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婚約破棄

 






「どうせ死ぬなら、その人生、僕にくれない?」




 目の前で、長く美しい銀髪がふわりと風に揺れる。


 血のような、沈む直前の夕日のような、鮮烈な紅い瞳に見つめられてハッとする。


 こんな風に誰かとまっすぐ目を合わせたのは久しぶりだった。


 その視線が外れることはなく、手が伸びてきて、わたしの髪の一房を掬いあげた。




「僕、君に一目惚れしちゃったみたい」




 ……絶対に嘘だ。


 わたしよりも整った顔立ちの、目の前の人物がわたしに一目惚れなんてするはずがない。




「君、名前は?」




 分かっているのに、その手を払うことが出来なかった。


 まだ、心のどこかでわたしは『生きたい』と願っているのだろうか。


 誰かが助けてくれるかもしれないと、思っているのだろうか。


 そんな、夢物語みたいなこと、ありはしないのに。








* * * * *








 どうして今日なのだろうと思った。


 せめて昨日か明日であれば、ここまでわたしも傷付くことはなかっただろう。


 ああ、またなのかと、諦めて受け入れられた。


 それなのに婚約者はよりにもよって、今日、そのことを告げたのだ。



「アデル、お前との婚約は破棄されることとなった」




 そう言った彼の手には綺麗な花束が抱かれていた。


 柔らかなピンクの花はとても可愛らしく、そして、それは彼の婚約者であるはずのわたしにはとても似合わないものだった。


 デニス・フィアロン侯爵令息とは二年前に婚約した。


 やや灰色がかった銀髪に暗い赤色の瞳の、気の強そうな顔立ちの彼は外見通りやや強引なところはあるが、いつだって自信に満ちあふれていて輝いていた。


 わたしが彼と婚約したのは、たまたまわたしが長女だったからに過ぎない。


 そして、彼がわたしとの婚約をあまり良く思っていなかったことも気付いていた。


 彼の目はいつも、わたしではなく、妹に向けられていた。


 ティナ・ウェルチはわたしの双子の妹である。


 柔らかなピンクブロンドに淡い緑の瞳をした、華奢で、可愛らしく、儚げな見た目の妹・ティナは生まれた時から病弱だった。


 そのため両親も兄も、ティナのことばかり気にかけていた。


 双子の姉であるわたしは健康で、だからいつも、後回し。


 ティナが風邪を引けば、誕生日はなかったことになる。


 ティナが体調を崩せば、両親は夜会や茶会を休み、付きっきりで妹を看病した。


 次期伯爵となる兄も勉強や社交で忙しいはずなのに、ティナのこととなると、何を放り出しても駆けつける。


 使用人達もティナが寝込むととても心配した。


 明るくて、優しくて、純粋で、可愛らしい病弱な妹。


 でも、少しだけ我が儘なティナ。


 あの子はいつもわたしのものを欲しがった。


 誕生日にお父様からもらったヌイグルミも、お兄様からもらったネックレスも、お母様からもらった靴も。


 ティナだって同じようなものをもらっているのに、わたしのものを欲しがり、わたしが嫌がるとティナは大泣きする。


 元より体の弱い子だから、大泣きすると熱を出し、体調を崩して寝込んでしまう。


 そうすると、両親も兄もわたしを責める。


 姉なのだから、あなたは健康なのだから、可哀想なティナに、双子の妹に譲ってあげなさい。


 使用人達すらわたしを「心が狭い」と陰で囁いた。


 誕生日にもらったものも、気に入って買ったものも、ほとんどティナに持って行かれてしまったというのに、いつだって双子の妹は「お姉様はずるい」と言う。


 姉妹と言っても、生まれた時間なんて数分の差なのに。


 誰もがティナを天使のようだと誉め讃える。


 そして、お父様やお祖父様と同じ、燃えるように赤い髪に濃い緑の瞳の、気の強そうな顔立ちのわたしを悪者扱いする。


 ティナの友人だという令嬢には「あなたがティナの健康を奪ったのね」と詰られた。


 ティナの友人だという令息には「ティナ嬢を虐めるなんて、双子の姉妹なのに最低だ」と吐き捨てられた。


 ……あの子を虐めたことなんて一度もないのに。


 いつの間にか社交界では、わたしは『病弱な双子の妹を虐げる性格の悪い姉』と囁かれるようになっていた。


 その噂が広まってから、両親と兄の態度はよりいっそう冷たくなった。


