4(御神託)
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娘は石灯籠から立ち上がり、「白髭に会ったか」愉快そうに笑う。「あれも洟垂れで、よく苛められては、メソメソ泣いていたものだ」と、この娘、ヒトでないのをさらりと認めた。しかし、「証拠はない」治郎は云った。
「疑うのか」娘が訊いた。
「いや」どうだろう。「分からん」
「巳年は脱皮できんからな」袂で口元を隠し、「手も足も出なんだ」くすくす笑う。「早く海に山にと千年過ごせ」
娘は治郎をも、洟垂れ扱いする。や、これを相手にしかたあるまい。
「脱皮の度に縞が増えるのか」治郎が訊ねると、「そんなこと知るもんか」娘は笑った。「皴なら増えるだろうな」
ふたりは連れ立って社の表に出た。
「立派な注連縄だろう」娘は得意げに云う。
「ああ」と、治郎は応えた。嘘、偽りのない思いであった。
「あれは蛇の化身だ」娘は顎で示した。「二本の縄で結ってある」
「む?」
「和合だ。繁栄だ」
「雌雄か」治郎は注連縄を見上げていた首を娘に戻し、「巳年の俺に御利益はあるか」
娘は声を立てて笑った。鈴のような上品さと違い、さりとて銅鑼のような粗暴さと程遠い、素朴で飾りのない笑い声だった。治郎の胸の内は、ぽんと跳ねた。
「願うのではなく──、」と、娘は云う。「何が出来るか、成せるのか、訊ねてみればよい」
娘の言に、成程と、納得した。「困ったときの神頼みとは、都合が良過ぎる」
「いいや」娘は否定した。治郎は娘を見た。娘は語を継いだ。「褒美を望むのは、おかしなことでない。それを無下にする神がおるか。こと氏子となれば」
「俺は氏子でない」頭をガリガリと掻けば、娘は、「そうでない」と首を振る。「氏子の為になれば、融通の訳が立つ」
「そんなものか」と、治郎が問えば、「そんなものだ」と、娘は答える。
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村はトカトントン、と鋸を挽き、鉋を掛けて、木を打つ音に溢れていた。社殿を新しく作り直すと云う。「こちら(岸)で作り、向こう(島)で組み立てる」。理にかなった話である。
どうにも土地から離れ難く思っていた治郎は、棟梁に手伝いを申し出た。
「荷運びにぴったりだ」職人たちは笑った。治郎も笑って、しかし、道具を借り、ちょこちょこと細工をして見せると、「よいよい」迎え入れられた。
或る時、村長が棟梁に訊ねた。「風来坊はどうだ」
「まぁ、手にはなる」
「邪魔にならないか」
「まぁ、手先で才を補っている」
「そうか」と、村長は頷いた。
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「千手観音像を見たことあるか」木っ端を小刀で削りながらの治郎の問いに、娘は、「薮から棒だな」小首を傾げる。
「手の数は左右で二十の四十だ」
「それで千とは、鯖を読むにも程がある」娘は呆れたように笑い、今夜も手酌で酒を干す。
「一つの手が二十五人分の働きをする」治郎は続ける。「俺の手は、二十五くらいの事はしてきた。だが、一人前を名乗るには、二十五回の人生が必要だ」
「随分と欲張りなのだな」
「棟梁に云われた。お前は器用貧乏だ。初めてじゃない」治郎は、作り掛けの小さな彫刻を床に置いた。「いつも云われる。器用貧乏」
「いいじゃないか」娘は、ぴしゃりと治郎の手を叩いた。「誰もが器用貧乏になれるわけでもなし」
「だが、モノにならんでなんとする」治郎は、細工を突き、転がした。
「モノにしたいのか」娘は、刀の削った丸みに沿って指を這わせた。
「ひとつくらい、何かを名乗りたいと望むのは──、」
「我儘だ」ぴしゃりと娘は云う。「拘りを捨てられるのなら、きっと佳い物が作れるであろう。無銘の銘も手のひとつ」
「御神託か」と、零せば、「知るもんか」と、娘は笑う。




