責任は誰にある?
婚約が発表されてから三日。
公爵夫妻だけでなく、他の三つの公爵家や王家からも婚約祝いが届き、他の貴族からも多くの祝いの手紙が送られてきた。
……今まで、わたしのことを遠巻きにしていたのにね。
中にはティナの噂を信じてわたしの悪口を広げたり、わたしを責めたりした人達の家からもあった。
ナイトレイ公爵家と縁続きになると分かった途端に、今までの自分達の行いなんて忘れたみたいに近寄ろうとしてこられても、不愉快なだけである。
そういった家からの手紙は返事をしなかった。
他の家からの手紙も手短に済ませ、ナイトレイ公爵家と関わりのある家や分家などには丁寧にお礼の手紙を書いて、綺麗な花束をつけて送った。
手紙の返事だけでかなり時間がかかってしまったが、同時に、公爵家の力も実感した。
これまでは社交界で爪弾きに近い状態にされていたわたしが、ナイトレイ公爵家の者と婚約したら、この有様だ。
祝いの手紙に交じってお茶会や夜会への招待状もあった。
「アデルが出たいものだけ出ればいいよ」
と、フィー様は興味がなさそうに言った。
貴族同士の社交があまり好きではないらしい。
どうしようかと考えている中、見慣れた家名を見つけて、わたしは手紙を手に取った。
わたしの生家、ウェルチ伯爵家からだった。
差出人は父の名前で、持った感じは随分と分厚い。
とりあえずペーパーナイフで封を切り、中に収められていた便箋を取り出し、広げて中身を読んだ。
最初の一枚は父からのものであったが、公爵家で粗相はしていないか、公爵家できちんと学んで相応しい教養を身につけ、公爵家の方々に尽くすように、という内容で、わたしのことを気遣う言葉はやはり一つもなかった。
そして二枚目以降はなんとティナからだった。
読み進めて、内容の意味が分からず首を傾げてしまう。
「あの子は何が言いたいのかしら?」
丸みのある文字で書かれた手紙を要約すると、こんなことが書かれていた。
わたしが公爵家に行ったことがずるい。
わたしが吸血鬼であるフィー様と婚約したのがずるい。
ティナは苦しんでいるのに、双子の姉であるわたしが手助けもせず、幸せに過ごしているのは最低。
フィー様に言われた通りにしたら大変な目に遭っている。
わたしは家族のために予定を空け、一番に優先してティナとその婚約者、つまりフィアロン侯爵令息と会うべき。
そしてわたしはティナのために尽力しなければいけない。
……あの子、いつもこんな風に手紙を書いているのかしら……?
季節の挨拶もなければ、内容も思い浮かんだものをただ書き連ねたような感じで、手紙というにはあまりに拙い。
わたし宛てだから作法を気にしていないだけなのかもしれないが、それにしても酷い手紙だ。
フィー様に渡すと、眉根を寄せられた。
「何この手紙。子供が書くより酷くない?」
それでも最後まで読み終えたのか、フィー様が何かに気付いた様子で「ふぅん?」と便箋を閉じた。
「本当にやったんだ。馬鹿って言うより愚かだね」
「どういうこと?」
「アデルの元婚約者が病弱な妹に、多分、血を分け与えて、妹がそれを飲んだんだよ」
「そういえば、フィー様がティナと会った時に、そんなことを言っていたわよね? 吸血鬼の血は薬になるって……」
……まさか、本当にそれを試したの?