 家族なのに、ティナの言動を知っているはずなのに、両親も兄もまるで噂こそが真実であるかのようにわたしに接した。


 わたしを庇い、守り、慈しんでくれた、唯一の味方だった祖父はわたしが十歳の時に亡くなった。


 それから七年、いや、今日で八年。


 わたしは家族の中でも社交界でも孤立していた。


 デニスはすぐに噂を信じたのだろう。


 最初から、わたしに対して冷たい人だった。


 それでも、いつかは結婚して侯爵家に嫁入りし、この家から、家族から──……ティナから離れられると思っていた。


 でも、それは全て叶わない夢であったのだ。




「どうして……?」




 訊き返した声は震えていた。


 だけどデニスは興味がなさそうだった。




「ティナが妊娠した」




 俺の子だ、とデニスが続ける。


 デニスとティナの関係は薄々気付いていたが、こうして面と向かって言われると衝撃的だった。


 ……婚約者がありながら、その婚約者の妹に手を出すなんて……。


 常識的に考えれば最低な行いである。


 それなのにデニスは全く悪いと思っていなさそうで、むしろ、悪役はお前だというようにわたしを忌々しげに見る。




「既に両家の合意でお前と俺の婚約は破棄された。そして、今日、ティナと俺の婚約が改めて結ばれた」




 その手にある花束を渡す相手はティナなのだろう。




「三ヶ月後に結婚式を挙げる」




 ティナのお腹が大きくなって目立ってしまう前に式を挙げて、子供が産まれても、早産ということにするつもりなのだ。


 そういうことが貴族の間でないわけではない。


 婚約者同士や恋人同士で肌を重ね、妊娠してしまい、慌てて結婚式を挙げるというのは実はたまにある。


 ただ、気付いても誰も指摘しないだけだ。




「……そう」




 両家の合意の上でわたしとデニスの婚約は破棄され、ティナとデニスの婚約が結ばれた。


 侯爵家に嫁ぐのはティナだ。


 ……わたしは婚約破棄された傷物ね。


 きっと、まともなところには嫁げないだろう。


 年齢のつり合う人はもう、大体、婚約しているはずだ。


 結婚適齢期なのに結婚していない、何らかの問題のある人か、どこかの貴族か豪商の後妻か、幸せな結婚など望めない。


 そんなこと、きっとティナもデニスも気にしていないのだろう。気にする価値もないと考えているのかもしれない。


 ……そんな誰かと結婚するくらいなら、死んだほうがいい。


 そうすればもう、苦しまなくて済む。




「……ティナとお幸せに」




 何とか、それだけは搾り出せた。


 その後の記憶はなく、気付けば、わたしは墓地にいた。


 いつも行く教会で、ここにはお祖父様のお墓がある。


 夕焼け空の下、わたしはお祖父様の眠るお墓の前に座り込んで、ナイフを握り締めていた。


 お祖父様が趣味で集めていたナイフの一つで、亡くなった時に形見として分けてもらったものだった。


 冷たい風が吹き抜ける。




「……お祖父様、わたし、頑張りました」




 お祖父様が亡くなり、味方を失ってから八年。


 わたしなりに努力した。


 友人を増やそうと社交にも力を入れたし、出来るだけ優しく振る舞って噂を消そうとしたし、ティナの我が儘だって受け入れてきた。


 でも、誰もわたしを見てくれることはなかった。


 わたしの侍女は「ハズレ」だと言われ続けた。


 ティナの侍女は「アタリ」らしい。




「でも、もう、疲れました……」




 わたしを愛して、慈しんでくれた祖父がいない。


 わたしを見てくれる人のいない世界に生きている意味など、あるのだろうか。


 手の中にあるナイフだけが希望のように思えた。


 ナイフをしっかりと握り締める。




「お祖父様、今、いきます」




 お祖父様はきっとわたしを叱るだろう。


 でもすぐに優しく抱き締めてくれるだろう。


 ……ああ、あの温もりが懐かしい。


 ナイフを首に向かって突き立てた。


 けれども、それはわたしの首には届かなかった。


 痛みや苦しみを覚悟していたのに、それが訪れず、目を開けば、ナイフを持つわたしの手に誰かの手が重ねられている。


 その手を辿れば、そこには吸血鬼がいた。


 美しい銀髪に鮮やかな紅い瞳を持つ、非常に整った顔立ちの青年が膝を少し屈めてわたしを見下ろしている。




「どうせ死ぬなら、その人生、僕にくれない?」




 しばし、呆然とその吸血鬼を見つめた。


 ……どうして、吸血鬼がここにいるの?


