1(さかずき)
ヘビの睨み酒(銘事例話・蛇女房)_41±09
話好きだった祖父は、祖父の祖父から聞いただの、父から聞いたものだのと、手当たり次第節操無く、いろいろと語ってくれた。鬼退治やろくろ首、流れ河童との約束(溺れた)、庭の松に茶碗の話だのと、いったい何の関係があると言うのか。まぁ、どんな家にも、二代、三代と遡れば、おかしな話が一つや二つはあるのだと思う。ニワトリとイタチの話は母方の話だった気がする。日本画の大家(美術の教科書に載っている)にまつわる話に至っては眉唾が過ぎる(写真家の話は本当だった)。
いろいろな本を読み、たくさんの物語に触れて大人になると、子供の頃に聞いた話は、その実、祖父が多分に脚色したのでないかと疑った。奇譚、怪談は、幾つかに分類できる。鶴と亀の話は禁忌破り。雪女や狐の嫁入りは異類婚。話の類似性を知れば、さもありなん。祖父は孫を楽しませるため、家系の与太話に、尾ひれと背びれを足したのだ。
姉と妹の子供、つまり甥と姪が揃って小学校に入学するというので、お祝いを包みながらふと、妹の結婚式のことを思い出してゾッとした。もう十年近くも昔のことになるのだ。女紋の入った、ぴっと切れそうな和装の祖母を車に乗せて式場へ向かった(祖父は鬼籍に入っていた)。
披露宴での祖母は、背筋を伸ばし、静かだったが、鏡開きで振る舞われた升酒を、水のようにくいくい飲んで、隣に坐るわたしの分もまた自分のもののようにくいくい飲み干し、そして席を立った。母に言われ、わたしは後を追って式場を出た。
杜氏をしていると言う新郎の実兄(つまり義兄)の贈り物を飲めなかったことは問題でない。ニオイだけで、わたしも参っていたので、外の風に当たりたかった。
どこか休めるところはないかとフロントで尋ねたが、生憎とロビーを利用して欲しいと返答された(式場は小さなホテルだった)。
化粧室から出てきた祖母と共に、ロビーのソファに座って、外を眺めた。ホテルの庭は和風で、青葉が小糠雨に濡れていた。
不意に祖母が口を切った。「あんたの分まで飲んでしまった」ごめんよ、と言う。
だいじょうぶ、とわたしは応えた。「下戸だから」
「それは残念。いいお酒だよ」
「そう?」アルコール系画材のニオイですら酔うような自分に、お酒の善し悪しなんて分かりようも無い。
祖母は、うん、と頷いて、「いや、そうでもないかな」
「どっちなの」
「懐かしくてね。つい〳〵」嬉しそうに笑った。そして、新郎の兄とやらの酒蔵について訊かれたが、答えようもなかった(新しい兄の出席は、仕事柄、叶わなかった)。
「たぶん、あれは」と祖母は続け、どこそこのものだ、と言う。それからふと、わたしの顔を見て、文字通り初めて見たふうに訊ねた。「あんた、誰?」
ボケにしてもひどい。本心だったら、なお悪い。「孫だよ。孫」
「お祖母さんにそっくりなのにな」
「お祖母ちゃんはそっち」
「いいや」と、祖母は首を横に振った。「お祖母さんはね、年を取らなかったのさ」
そらきた。
わたしは真っ直ぐ祖母の目を見たが、それは笑い皴の下に隠れた。
話し好きの祖父と、長年連れ添った祖母である。「その話、聞かせてくれない?」
祖母は笑みを浮かべたまま、「聞きたい?」。
もちろん。決まってるじゃないの。
「あんたが飲めないのはおかしいのさ」と、祖母は、句を詠んだ。
朱盃に 冴え月うつして 島も酔う
出来の善し悪しは分からない。
「冬の月は、冴えるものさ」
祖母の話が本当なら。
わたしの身体には、ヘビの血が流れている。
わたしは、姉と妹の子供たち、つまり甥や姪たちに、いつか聞いた尾ひれに背びれのついた与太話に、さらに尻びれ、胸びれを加えて話してやりたいと思う。
*
和泉治郎は、「和泉屋」の屋号を持つ呉服屋の長男で、自他ともに認める商才のなさに、父から譲り受けたものをそっくりそのまま弟夫婦へ渡し、黙ってついと出奔したり、戻ってきても金の無心をする、どうにも腰の定まらない男であった。背丈は山のようで、幅もある。声は通るし、顎もデカい。ところが見た目に反して手先は器用で、しかし、どうにもそれがアダとなっている容子。
今日は何処其処の普請を手伝う。鋸を挽き、鉋を掛けて、壁を塗る。翌日は檀那寺の庭木を剪定し、庭を掃いて砂紋を引いて枯山水。一昨日は表具屋で描いた絵の表装をした。
どこの親方も口を揃え、「ウデはいいが、モノにならん」。その道一筋であればモノになったかもしれぬと云う、呆れ諦め混じりの言葉であった(器用貧乏は孫の孫に受け継がれた)。
どこそこの茶会だか歌会で、誰それが来られなくなった、代わりにどうか。誘われ、ほいほい出掛ける。「やぁ、よく来た、よく来た」。まったくもって広いが浅い。
外に用がなければ部屋に篭り、細工刀で細々と彫刻をした。根付けや簪、櫛など作っては店先にちょいと置く。クセもアクもケレン味もなく、有り体に云えば無個性な作風であったが、追加しても棚から溢れることはなかった。店と母屋の普請もする。誰それが躓いた、雨漏りがする、戸の滑りが悪い等々、家人がぽろり口にすれば、「おや」いつの間にやら営繕されている。そんな男が恋をした。




