少しだけ吹きつけたのよ」
「もしかして金のピアスは金粉と合わせるためでしょうか?」
「その通りよ!」
嬉しそうにフランセット様が扇子を閉じると、わたしの手を握った。
恐らく、誰かに気付いてほしかったのだろう。
……わたしも、このくらいの頃はおしゃれに気を遣ったわ。
流行りを調べたり、お茶会などで見かけた素敵なドレスや装飾品についてイラストを描いてスクラップブックを作ったり、色々した。
「あなた、話の分かる人ね」
フランセット様の笑顔が可愛らしい。
「社交界で良くない噂が流れているって聞いたけれど、きっと事実ではないのね」
「そうなの?」
ヴァレール様が不思議そうに見上げてくる。
その小さな手は不器用に、わたしの髪を三つ編みにしていて、少し髪が絡んでいるので後で解くのが大変そうだ。
でも、不思議と嫌な気分ではない。
「そのことなんだけど──……」
と、フィー様が社交界で流れているわたしの噂の理由について、お二人に話してくれた。
フランセット様はそれに怒ってくれた。
ヴァレール様は話の内容をあまり理解出来なかったようだ。
「アデルは妹がいるの? 妹ってかわいい?」
純粋なヴァレール様の質問に苦笑が漏れる。
「見た目は可愛いですが、わたしからしたら悪魔のような子でした。わたしの大切なものはいつも、あの子が持っていってしまったので」
「かぞくでも、人のものをとっちゃいけないんだよ!」
「そうですね、きっと、妹はそれが分からなかったのです」
でも、その妹も今回、ついに罰を受けた。
しかも取り返しのつかない状況だ。
「わたくし、アデル様の妹とは仲良くなれませんわね」
「その心配はないよ。病弱な妹は、婚約者の混血種の血を飲み過ぎて、髪と瞳の色を失ったから、社交界に出てくるのは無理だろうし」
「まあ、血を!? 掟を破るなんて……」
そう言ったフランセット様の顔には、嫌悪と恐怖がありありと浮かんでいた。
吸血鬼の血を飲む、または吸血鬼が人間に血を分け与えるという行為は本当に忌避されるものなのだろう。
……まあ、人間同士でもそうよね。
「ただ、その妹が流した噂はまだ広まったままなんだ」
フィー様の言葉にフランセット様がわたしを見た。
そして、またフィー様を見て、何かに気付いた顔をする。
「……理解しましたわ。突然訪問したのに会ってくださったのは、今度開かれるナイトレイ公爵家のお茶会でアデル様の味方として動くように、わたくしにお願いするつもりでしたのね?」
「バレたか。フランセットは昔から察しがいいよね」
「貴族の嗜みの一つですわ」
また、フランセット様がツンと澄ました顔をする。
けれどもすぐに顔を戻すと、開いた扇子で口元を隠す。
「イアンお兄様、本気ですのね?」
フィー様が頷く。
「うん、本気だよ。お願いだ、フランセット。僕の可愛いアデルをお茶会で守ってくれないかな? 君と義姉上がアデルの騎士となってくれたら僕も嬉しい」
フランセット様が少し目を丸くした。
そして、パチリと扇子が閉じられる。
「分かりました、イアンお兄様。アデル様のこと、守ってさしあげてもよろしくてよ」
「ありがとう、フランセット」
「別にお礼なんていりませんわ。わたくし、アデル様のことがとっても気に入りました。お気に入りの方が悪く言われるのは気分が良くありませんもの」
照れたのを隠すようにフランセット様が顔を背けた。
でも、向いた先はわたしのほうで、わたしと目が合うとフランセット様が笑った。
「アデル様、わたくしが守ってさしあげますから、お茶会の時は周りなど気にせず一緒に楽しみましょう」
おーっほっほっほ、と高笑いする様はまるで悪役みたいだったけれど、フランセット様によく似合っていた。
わたしも見た目で誤解されやすいが、もしかしたら、フランセット様も今までそういうことがあったのかもしれない。
「できた!」
ヴァレール様が声を上げた。
見ると、わたしの髪の一房が三つ編みにされていた。
網目も乱雑で不恰好だけれど、小さな手が一生懸命、編んだのが伝わってくる。
「可愛い三つ編みですね。ありがとうございます、ヴァレール様。今日は一日、このまま過ごしますね」
「本当? やくそくだよ!」
「はい、約束です」
嬉しそうなヴァレール様を見ていると心が穏やかになる。
兄は妹ばかり可愛がって、妹はわたしから奪っていく。
だから優しい姉か可愛い弟が欲しいと思った。
「ちょっと妬けちゃうなあ」
なんてフィー様が両膝に頬杖をついてこちらを見る。
「あら、イアンお兄様、子供に嫉妬するなんて大人らしくありませんわよ?」
「こういうことは大人とか子供とか関係ないんだよ。フランセットもいつか、好きな人が出来たらこうなるよ」
「わたくしに釣り合う方がいればの話ですわね」
どちらが歳上なのか分からなくなるような会話に、つい、笑ってしまう。
「改めて、これからよろしくお願いいたします、フランセット様、ヴァレール様」
「よろしくね、アデル!」
「ええ、よろしくしてあげる」
それからフランセット様がわたしを見る。
「公爵家の令嬢であるわたくしが味方になるのだから、誰にもアデル様を傷付けさせたりなんかしないわ」
だから安心しなさい、と言われた。
「そういうのは僕の台詞なんだけどね」
「イアンお兄様はお茶会に参加出来ないでしょう? そもそも、女同士の諍いに男性が入ると余計拗れるのよ」
「……どこでそんなこと、学んだの?」
「お母様がよくおっしゃっているわ」
やっぱりおかしくて笑ってしまう。
お茶会の席で、公爵夫人とフランセット様がわたしのそばにいる構図を想像したら、確かに強いだろうなと思った。
「ありがとうございます。フランセット様とソフィア様がいてくださると思うと、とても心強いです」
「ええ、わたくしに任せなさい」
胸を張ってそう言ったフランセット様は自信満々で、その姿は年相応に見えて可愛らしかった。