 吸血鬼は人間よりも上位の存在だ。


 美しい銀髪と紅い瞳、人間よりもずっと整った外見が特徴で、この大陸に存在する国全ての王族も吸血鬼であった。


 例に漏れず、この国の王族、そして四大公爵家も吸血鬼だ。


 吸血鬼は長命で、身体能力が高く、人間にはない能力を多く有しており、美しく、吸血によって人間を吸血鬼へ変化させることも出来るらしい。


 貴族であっても人間に過ぎないわたし達にとっては雲の上の存在である。


 伯爵家でしかないわたしが吸血鬼の血を引く混血種ダンピールのデニス、いや、フィアロン侯爵令息と婚約出来ていたのはとても幸運なことだった。


 吸血鬼の血筋を引くことは誇らしいことなのだ。


 フィアロン侯爵家は何代か前に、やはり混血種ダンピールと結婚して、その血を手に入れることが出来たのだという。


 デニスはだいぶ血が薄いと言っても、やや灰色がかった銀髪や暗い赤色の瞳は吸血鬼の血を引いていることを窺わせる。


 婚約していた時はデニスの髪や瞳を美しいと思っていた。


 だが、今は違う。


 目の前にいる人物の髪や瞳のほうがずっと美しい。


 まるで芸術品かと思うほど整った顔立ちも美しい。


 鮮烈な紅い瞳に見つめられてハッとする。


 こんな風に誰かとまっすぐ目を合わせたのは久しぶりで、酷く落ち着かないのに、目が離せない。


 ナイフを掴んでいないほうの手が伸びてきて、わたしの髪の一房を掬いあげた。




「僕、君に一目惚れしちゃったみたい」




 絶対に嘘だ、と思った。


 わたしよりも整った顔立ちの吸血鬼が、わたしなんかに一目惚れなんてするはずがない。




「君、名前は?」




 分かっているのに柔らかな声が降ってくる。


 その手を払うことが出来なかった。


 心のどこかでわたしは『生きたい』と願っていて、誰かが助けてくれるかもしれないと期待しているのだろうか。


 そんな夢物語みたいなこと、ありはしないのに。




「……アデル」




 気付けば、名乗っていた。


 目の前の吸血鬼が嬉しそうに微笑んだ。




「アデル、良い名前だね。誰がつけてくれたの?」


「……お祖父様です。ここに、眠っています」


「そうなんだ」




 吸血鬼がわたしの髪と手から手を離す。


 そして、わたしの横に座った。




「ねえ、アデル、死なないで」




 期待をすれば、傷付くだけだと知っている。


 ……浅ましい……。


 それでも柔らかな声に縋ってしまいそうになる。




「君が死んだら、僕は悲しい」




 そんなありきたりな言葉に俯いてしまう。


 泣きたいのに涙は出なかった。


 子供の頃に散々泣いたからだろうか。


 いつの頃からか、つらくても、悲しくても、苦しくても、泣くことが出来なくなっていた。



 

「どうして死にたいの?」




 わたしが死のうとしたことを否定も肯定もしない。


 まるで天気の話でもしているかのような軽い口調だ。


 ……他人に話せることじゃない。


 黙ったわたしに吸血鬼は何も言わなかった。


 代わりに、そっと手を握られた。


 デニスと婚約している間ですら、エスコート以外で触れ合うことがなかったので驚いたが、やっぱり振り払えない。


 こうして誰かの温もりを感じるのも久しぶりで。




「僕のことは──……、そうだね、フィーって呼んで?」




 少し、期待するような視線を向けられたが、呼ぶ気にはなれなかった。


 名前を呼ぶというのは相手の存在を認めることでもある。


 名前を呼ぶほどその存在はわたしの中に強く残り、それはわたしをやがて苦しめるだろう。


 黙ったままのわたしに吸血鬼が困ったように微笑んだ。




「ごめんね、急過ぎたよね」




 無理に呼ばなくていいよ、と言う。


 わたしはすぐにまた顔を伏せた。




「そろそろ帰ったほうがいいよ」




 ……帰りたくない。


 帰っても、どうせ、あの家にわたしの居場所はない。


 吸血鬼がギュッとわたしの手を握った。




「ほら、こんな場所にいるから体が冷えちゃってる」




 手を引かれて立たされ、ドレスの汚れを払われる。


 墓地の外まで連れ出されると、シンプルな馬車に乗せられ、吸血鬼が手を離す。




「これだけは覚えていて。僕は君の味方で、君が望めばいつだって僕と会えるから」




 訊き返す前に馬車の扉が閉められる。


 そして、馬車が動き出した。


 どこに行くのかと不安になったが、車窓を眺めれば、馬車はわたしの家ある方向に走り出していた。


 街を通り、ほどなくして馬車は我が家に到着した。


 馬車から降りると御者らしき黒ずくめの男性が小さく会釈をしたので、同じように返すと、馬車は元来た道を戻っていく。


 吹き抜ける風が冷たい。


 気付けば、わたしの手にあったはずのナイフはなくなっていた。


 ……お祖父様の形見なのに……。


 あの吸血鬼が持っていってしまったのだろうか。


 馬車の消えた方向を見ても、どうしようもない。


 きっと、これから、憂鬱な気持ちになる。


 そう分かっていても他に行く当てもない。


 思わず開きかけた唇を噛み締める。


 ……無駄な期待はやめよう。


 誰も助けてはくれないのだから。


 溜め息を吐き、わたしは家の門を潜ったのだった。








 

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