いくら薬と言われても、それが本当かどうかなど分からないし、他人の血を飲むなんて普通ならしない。
フィー様が便箋をわたしへ返す。
「どうする? 会う?」
少し考えてから頷いた。
「ええ、会うわ。断り続けてもどこかのお茶会か夜会で会うことになるでしょうし、公爵家で会うなら、あの二人も好き勝手はしないと思う」
それに、ティナのことが気にかかる。
別にティナのことはもう妹でも家族でもなく、そういう気持ちは消えてしまったが、酷い目に遭って苦しんでいると聞いて、何が起こっているのか気になったのだ。
手紙の最後には父の「絶対に予定を空けて必ずティナ達と会うように」という強い言葉が綴られており、かなり切迫した状況なのが伝わってくる。
公爵家を訪れるのはティナとフィアロン侯爵令息らしい。
「僕も同席していい?」
「もちろん構わないわ」
どうせ、一人で会ったらティナは好き勝手なことを言って、フィアロン侯爵令息と一緒になってわたしを悪役にするだろうから。
* * * * *
手紙が届いてから二日後の午後。
予定を空けてフィー様と待っていると、ティナとフィアロン侯爵令息が約束の時間に合わせてナイトレイ公爵家を訪れた。
使用人が応接室へ案内したそうで、フィー様と共にそこへ向かう。
フィー様が応接室の扉を叩き、扉を開けた。
応接室にはフィアロン侯爵令息と目深にローブを被った、恐らくティナだろう小柄な人物の二人がいた。
……なんだか侯爵令息はやつれてるわね。
わたしへ婚約破棄を告げた時の、自信に満ちた雰囲気は今はなく、以前よりも少し痩せた気がする。
フィー様に手を引かれながら入室した。
フィアロン侯爵令息とローブの人物が立ち上がり、礼を執った。
それにフィー様が軽く手を振れば、二人は礼を解く。
ソファーにわたし達が座ってから、フィアロン侯爵令息とローブの人物も腰を下ろした。
「それで? 何の用で来たわけ?」
普段わたしと接する時とは違う、冷たい声でフィー様が問うと、フィアロン侯爵令息が身を乗り出すように言った。
「どうか、ティナを助けてください! ティナが言うには、あなたが『吸血鬼の血を飲めば健康な体になれる』とおっしゃっていたと……!!」
「それで、本当に試したんだ? 愚かだね」
フードの人物、ティナが勢いよく立ち上がった。
「あなたの言う通りにしたのにどういうことなの!?」
バサリと下ろされたフードの下を見て、息を呑んだ。
老婆の白髪みたいな燃え尽きた後の灰をまぶしたような髪に、泥のようによどんだ色の瞳。肌もくすんで血色が悪い。
柔らかなピンクブロンドも、明るい緑の瞳も、春の妖精のようだと言われたティナの淡く可愛らしい色彩はそこになかった。
見た目こそ変わらないものの、色彩が違うだけで、全く印象が変わってしまっている。
春の妖精というよりも、幽霊みたいだ。
しかしフィー様は驚いた様子は見せなかった。
「どうもこうも、吸血鬼の掟を破った結果さ」
「フィー様、吸血鬼の掟って?」
「言葉通り、吸血鬼には掟があって、そのうちの一つに『他者に血を飲ませてはいけない』ってものがあるんだよ」
この大陸でも、昔、吸血鬼を悪とした時代があった。
吸血鬼は差別され、恐れられ、忌避される。
そんな時代の中で吸血鬼の血はどんな病も治す、特別な薬だという噂が広まった。
事実、吸血鬼の血には人間の病を治す力があった。
永遠に近い寿命と再生力を持つ吸血鬼の血を人間が飲めば、再生力にて、病や怪我などを癒すことが出来る。
そのせいで薬を求めた人間達が吸血鬼を狩ろうとしたこともあったそうだ。
当然、力は吸血鬼のほうが上で、狩られたのは幼い吸血鬼ばかりであった。
子孫をあまり生み出せない吸血鬼にとって、子を奪われるのは種族の存続としても、そして親としても許せることではない。
