7(お役御免)
*
呼んだのは村長だった。棟梁もいる。「絵を描くと聞いたが?」
「表装もできますが」治郎は胸を張った。
村長は笑った。「頼まれてくれんか」
「えッ」腰が退けた。「何分、器用貧乏です故」
「遠慮しているのか」村長は治郎の背を叩いた。「島に渡っているのは知っている」
まぁ、別に隠していない。
「ウワバミは元気か」幼少の頃はしょっちゅう会えたが、何時の頃からぷっつりと姿を見なくなった。そう云うものだと村長は分かっていた。だから、この風来坊は、ちと違うと確信があった。
風来坊は云い難そうに、「目が、大分悪いようです」
「そうか」村長はしんみりした。
申し出を、治郎は一度は辞退した。土地の者でもないからだ。しかし、村長も棟梁も、皆、別段、気にしていない。それが彼を困らせた。
話は島の主にも届いてた。まぁ、別に驚くことでない。
「いいじゃないか」描いてやれ、と、娘に促され、四曲一双を奉納することになる。もちろん、直ぐに描き上がる物でない。それは島を後にし、二年後、届けられた。
──何が描かれていたかって? それがねぇ、焼けちゃったんだよ。
戦争か震災か。祖母の話からは分からなかった。
*
晦日とは、月の満ち欠けの一巡りであり、なかでも一年の最後を大晦日と呼ぶ。新暦では、月の齢にずれが生じる。漆塗りの朱盃に、そうっと酒が注がれた。「この酒はもう作られない」娘はちろりを振って、「いよいよ終いだな」
「島を出たいと思ったことはないか」ふと、治郎が訊ねれば、「私は必要とされるところに、ただいるだけ」娘は自分の朱盃にも注いだ。「今夜は特別だ」
「窮屈でないか」
「考えたこともない」それから、「おっと」ちろりを逆さにした。「空のよう、だ」
静かな夜であった。娘は外へ首を巡らした。「明るいなぁ」そして、「満月と聞いている」
治郎も外に目を遣り──言葉が続かなかった。月の冴えに圧倒された。夜空にぽっかりと浮いた銀色のそれは、酒を満たした盃の輝きに引けも取らぬ。どちらが美しいと云うものでない。どちらも、美しいのだ。
ややあって、「私はもう必要ないであろう」と、娘は口にした。「永らく移り変わり見てきたが、今度ばかりはちょいと難しいようだ」
「よせ」
「いいのだ」と娘は遮った。「私が必要であれば、私も彼らを必要としている。それは彼らを縛るものである。もう充分であろう、ひとつ捨て、ひとつ拾う。これにてお役御免だ」
「氏神がいなくなってよいのか」と、問えば、「知るもんか」娘は笑った。
治郎は胸に込み上げるものを感じた。自分がここを離れず、皆に混じってしてきたこと、それは取りも直さず娘の居場所を奪ったことである。
「ここでの私の仕事は終わったのだよ」と、娘はすっかり色の抜けた瞳を向けた。
治郎は娘の手を取り、そっと握った。小さくて、冷たくて、壊れそうで、恐ろしかった。
ごおん、と、除夜の鐘を突く音が、水面を渡って届いた。
「宛てはあるのか」
「探すのも悪くあるまい」
「なかったらどうする」
「漫遊とは、よい言葉に聞えないか」
再び、ごおん、と鐘の音が響いた。
「ヒトの世の習いで考えるな」蛇の娘は云った。「私を見ろ。常識には掛からんよ。だが、ちと不便なのは認めよう。とは云え、それも含めて私なのだ」
月の下で響く鐘の音が、治郎の心を揺さぶった。「漫遊とは、」涙に濡れていることを娘に知られたくなかった。「──よい言葉だ」
「ふム?」
「同行二人と云う言葉もある」
娘は静かに続きを待った。
「旅は道連れとも云う」
鐘はごおん、と鳴り、暫しの間を挟み、ごおん、と続いた。
「莫迦だねぇ」真白い歯をこぼし、娘は笑った。「思い上がりも甚だしい、素直におなり」
──と、云う次第である。
呉服屋には数年に一度、旅装姿の兄夫婦が立ち寄った。弟嫁が亡くなった時は、暫くふたりして逗留したらしい。元号をまたぎ、戦争や震災を乗り越え、大旦那が他界する数日前のこと。一組の若夫婦が訪れた。まだ幼かった祖母は、瞳の色の薄い若妻から、お手玉を教えて貰った。葬儀の合間、祖母は貰った赤いお手玉でひっそり時間を潰したそうな。
ところで母の実家の玄関口に、木彫りの小さな蛇が飾ってある。二匹の蛇が寄り添う、素朴で微笑ましい作品だ。その置物を逆さにしたところで、もちろん誰の銘も何も入っていない。二匹の蛇は今でも仲睦まじく、静かに時を過ごしている。
了
覚書
この物語は、一部は事実を基にしているが、大部分は過度に誇張された架空のものであり、実在する人物及び団体等とは一切関係ないことをここに記す。
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「鬼の首」
剣の達人だったという祖父の祖父は、鬼退治を命じられたことがある。
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