↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境日誌  作者: 東風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/25

第21話 淡雪

 あの事件により、砦の人数不足に警鐘が鳴らされ、アナベルの部下は大幅に人員増となった。

 また、アナベル自身の指揮能力の高さも認められ、アナベルは女性としては初となる、四つの砦の所有者となった。


 居を街に移し、騎士団と兵士団を従えるようになったものの、フットワークの軽さは変わらない。

 アナベルはその日も、二人の護衛を振り切るように馬を駆り、トム爺さんの元を訪れていた。


 「おまえさんなぁ、一人はやめろと言ったじゃろ」

 「訓練された護衛のはずが、私に追いつけないというのがおかしい。

 大丈夫だ。ここに来ることは教えてある。

 しばらくすれば、追いついてくるだろう」

 生姜を入れたホットワインを軒先で貰い、アナベルは豪快にあおった。


 空からちらちらと落ちてくる雪は、地面に触れた瞬間に消えていく。

 春は近い。

 それにしてもとなりの爺さんがうるさい。

 「そんなんじゃ、婿の来てもなくなるぞ」

 並の男よりも格好良く、強いとなっては、アナベルに言い寄るのは女ばかりだ。

 アナベルはニヤリと笑った。

 「嫁候補は何人もいるんだがね。

 まぁ、いざとなったら養子をとるさ。

 私はもとより、血統でこの地位を手に入れたわけじゃないし」


 もう、三十歳が間近に迫っている。

 部下たちは、この規格外の女騎士に何とか結婚してもらい、前線からは引退してもらいたいと思っているらしい。

 そのため、アナベルと親しいトム爺さんのところにまで、アナベルを説得してほしいという依頼がひっきりなしに来ていた。

 とは言っても、自分が結婚したい、という猛者は現れていない。

 誰かいい人を見繕ってあてがってほしい、というのが大方の部下たちの気持ちだった。

 そうすれば、落ち着いて執務室にとどまってくれるのではないか、と一縷の望みを託して。


 「婿候補だって、一人もいなかったわけじゃなかろうに」

 爺さんが恨みがましく見てくるから、アナベルはカップを返し、視線をそらした。


 「誰のことを言ってるのか……」

 「策士アナベル・ロペスをあれほど振り回した男は、あとにも先にも、あいつだけだっただろう」

 「……爺さん、よしてくれ。あいつは王都で華々しくやってるよ」

 「…………儂は誰とは言わなかったはずだがのぉ。

 なるほど、おまえさんの心にあるのは、王都に行ったノア・バーンズか」

 「白々しい……。

 ほら、うるさいやつらが追い付いてきた。

 爺さん、この話はここまでだ」

 アナベルは不毛な会話を切り上げ、息を切らしながら追いついてきた護衛二人に、戻り次第の訓練を申し付ける。


 すでに気持ちを他に向けていたアナベルは、トム爺さんが悪戯っぽく笑っていることには、全く気付いていなかった。


 街に戻り、自分が不在の間に届いた各砦の報告書を受け取る。

 紙束をもって執務室に戻る途中、執事に呼び止められた。


 「アナベル様、宰相閣下からの親書が届いております」

 「またか。何通目だよ。私に見合いだなんて、王都はよっぽど蛮族をこの辺境に増やしたいようだな」

 「そのようなことを仰いますな。隣国がきな臭くなっております。

 辺境を中央につなぎ留めておくため、あちらも必死でいらっしゃるのでしょう」

 コートを執事に預け、封書を紙束に挟み、長いスライドで廊下を渡る。

 執務室に入ると、文官たちが一斉に席を立ち首を垂れた。

 「ん? アーネストの姿が見えないな」

 アナベルが部屋を見渡し、姿の見えない家令を探す。

 文官の一人が、おずおずと手を挙げた。

 「あの、アーネストさんからの手紙がそちらに」

 「手紙?」

 大きな机の上に、真新しい白い封書が一通。


 事務仕事に強い人材は、辺境には少ない。

 アナベル自身、こういった方向にはあまり頭が働かない。

 そのため、アーネストは王都から招へいした優秀な人材だった。

 だが、「水が合わない」「食材が苦手」「武骨で声の大きい人間が嫌い」「すべてが自分の繊細な感性に障る」と何かにつけ文句が多い。

 そこをなだめすかし、たまに脅し、何とか一年半も我慢して使ってきたのだが。


 封を切ると、中から出てきたのは「自分こそずっと我慢してきた。もう我慢の限界だ。王都に帰らせてもらいます」という、一方的な通告だった。

 「奥様に逃げられた暴力夫のようですな」

 横から盗み見ていた執事が笑いをかみ殺して呟く。

 居合わせた文官たちが全員吹き出し、それを変に我慢しようとしたものだから、気管に入って噎せるものも出る始末。

 アナベルが殺意を籠めて全員を睨みつけると、辛うじて無音になった。


 「王都に早馬を出せ!