即座に吸血鬼は反撃し、人間も多くの死者を出したことで、吸血鬼狩りはすぐになくなった。
そして、吸血鬼の掟の一つに『他者に血を飲ませてはいけない』が追加された。
そもそも、その歴史を受け継ぐ純血種の吸血鬼達は、人間が吸血鬼の血を飲むことに強い嫌悪感を抱く。
人間が吸血鬼を利用し、血を飲むなど、誇り高い吸血鬼達にとっては酷く不愉快なことであった。
吸血鬼狩りで多くの子供を失ったことも理由の一つだろう。
もう二度と、同じことを繰り返さないために。
吸血鬼は他者に血を飲ませる行為はしなくなった。
「それでも、たまに吸血鬼が人間に恋をして、その人間に請われて血を渡すってことがあったみたいだけどね」
そして、吸血鬼の血を飲んだ者は健康な体を手に入れる。
「だけど、それが何の代償もなく得られると思う?」
吸血鬼の血を飲んだ者は色素を失う。
髪や肌の色が抜け落ち、瞳は色が濁る。
「しかも、その様子だと、君、婚約者の血を結構多く飲んだね? 純血種の血ですら数滴飲めば十分健康な体を手に入れられるのに、混血種とは言え、飲み過ぎれば血は毒になる」
フィー様の言葉にフィアロン侯爵令息が顔色を悪くする。
「……毒……」
「その髪と瞳は吸血鬼の血を大量に摂取したせいだね。本来なら、ちょっと髪色が薄くなるとか瞳の色がくすむくらいらしいけど。……死ななくて良かったね?」
「彼女の、ティナの髪や瞳の色を取り戻す方法はないのでしょうかっ?」
バン、と強くテーブルが叩かれる。
まだ立ち上がったままのティナが叩いたのだ。
「どうしてわたしばっかりこんな目に遭わなくちゃいけないの!? 生まれた時から病弱で、お姉様に健康を奪われて、好きなことも我慢し続けて!! やっと幸せになれると思ったのに!!」
バン、バン、と苛立ちをぶつけるように何度もテーブルを叩くティナに、フィアロン侯爵令息が慌ててその手を掴んで止めさせる。
「落ち着け、ティナ。お腹の子に障る」
「っ、でも、だって、いつもお姉様ばっかり幸せになってずるいわ……!!」
泣くティナをフィアロン侯爵令息が抱き寄せる。
その様子をフィー様とわたしは眺めていた。
……思ったより、つらくないわね。
二人が一緒にいても、もう何とも思わない。
「あのさ、伯爵家にいて、アデルは幸せではなかったと思うんだけど。家族からも婚約者からも冷たくされて、妹の君には何もかもを奪われて、アデルのほうが可哀想だよ」
それにわたしも同意の意味で頷いた。
ティナはいつも「お姉様はずるい」と言うけれど、わたしは羨ましがられることなんて何もなかった。
両親や兄の愛も、婚約者の心も、使用人達の優しさも、友人達も、全てティナが持っていた。
キッとティナに睨みつけられる。
「お姉様はわたしから健康な体を奪ったんだから、わたしがお姉様のものをもらって何が悪いの!?」
それが本音だったのだろう。
「じゃあ、健康を手に入れた今は?」
フィー様の問いかけに、ティナが目を瞬かせた。
「……え?」
「婚約者の血を飲んで、健康になれたでしょ? こんなに怒って騒いでるのに平気そうだし。『病弱で可哀想な妹』ではなくなった今、君は、姉であるアデルと同じ健康な伯爵家の令嬢だ」
髪や瞳の色がどうであれ、確かにティナは健康な体となったのだろう。
今までであれば、これほど興奮したら熱を出したり眩暈を起こして倒れたりしていたが、その様子はない。
「アデルから奪ったものはアデルに返すべきだよね?」
ふふ、とフィー様が楽しげに微笑む。
……ああ、なるほど。
これまでティナは『双子の姉に健康を奪われた、病弱で可哀想な双子の妹』という大義名分があった。
それがあれば、わたしから何を奪っても許されたし、我が儘もかなり聞いてもらえた。
でも、そうでなくなったら?
