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辺境日誌  作者: 東風
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第08話 嫉妬

 ひととき暗かったアナベルが、ここのところ、かなり精力的に動いている。

 「二人で一冬分だからね」

 そう言って笑う顔は明るいが、ふとした拍子に暗い影が指す。

 表情の意味を探ろうとじっと見返しても、ふ、と視線をそらされてしまう。

 ノアは、砦に来たばかりのころ以上の、居心地の悪さを感じるようになっていた。


 「どういうことなんでしょう? 不満があるなら、どうして僕に言ってくれないんでしょう?」

 いつもよりも多めに牛糞を貰いに来たノアは、トム爺さんを捕まえて、問いかけた。

 アナベルは、州都からきたという伝令兵と何事か話し合っている。

 それを横目に、ノアはプンスカと頬を膨らませていた。


 「おまえさんも、随分、体つきがしっかりしてきたじゃないか」

 ノアの質問に答えず、トム爺さんはノアの肩をガシガシと叩いた。


 確かに、砦に来て数か月、ノアは急速に成長を始めていた。

 身長も伸び、筋肉も付き始めている。

 アナベルにも褒められて、すべてはノアの自信になっていた。

 なのに、何故か不安が付きまとう。


 「そうなんですけど。

 最近、アナベルさんが目も合わせてくれないんです。

 冬支度だと言って、日中も帰ってこないし……。

 トム爺さんはアナベルさんとの付き合いが長いですよね?

 どういうことだと思いますか?」

 「おぅ、そうだ、こうしちゃいられない。用事が……」

 「逃がさないですよ」

 にっこり笑って、トム爺さんの肩を掴む。

 はた目には、お互いの肩を組みあっている、中のいい二人組だろう。

 だが、一人は何とか離れようとし、もう片方は逃がすまいとしている。


 通りずがったベル婆さんは、可愛がっている牛と一緒に、二人に頭を下げて通り過ぎていった。


 「そういえば、村がすっかり寂しいですね」

 限界集落とはいえ、あちこちで畑仕事をしている老人がたくさんいた村が、静まり返っている。

 ノアが周囲を見回してみると、それぞれの家は板を打ち付けられ、扉も窓も塞がれていた。

 ノアにつられて首を巡らせたトム爺さんは、丸太の上に座り込み、つるりとした額を撫でた。

 「そりゃそうさ。冬は街で皆、過ごすからな。

 こんな厳しいところで通年を過ごそうっていう酔狂なのは、砦の脳筋どもくらいさ」

 「へぇ、そうなんですか?」

 幼年期を過ごした田舎は、雪も降らない南方であったし、軍に入ってからはずっと王都暮らしだ。

 ノアは、今以上に寒くなるということが、うまく思い描けない。

 「何日も続く吹雪、道は雪で埋まって一寸外せば崖下だ。

 食料も燃料もたっぷりあったところで、煙突が雪で埋まっちまえば、毒の空気で眠るように死んじまう。

 あんな所に何年も独りでいたんだ。

 アナベルは、人との付き合いがわからなくなっちまってるのさ」

 唐突に、しかも強引に話が戻され、ノアは息を呑んでトム爺さんを見返した。

 トムは、シワに目を埋めながら、アナベルを眺めていた。

 誘導されるように、ノアもアナベルを見つめる。

 しっかり着こむようになったため、見事な背筋やしなやかな上腕二頭筋は全く見えない。

 それでも、すっと伸びた背中から緩やかに伸びる指の先まで、ノアにとってのアナベルは、どこをどう切り取っても絵になった。


 伝令兵と頭を寄せ合い、何事かを言い合っている。

 「……なんだか、近すぎませんか?」

 「あぁ? 何が?」

 「あの伝令とアナベルさんです。

 ……知り合いですか?」

 トム爺さんは首を傾げ、目をほそめたりを繰り返したあと、ぽん、と手を打った。

 「そうだな。ありゃぁ、二年前からの知り合いだ。名前は何だったか……。ジョンとかポールとか、有りがちなやつだった気がするが……」

 「ジョンかポール……」


 伝令は、腰のポーチから取り出した地図を広げ、その中の何箇所かを指差す。

 栗色の巻毛の、いかにも田舎にいそうな青年だ。

 純朴といえば聞こえはいいが、アナベルと並ぶには野暮ったすぎる。

 ノアよりも派手に散ったソバカスも気に食わない。

 あんな田舎臭いソバカス男でいいなら、自分が横にいるほうがましなのでは?

 想像してみる。

 自分の背がもっと伸び、アナベルが背を屈めなくても頭を寄せ合うことができる。

 最近は滅多に見せてくれない、唇のはしを持ち上げるニヒルな笑みを、間近で見る。


 変な方向に思考が走り、ノアは頭を振った。

 急に顔が熱を持った気がした。

 横を見ると、トム爺さんがニヤニヤと笑っている。

 「どうしたんだ、坊主?」

 「なっ、何でもない! ……です」

 張り上げた大声に、アナベルが気づいて心配そうに首を傾げたものだから、ノアの言葉は急激に力を失った。


 ジョージだかリンゴだかが、アナベルの横腹を小突く。

 アナベルは苦笑しながら地図にもどる。

 ショーンだか何だかが強引に肩を組もうとし、今度はアナベルが男の尻を蹴り上げる。

 それは,ノアが入ることを許されない、親密な関係に見えた。


 ギュッと腹の底が重くなる。

 喉の奥が熱い。

 叫びたい。

 アナベルの名を呼び、あの呆れたような、笑みを含んだような眼差しを自分に向けたい。


 これを、この暴力的な衝動を、なんと言えばいいんだろう。


 「嫉妬だな」


 トム爺さんの言葉は、はっきりとノアの胸を刺した。

 思わずトム爺さんを睨みつけると、老人はツルッとした額をなで上げ、わざとらしく嘆息して見せる。

 「まぁ、俺がどうこう言える問題じゃねぇんだがな。

 ……アナベルはたくさんのことを諦めてきたんだ。俺は、あの子には幸せになってほしいんだよ」

 普段の若々しさはなりをひそめ、途端に年相応になったようなトム爺さんが、のろのろと切り株から腰を上げた。


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