第01話 来客
久々の連載です。
22話で完結します。
カラン、カラン、カラン……。
高い空へ響き渡る甲高い音に気づき、アナベルは帽子のつばを持ち上げた。
しばし目を閉じ耳を澄ませると、聞き間違いようのない板が打ち合う音。
「おかしいな、爺さんは五日前に来たばかりなんだが」
指折り数えても、来訪者がいるはずのない日数だ。
アナベル・ロペスは嫌な予感を覚えながらも、慌てて山を下りた。
ここは辺境の末端。
隣国との国境にある山深い場所だ。
頂には物見の塔が設置され、そこには国境を警備するべき騎士が常駐する。
国境に異変があれば、物見の塔は狼煙で異変を周囲に伝達し、同時に最前線が出来上がるまでの障壁とならねばならない。
いわば捨て石とも言うべき場所だが、同時に大切な守備の要でもある。
志高い騎士が日夜警邏に当たっている……というのは昔の話。
この国境近辺がにぎわったのは五十年近く前。
今では、経済の拠点を海側に奪われ、山間の道路は打ち捨てられて久しい。
隣国との交易も、より南下した場所にある川を使っているため、この国境地帯は無用の長物。
木材以外の主要産業がなく、近場の村でさえも徐々に廃れて遠ざかっていく始末。
アナベルが赴任する前から、一番近い村は老人だらけの限界集落となっていた。
おかげで、王都近辺では、物見の塔への配属を左遷と同義に捉えられ、問題ある騎士や兵士の流刑地となり果てていた。
軍規に従わない兵士、違法な犯罪に手を染めていると噂される騎士、上が扱いかねる騎士。
七年間。アナベルの他にも六人の騎士や兵士がこの地に流れてきたが、その誰もがここに居つくことはできなかった。
アナベルを除いて。
沢で手と顔を洗い、改めて反対側の尾根を目指して山を登る。
息を切らすことはないが、汗でまとわりつく髪を首の後ろで縛り直し、獲物を改めて固定した。
先ほどまで響いていた音はとっくの昔に止んでいる。
客人がすでに去った可能性も考慮しながら、アナベルはそれでも一応、急いだ。
獣道すらない草むらから飛び出すと、すぐそばで「うぎゃっ!」という男性の声が聞こえた。
すわ、敵襲か? とアナベルがショートソードを抜き放つと、今度は「ひえぇぇっ!」と力ない悲鳴が響き、アナベルの視線の先で、力なく地面に座り込んだ少年が見えた。
柔らかな茶髪は少年の気性を表すかのように真っすぐ流れ、首にかかったところできれいに切り揃えられている。大病のあとのように白い肌。新緑のような緑の瞳は大きく見開かれてアナベルを凝視していた。
そばかすの浮いた鼻の下で全開になった口には、それをふさぐように両手が添えられていたが、指の隙間からぜーはーと呼吸音が漏れていて、無駄でしかなかった。
まだ子どもだ。十ニ、三歳くらいだろうか?
若枝のように細く頼りない手足、体も成長途中の薄さ。
ほとんど汚れのない正規兵のユニフォームに、真新しいショートソードの鞘。
アナベルが自分より年下を見たのは、実に七年ぶりであった。
最寄りの村の最年少は六十四歳、孫もいる爺さんだ。
「誰だ、君は?」
ショートソードを鞘に戻しつつ問いかけると、少年は地面に座ったまま、後ずさった。
「あの、怪しいものでは……あの、だから…………殺さないで!」
「は?」
戸惑って一歩近づいたところで、少年は「あ」と声を漏らした後、ゆっくりと後ろに倒れていった。
「おい、君!」
あっさりと気絶した少年を前に、アナベルは自分がどう見えるのかなど考えてもいなかった。
背中に首を切り落とした鹿を背負い、背中もズボンも血まみれだ。
申し訳程度に沢で洗ってきた手はキレイだったが、よく確認しなかった顔はあちこちにまだ血が飛び散っている上、真っ黒な癖毛には小枝や葉っぱが絡まっている。
粗末な貫頭衣にかぎ裂きだらけのズボン。
右手には抜身のショートソード。
どこからどう見ても、山賊だった。