今、ティナは健康な双子の妹となった。
もう大義名分を失ったのだ。
ティナもそのことに思い至ったのか呆然としている。
「吸血鬼の血の話はしたけど、それを行うかどうかは君達の責任だよ。僕は『そういう話がある』って言っただけ」
フィアロン侯爵令息とティナが、フィー様を見る。
「第一、やる前に調べなかったの? どうして掟で禁止されているのか、血を人間に飲ませたらどうなるのか、ちょっとくらい疑問に感じて調べるのが普通じゃない?」
フィアロン侯爵令息が視線を逸らす。
「それは……。下手に調べて回れば、掟を破ろうとしていることを誰かに気付かれてしまうかもしれないから……」
「でも、結局、ウェルチ伯爵令嬢を見れば吸血鬼はすぐに何が行われたか分かるし、混血種であっても、きちんと掟を学んでいる者なら察すると思うよ」
「だから、色を戻す方法を訊きに来たのですわ!」
叫ぶように言うティナにフィー様が呆れた顔をする。
「君達、都合が良すぎ。あるわけないでしょ」
そんな、とフィアロン侯爵令息が呟く。
ティナが頭を抱えて叫んだ。
「お姉様ばっかりずるいわ!! いつもお姉様はわたしの欲しいものを持っているのに、どうしてわたしはそれをもらえないのよぉおおぉっ!!?」
ティナがわたしへ手を伸ばす。
「そう、そうだわ、お姉様、お姉様の髪をちょうだい。鬘を作って、被ればいいのよ。健康になるために飲んだ薬の副作用で髪が抜け落ちたってことにすれば……!」
その手をわたしはただ見つめた。
……どうして、わたしが握り返すと信じているの?
「絶対に嫌よ。どうしてわたしがあなたに髪をあげなくちゃいけないのかしら。それに目はどうするの? どうやっても誤魔化せないでしょう?」
「っ、なんで、なんでよ! わたしはこんな髪と目になったのよ!? 可哀想だと思わないの!!?」
「思わないわね」
フィアロン侯爵令息に「アデル」と名前を呼ばれる。
「双子の妹じゃないか! お前がそんなだから、俺はお前との婚約を破棄したんだ!!」
「そう。だから何? あと、わたしのことは今後はウェルチ伯爵令嬢と呼んで。もうあなたとは婚約していないのだから名前を呼ばれるのは不愉快だわ」
フィー様に抱き寄せられる。
「フィアロン侯爵令息、君がアデルとの婚約を破棄してくれたおかげで、僕はアデルと婚約することが出来た。そこだけは唯一、感謝しているよ」
どう聞いても皮肉たっぷりなフィー様の言葉に、フィアロン侯爵令息が言葉を詰まらせた。
そう、わたしを捨てたのはあなたよ。
今更わたしに縋ろうなんて馬鹿みたい。
「ティナ、あなたがこれまでわたしにしてきたことを覚えている? わたしの持っているものは何でも強請って、わたしから奪ってきたわね。今までは我慢していたけれど、もう、我慢はやめたの」
いやいやとティナが首を振り、下がろうとする。
けれども、それはソファーに阻まれて出来ず、足をぶつけたティナがソファーへ座り込む。
「わたしのものは、もう渡さない」
ぽろぽろとティナの瞳から涙が流れ落ちていく。
「お、お姉様……」
伸ばされた手から顔を背け、拒絶する。
フィー様が手を叩いて、少し声を張り上げた。
「お客様がお帰りになるから、玄関までご案内して」
扉が開き、使用人が数名入ってくると、フィアロン侯爵令息とティナの肩を掴み、廊下へ引きずり出していく。
フィアロン侯爵令息は混血種だからそれなりに力が強いはずなのに、それを押さえ込んで運べるということは、公爵家の使用人達のほうが強いのだろう。
ティナは最後までわたしを呼び、ずるいずるいと叫んだ。
「フィー様」
呼べば「なぁに?」と返ってくる。
「こうなると分かっていて教えたのね?」
「うーん、まあ、そうなったらいいなあとは思っていたよ。僕は君の妹も、元婚約者も大嫌いだからね。アデルを苦しめた人間がアデルより幸せになるなんて、おかしいでしょ?」
悪びれもなくフィー様はそう答えた。
「それに、あれはあの二人が考えなしだった結果だよ」
これで、君の妹はもう社交界には出られないだろうね。
そう言ったフィー様が機嫌が良さそうだった。
フィー様は優しいけれど、それだけではないのだろう。
「そうね」
あの二人がこの先どうなるのか。
それはもう、わたしの関知するところではない。