 婿じゃなくて、優秀な家令をよこせ、と!

 数字に強くて、細かいところにも気を配ることができて、辺境の生活に馴染めて、王都に帰りたがらない奴なら誰でもいい!」

 「かしこまりました。一言一句、その通りに」

 執事と一緒に、文官たちも部屋を出て行ってしまう。


 一人きりになった執務室で、アナベルは椅子に深く腰を下ろすと、行儀悪く足を机の上に投げ出した。

 「ったく。領主なんざ、引き受けるんじゃなかった」

 砦にたった二人っきりだったあの頃が、懐かしい。


 一年にも満たない期間。楽しいばかりではなかったのに、今思うと何もかもがきらきらと輝いて見える。


 青春の甘酸っぱさ、などという幻想が実際にあるのだとすれば、アナベルにとって、二人きりの砦生活こそがそれだったのかもしれない。

 それはここ最近、ずっと胸をよぎる思いだったが、決して口に出してはいけない。


 強い酒で誤魔化しても、記憶がなくならないのがアナベルの強みだ。

 だが、深く酩酊できないことで、胸の奥底にたまるもやもやを追い出せやしない。

 明け方近くにようやく瞼が落ちたアナベルは、朝、自分のベッドでノックの音を聞いた。


 「閣下、王都から家令になりたいと来た者がおります」

 ドア越しの執事の声に、頷きかけて、違和感に思いとどまる。

 夕方に早馬を出すように指示を出し、朝になったらもう家令が届いているとは、いつの間に王都とこの街はそこまで近くなったのだろう。

 それとも、うっかり寝過ごして二日ほど経っていたのだろうか?


 疑問は尽きなかったが、優秀な家令であれば追い返す手はない。

 「そいつは使えそうか?」

 「紹介状を確認しましたが、かなりの実績があります。推薦状を書いていらっしゃるのも名だたる方々です」

 「この辺境の生活に文句はなさそうか?」

 「昔、このあたりにいたことがあるとか。食生活にも十分理解があるそうです」

 「王都にあるような文化はここにはない。遊び歩くのが趣味なら、ここを我慢できないだろう」

 「昔ある女性に心をささげたとかで、今でもその方に操をささげていらっしゃるそうです。

 遊び歩くことはなさそうな、誠実な方のようです」

 「わかった、採用だ」

 「ご覧にならなくてもよろしいので?」

 「今言ったことが全部真実なら、何も問題はない。なんとしても引き留めろ。

 雇用条件は、できるだけ譲歩しろ」

 ここまで来て、執事が一瞬沈黙する。

 寝起きのアナベルは、それを深く考えなかった。

 「思いをささげたご婦人との仲を取り持っていただきたい、とのことです。

 それが唯一の条件だとか」

 ……随分とロマンチストなんだな、と思ったが、「相手が既婚者でさえなければ、最大限の努力をする」と伝えた。

 再び沈黙が落ちる。


 ようやく、アナベルはおかしいな、と感じた。

 件の人物は、執事の隣にいるのではないか?

 ベッドから降り、ガウンを身にまとってドアに近づくと、思った通り、執事と誰かが話す声が漏れ聞こえる。

 礼儀にうるさい執事が、家令候補とはいえ、採用前の人物を主の寝室前まで連れてくるだろうか?

 これはもしかして、……謀反か?

 アナベルは音もなくベッドに戻ると、枕の下に敷いていた剣を握った。


 「その条件で飲むそうです。契約は成立ですね。

 契約書は後程お持ちしますので、目を通してください。

 新しい家令は書斎に通しておきますか?」

 「そこにいるのだろう? 今すぐに会おう」

 警戒しつつ答えると、執事はあっけらかんと、「では置いていきます。私は忙しいので」と答える。

 遠ざかる規則正しい執事の足音。

 ドアの前には、誰かの気配。

 落ち着かないのか、体を不安定に揺らしているようだ。

 「入れ」

 扉の陰になるように立ち、剣を鞘から抜く。

 ゆっくりと、重いドアが開いた。

 「あの……」

 鞘が床に落ちるよりも先に、閃かせた剣を喉元に突き付ける。

 それから、わずかに聞いた声に懐かしさを覚えた。


 「アナベルさん……」

 「これは、夢か? 私はまだ、寝ているのか?」

 銀色に輝く刃に、困ったように首を傾げるノアが映っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。