23:夫婦であれば、その死も共に
「⁉」
とんでもない匂いが鼻孔を刺激して、俺は飛び起きた。
「ベリル様、目覚めました!」
スピネルの声がして、切羽詰まった顔のベリルが視界に入ったと思ったら、いきなり熱烈に抱きしめられていた。
ベリルの弾力があり柔らかいバストが顔に押し付けられている……。
俺は何が何だか分からないが、このとてつもないラッキーな状態を享受することにした。
何もせず抱きしめられたままでいると……。
「お前はなんて向こう見ずな奴なんだ」
ベリルの声は震えていた。
その瞬間、俺はベリルの胸を堪能している場合じゃないと気づいた。
なんで俺は今、ベリルに抱きしめられているんだ……?
「ベリル様、その状態ですと、拓海くんは話すことができないかと」
スピネルの言葉にベリルの腕の力が弱まり、そしてゆっくり体が離れた。
「ベリルお嬢様、ロードクロサイト様がお呼びです!」
開いたドアの前にはアレンがいて、その背後には廊下を警戒するバーミリオンの姿が見えた。
「参りましょう、ベリル様」
部屋にヴァイオレットもいたようで、ベリルの背に手を回した。
「スピネル、拓海のこと、頼んだぞ」
ベリルはそう言うと俺のことを慈しむような眼差しで見て、ヴァイオレットと共に部屋を出て行った。
「あの、スピネル、俺……」
「その様子だとブノワの魔術の直撃を受けたこと、覚えていないようね」
「⁇」
スピネルはグラスに入った水を俺に渡すと、何が起きたのかを教えてくれた。
◇
決闘の勝者がベリルと決まった瞬間、ブノワは自暴自棄になった。
勝負は広場に海が満たされた時点で、ついていたも同然だった。
だが、それでもブノワはブルーノ家の一員。
おいそれと負けを認めるわけにいかない。
だからそれなり頑張った。
絶対に勝ち目のない戦いと分かっていたのに。
そして負けた。
まさかケルベロスが丸呑みされるなんて、想定していなかったことだろう。
それでもケルベロスが丸呑みされた瞬間に帰還魔術で戻していた点は、さすがブルーノ家とスピネルは評価していた。
しかし……。
勝者となったベリルには、熱狂的な拍手喝采が送られたのに、ブノワに対して見向きする者はいなかった。観客席にいたブルーノ家の多くの者が帰り支度を始めていた。
彼の両親や兄でさえ、ブノワのことを見ようともしなかった。
背後にいた女騎士はお互いに顔を見合わせていた。「新しい主を見つけなきゃ」と言っているように感じたと、捕らえられたブノワは語っていた。
ともかくすべてのヴァンパイアから見捨てられたと感じたブノワは、その原因を作ったベリルに怒りの矛先を向けた。
今日のベリルはこれまで見たことないほど輝いていた。
知性、力、美貌、財力、名声――そのすべてを持ち、今一番光り輝くベリルに、ブノワは強い妬みを覚えた。
本当はベリルとは夫婦になるはずだった。
夫婦であれば、その死も共に。
ブノワは勝手にベリルを殺し、自分も死ぬというシナリオをその場で作り上げ、残っていた魔力を総動員した一撃を放った。
その時、衆目の関心はベリルにあり、ブノワを見ている者なんていなかった。
それに決闘の場で、決着がついた後、さらに相手へ攻撃を加えるなど、許されない行為だった。もしこの禁忌に触れれば、魔力は封印ではなく奪われる。
つまりなんらかの恩赦で幽閉を解かれ、街へ戻ることができても、もう二度と魔術は使えなくなるのだ。さらにその罪の重さによっては、魔力を奪われ、国外追放となる可能性もあった。
魔術がないヴァンパイアは人間でも倒すことができた。
離れた場所から飛び道具で攻撃された時、魔術で防御できなければ、ヴァンパイアは簡単に人間に倒された。飛び道具の前では自慢の怪力も無力だった。
ゆえに、魔術を奪われることは、ヴァンパイアとしての死を意味していた。
だから決闘の場で、このルールを破る者はいなかった。ゆえにブノワが魔術を放つなんて、誰も想像していなかった。俺がそれに気づけたのは奇跡だとスピネルは言った。
この世界での決闘のルールを細部まで把握していなかった俺だから、ベリルが攻撃されていることに、三騎士よりも早く気づくことができたのだと。
ただ、そこからの行動はとんでもないものだったとスピネルは指摘した。
なぜなら俺が身を挺してベリルを守ろうとしたからだ。
俺は魔術を使えるわけでもないただの人間だ。生身の体でブルーノ家の次男が放つ魔術を受けるなど、あり得ないことだった。魔術が作用した瞬間、骨もろとも消えていただろう、とスピネルは言うのだが……。
実際のところ、俺は無傷で生きていた。
ベリルが何かしたわけではない。ブノワの攻撃に気づいたベリルは、防御魔術を展開している最中だった。そこに俺が抱きついた。
だから俺は魔術を思いっきり自分の背中に受けていたのだが……。
いや、魔術を受けたからこそ、気絶したわけなのだが……。
ひとまず気絶した俺は観客席のそばにある救護室へ運ばれた。
すぐに病院へ搬送しなかったのは、魔術を受けていれば即死、遺体は残らないはずなのに、俺は見る限り無傷でそこにいたからだ。もしかしたら魔術を避けたのかも知れないと、救護室にいた医師とスピネルは検査を行った。
すると背中に魔術の痕跡は確かにあった。だが魔術による怪我はなかった。
つまり俺はただ、気絶しているだけだった。
だから気付け薬を使い、起こしたのだとスピネルは言うと、話を締めくくった。






