第3章 おはよう、世界
俺は「タクト」と名付けられた。
傷が癒えた俺を迎えに来た母親は、俺を連れて自宅へと向かった。
家の中には、厳格そうな父親らしき人間と、数人の子供がいた。
出産直後は視界が朧げでよく見えなかったのだが、母親には家庭内暴力によるであろう傷痕が生々しく残っていた。
恐らくは、夫によるもの。
子供に手をあげる親がいるんだ、夫婦間で殴り合いをするのも別に珍しくはないのだろう。
よく見ると、子供たちにも出血の痕が滲んで見える。
ここまで見て、この家庭内におけるパワーバランスがよくわかる。
間違いなく、父親が頂点に君臨し、その配下に母親、子供たちと並ぶ。
子供の出血痕から察するに、親からは日常的に暴力を受けている。
傷痕がまだ新しいからだ。
俺の兄・姉になるであろう、子供たちの惨状を見て、今後自分に降りかかってくると思われる虐待の数々を想像すると、とても生きた心地がしないだろう。
少なくとも、俺は自身に置かれた環境に恐怖を覚えていた。
…………。
しかし、実際には俺の想像とは真逆の展開を歩むことになる。
俺はこの世界では神童として生きていくことになった。
それもそのはず。
微分積分や線形代数を理解する幼児など、世界のどこを探しても存在しないだろう。
この世界ではかなり早い段階で試験による序列付けが行われる。
俺の場合は3歳で幼稚園に入園した時に、この世界では初の筆記試験を受けた。
内容から見て、元の世界の小学校低学年レベルだろうか。
何にせよ、博士卒まで漕ぎ着けた俺には簡単すぎる問題だった。
成績トップで入園し、その後も常にクラス1位を維持し続けた。
運動の類も卒なくこなし、俺は父親の「お気に入り」となった。
この世界での父親は厳格であるが、それ故に優秀な我が子には相応の愛情を捧げる。
誰にもわかるほど、俺は規格外に優秀な子供に成り得たのだ。
そう、このような世界を俺は望んでいたのかもしれない。
本来なら、元の世界でもこれくらいの対価を得てもいいはずなのだ。
元の世界では前世の記憶こそなかったものの、常にトップを維持し続けてきたことは同じだ。
俺のような能力のある人間こそが、能力の無い人間を操る立場にいるべきなんだ。
能力の無い人間は淘汰されて当たり前。
そう…。
俺の陰で虐待に倒れた兄弟たちのように。
…………。
俺が優秀すぎたせいか、父親は今まで以上に子供に要求するレベルを上げていった。
当然だが、俺以外の子供は前世の記憶などといった便利な能力を持ち合わせていなかった。
そして、父親の期待に応えられる子供は皆無に等しくなり、そして「お仕置き」と称した虐待を経て、兄弟たちは次々と亡くなった。
俺が6歳で幼稚園を卒園する頃には、俺以外の子供は全滅しており、述べ7人にわたる死体の山が築き上げられた。
これが、能力の無い子供たちの最期である。
子供のうちに選別が行われ、親の期待に添えなかった者は淘汰される。
どうやら、どの家庭においてもこの傾向は変わらないらしい。
…………。
何にせよ、俺自身は紛れもなく神童であり、両親の、特に父親から目一杯の愛情を注がれてきた。
淘汰されるのは能力の無い人間に限った話であり、俺には関係のない話だと、
そんな甘い考えを持っていた俺は、後に思い知らされることになる。
しょせん、人の能力など、「運」に大きく左右される不安定なものにすぎないということを。