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Lost and Found

作者: 甘いぞ甘えび

 やぶから棒だが、今あなたは道を歩いているとしよう。

 どこを歩いているんだと訊かれたら困るから、仮に通勤や通学に使ういつもの道ということにしておこう。あるいは家の近所でもいい。だが一つだけ条件があって、それは多くの人が利用する道であるということだ。多く、と言っても別に休日の渋谷駅前や歌舞伎町ほど多くなくていい。十人、あるいは五、六人でもいい。それくらいの人数が歩いているような道だ。

 あなたは道のあっちからこっちへ向かって歩いていて、わたしはそっちから向かって歩いている。途中に信号なんかもあったりするが、曲がったり立ち止まったりはせず、いつものペースでてくてくと歩いている。

 そこでふとわたしは足を止める。周囲を似たようなスピードで進んでいた人々は少しだけ迷惑そうな顔をしながらわたしを迂回し、進みたい方向へと歩き続けていく。誰一人として立ち止まったわたしに合わせて一緒になって止まる者もいない。当然だ。そんな所で立ち止まる理由なんか何一つないからだ。

 と、まぁふざけるのもいい加減にして、先に進むことにしよう。何度も言うようだが、あなたは道を歩いている。周囲には同じように目的を持って歩いている人々がいて、あなたはその一環だ。

 歩いていたあなたはふと何ともなしに足元に目を向けて、何か違和感を覚える。これ、と指を指して示すことのできない類のその違和感に、あなたは一抹の不安と、どこかへ遠出する前日のようなワクワクした気持ちを感じる。

 何だろう、と内心首を傾げていると、地面に何かが落ちていることに気がつく。ゴミか落し物かと考えていると、それがなんとなく矢印のような気がしてくる。いや、間違いなく矢印である。

 なんでそんなものがこんな所に落ちているのだろう、とか、あの矢印はどこを向いているのだろう、だとか、そもそもあんなもの昨日はあそこになかったぞ、とか、恐らくあなたは色々なことをほとんど一瞬のうちに考えるだろう。そしてその問いの半分以上に答えは出ない。そうと分かっていながらもあなたは問わざるを得ない。というか、訊きたくて仕様がない。

 矢印の周囲には何かその存在理由を示すようなガイドや説明書はなくて、ただどこか一方方向を見つめ続けているただの矢印があるだけだ。のとやじりから構成される、いわゆる一般的な矢印。

 反射的にその矢印が指している方向に顔を向けて、そこには何もなくて、その先には巨大オフィスビルの生垣やら、地域のゴミ集積場があったりするだけで、特別矢印をつけてまで見せたいものがあるわけではない。もしかしたらそこにはとても巨大な秘密が隠されているのかも分からないが、少なくともあなたにはそれが分からない。

 もしかしたら何かのキャンペーンイベントでもやっているのか、それともテレビの撮影でもしているのかも知れないと思いついてみるものの、その矢印の周囲はおろか、歩いている道の前後にだってそんな気配は感じられない。マジックミラーのマイクロバスもいなければ、大量の機材もない。

 思わず隣を歩いている人の顔を盗み見てみる。しかしそこには期待したような反応はなく、ただ普通に道を歩いている通行人その一だ。矢印には気がついていないのか、はたまたそんなもの気にしても仕様がないのだと割り切っているのか、チラリとも矢印の存在を感じさせない。

 もしかしたら矢印に見えているそれは、実は矢印に見えるだけのほかの何かかも知れないと仮定してみるが、やはりどう考えても矢印にしか見えない。というか、それを見つけた時点でそれを矢印と認識してしまったことがそもそもの失敗だろう。点が三つあるのを見て人の顔に見えてしまうのと同じで、棒の先にくの字がくっついていれば矢印に見えてしまうものなのだ。

 とはいえあなたはその矢印がそこにあったと気付いたとしても、特に何らかのアクションを起こそうとは思わないはずだ。立ち止まってよくよく見たところでそれがそれが矢印で、どこかを指していることは変わりはないのだし、拾い上げて誰かが落としましたよと声をかけてみたところで持ち主が出てくるとは思えない。あなたに出来ることはと言えば、ただ黙して目的地に向かって何もなかったかのように歩き続けることだけ。

 もし道を歩いている他の人もその矢印に気が月、これは一体何なんだと叫び始めればあなたも一緒になってこりゃあ一体どこを指しているんだと声を上げることができただろう。だが実際には誰しもが同じように口を閉ざしてその存在を視界から抹消し、いつもどおりを見せかけて歩き去る。

 きっとこの道をもう一度通る頃にはその矢印はなくなっていることだろう。矢印を見て不思議に感じた人はそう考えたことだろう。道というのは公共的な場所で、定期的に人の手が入るものだ。ゴミが落ちていれば回収され、ゴミ箱に捨てられる。そうなってしまえばもうその謎の矢印を見ることも、どこを指しているのだろうと疑問に思うこともなくなってしまう。

 かといって、今ここであの矢印を拾い、持って帰ったとしてもやり場に困る。矢印というものは本来どこかを指しているものなのだし、拾って持って行ってしまうのは些かルール違反というものだろうという気もする。少なくとも、それはその矢印がどこかを示しているということが前提ではあるが、矢印を持ってきてここにわざわざ置いているにも関わらず、どこも示していないというのもおかしな話だ。まぁそれもこれも、その矢印が誰かの落し物ではないと仮定した話だ。

 矢印を落とす人というものはどういう人なのだろうかというところまで考えが及ぶ。矢印を日常的に持ち歩く人というものがどれだけ存在しているのか知らないが、そういった人々のうち誰かが持っていた矢印が、何らかの弾みでそこに落ち、その矢印はランダムな方向を指し続けることになる。

 一度所有者の手を離れた矢印はゴミとして扱われてしまうのだろうか、などという下らない考えに取り付かれてしまう前に、矢印から注意を逸らそう。矢印はゴミになったとして何ゴミなのか、燃えるゴミか、それとも資源ゴミなのか、なんて考えていても仕方はない。しかし、わたしとしてはリサイクルに回して欲しい気がする。文字も何も書かれていない矢印なら、リサイクルして再利用したとしても問題は起こらないだろうから。

 ということで、あなたは道を歩いている。余計なことを付け加えるのなら、誰かが落とした、あるいは何か目的を持ってそこに置かれた矢印のある道を、あなたは歩いている。

 そこにあったのが財布や定期券、携帯電話の部類だったら、あなたに限らず多くの人がそこで足を止めて拾った可能性は大いにありうる。しかしながらそこにあったのは見紛うことのない矢印そのもので、そこを歩いている人々の誰一人として矢印の正しい扱い方など知らなかった。だから、それはそこにあり続けている。少なくとも、道を掃除しにやって来る清掃業者が来るまでは。

 しかし個人的にだが、矢印がそこにあるのならば、偶然にしろ必然にしろ、どこかを向いてそこにある以上、何かを示していて欲しいものである。例えば、そこには時空間ワームホールがあるから注意されたし、といった具合に。

〈了〉

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