第09話 休暇
「砦にも休暇なんてあるんですね」
馬の手綱を引きながら脇を歩くノアを、アナベルは見下ろしていた。
「正確には監査だ。
辺境の砦は中央の目が届かないため、不正の温床になりやすい。
山向こうの砦は、数年前に隣国から麻薬を密輸していたことがバレた。
主犯格の上級騎士は、騎士の地位を剥奪して、縛り首。
従騎士二人が奴隷に落とされ、兵士達は鉱山での苦役」
サラッと続けられた内容に、ノアが蒼白になる。
流石に刺激が強かった、とアナベルは反省した。
二人しかいない砦は、今、冬籠り前の監査が行われていた。
抜き打ちで行われる為、伝令兵が持ってきた司令を見てすぐに行動に移す。ほとんど着の身着のままで街に向かっている最中であった。
一応、下級であっても騎士叙勲を受けているアナベルは馬上にいる。
兵士のノアは、まるでアナベルの従者のように、馬を誘導していた。
「まぁ、うちの砦は貧乏で有名だし、ここ数年、困ったことは一度もない。
監査期間は街に出られるから、買い出しもできるし、休暇も兼ねているしで、いいことづくめだよ」
精一杯盛り上げようと、明るく喋り続けると、ノアがようやく笑ってくれた。
街に入ると、最初に兵舎を訪問する。
辺境の防衛拠点も務めている街の兵舎は、田舎にある割にはしっかりとした石造りの立派なかまえだ。
例年であれば、アナベルは監査の間を兵舎で過ごすことにしていた。
騎士隊長に報告書を提出し、あとは呼び出しがあるまで休暇を楽しむのだ。
珍しい女騎士だからと絡んでくる男どもがいないわけではないが、アナベルはそういう点で有名だ。
迂闊に手を出すとアレをつぶされる、と、まことしやかに囁かれている。
それが今年は、見せつけるようにこそこそと何事かを言い合い、アナベルが視線を向けると顔を背ける。
そしてまた、アナベルの視界の端で、指さすのだ。
意味がわからない。
そもそも、身近に女性がいないアナベルは、女々しさへの免疫が皆無だ。
「何なんだ、あんたら。言いたいことがあるなら、堂々と言いな」
アナベルが吠えると、周囲は静まった。
「……盗人のくせに……」
誰かの呟きが耳に届く。
ノアがビクッと背を震わせた。
それに調子づいたように、卑怯者たちの声が大きくなる。
「軍の金を盗んで、のうのうと生きてるなんざ、見下げ果てたやつだな」
「苦役程度で済むなんて、上層部に囲っていたやつでもいるんじゃないか?」
「確かに、顔だけ見りゃ、女だもんな」
「可愛い後輩の顔を褒めてくれて、ありがとよ」
「なっ?」
アナベルの重い拳が、陰口を叩いていた片方の腹に吸い込まれる。
残った一人は慌てて逃げようとしたが、それよりも速く襟首を掴まれ、右ストレートが頬をえぐった。
悶絶する二人の兵士を前に、居合わせた全員が口を噤む。
手をパッパッと振りながら、アナベルはノアが砦に飛ばされてきた理由を思い出す。
横領。
しかも、元は王都の所属だ。
敵愾心の原因は嫉妬か、異分子への反発か。
「あんた、本当にやったのかい?」
普段のノアを見ていて、横領とは似合わないと感じた。
自供がある、と報告書には書いてあった。
しかし、こんなに働き者で正直者であれば、無実だろう。
まぁ、そもそもの最初から、ノアを横領犯とは思っていない。
どちらかというと、アナベルの足を引っ張るために送り込まれた、善意の素人だと思っていた。
俯いたままのノアは、首を横に振った。
「信じてもらえないかもしれませんけど」
少年の声には震えと諦念があった。
まだまだ子どもっぽさを残した後頭部を鷲掴み、わしゃわしゃとかき回した。
「あ、アナベルさん?」
「なぁ、ノア」
アナベルはノアと肩を組み、涙目になっている少年の顔を覗き込んだ。
羞恥に頬を赤らめる様は、可憐の一言だ。
顎を救い上げ、すぐに下げようとする目線を自らの目と合わせる。
「よく聞くんだ。
人間は誰だって、間違いを犯す。状況次第で、罪だって犯す。
でも、そういう罪はその人の本質に近いところにあるもんなんだよ」
「……本質、ですか?」
涙をたたえた綺麗な目にアナベルを映し、ノアは首を傾げた。
「そうだ。
数か月あんたと過ごしてわかったことがある。
あんたは真面目で、働き者だ。
他人のために体を動かすことも、厭わない。
そういうあんたが罪を犯すとすれば、それは、横領なんかじゃない」
「へ?」
横領とは、自分本位で行われるものだ。
家族のために。恋人のために。貢ぐために。
そういう理由で行われる横領でさえ、根っこのところは自分本位だ。
横領は、ノアと結びつかない犯罪だった。
「あんたが嘘をつくとしたら、それは自分を騙すためだろう。
大変で、つらい中でも、あんたは大丈夫、平気、と嘘をつく。
あんたが意図して罪を犯すとしたら、それは誰かを生かすためだろう。
神の供物を盗み、飢えた人に渡すように。
そして、あんたは嘘をつくんだ、自分が食べた、とね」
ノアの目から、雫がポロリとこぼれる。
アナベルはそれを親指で拭ってやる。
「あんたがやってないというなら、私はそれを信じる。
あんたを知らない百人が何といおうと、私自身が見てきたあんたを信じるよ」
「アナ……アナベル……さん、僕……」
供述書には、ノアのサインがあった。
あのサインをさせるために、どれほどひどい扱いをされたのだろうか、と思う。
恐らく、拷問に等しいことが行われたはずだ。
アナベルは、腐敗した軍のひどさを十分理解していた。
「街にいる間は宿をとろう」
「贅沢じゃないですか?」
「それくらいは、大丈夫さ」
心配そうなノアに余裕の笑みを見せ、さっさと兵舎を出る。
これ以上、ノアを辛い目に合わせたくなかった。
宿をとり、美味しく夕食を食べ、それぞれの部屋にひっこんだあと、アナベルはこっそり宿を出た。
夜中にもかかわらず、喧しい街の中心部にある、とある酒場に入る。
きょろきょろと見まわすと、やたら景気よく女二人を侍らせた男を見つけた。
アナベルはその男の背後に近寄り、にこやかに微笑んで見せた。
「よぉ〜、ローエン~、五日ぶりだなぁ?」
ローエンと呼ばれた行商人は、文字通り、イスの上で飛び上がった。
「あ、あ、アナ、アナベル! どうしてここに!」
雲行きの怪しさを感じた商売女二人は、素早く遠ざかる。
彼女らに向かって伸ばした手は、アナベルによって強引な握手にされた。
「いたたたたっ! 痛い! なんで俺がこんな目に!」
「そりゃぁ、ちょっと考えればわかるだろう? ローエン?
ノアがおまえさんに売ってやった草、もっとずっと高価だったんだろう?
皆迄言うな。全部わかってるさ。
ケチなおまえさんが、こんなド派手な祝勝会をしてるんだ。
適正価格で買い取ってもなお余りあるほどの利ザヤがあったんだろうさ」
先ほどまで、高級酒を片手に鼻の頭を赤くしていたはずの男の顔から、血の気がどんどん引いていく。
アナベルはできるだけフレンドリーに見えるように笑って見せた。
ローエンの腰が抜けた。
「私は別に、あんたを詐欺師でとっ捕まえたいわけじゃないんだ。
仲良くしたいのさ。
勿論、友人の証に、ちっとばかり頑張ってほしいことはあるがね」
「……相変わらず、性格が悪いな」
逃げられないと知り、ローエンは椅子に座り直す。
アナベルも、ローエンの向かいに腰を下ろした。
「で? なんだよ、頑張ってほしいことって」
「……話が早くて助かるよ、ローエン。
あんた、これから王都に行くだろう? 行くはずさ。その草が高く売れるうちに売っぱらっちまいたいだろうからな。
そこで、頼みたいんだが……」
後日、ローエンはこの時のことを、こう語った。
「男女二人だったのに、色気はどこにもなかった。
目の前にいるのは血に飢えた虎だった」と。