入学前の受難 前
心地よい日差しと微風にカインは馬車の上で居眠りをしていた。しかし、道路の凹凸で馬車が大きく揺れると、目を覚まして大きく背伸びをする。
カインは現在、王都行きの馬車に乗っていた。モーリスたちが旅立って五日後、フーデルクがモーリスの伝言を伝えるために再び村へ訪れた。竜達の症状はやはり呪いの類だったらしく、やはり一ヶ月以上はかかるとのことだった。フーデルクはカインの姿を見て驚いていた。カインはモーリス達が去った後のことを伝えると、フーデルクはモーリスとの伝言役を請け負ってくれた。そしてさらに五日後、フーデルクが手紙を携えて村に来た。カインは師匠からの返答に期待し、その封を開けたが、その手紙にはカインの期待とは真逆のことが書かれていた。
一つ目は原因がよくわからない事、二つ目は薬を作る暇がないのと、そもそも材料が既に無いということ。
カインはそれを読み、だったら自分で材料を集めようと考えたが、次の文を読み、すぐに諦めることとなる。材料はどれも超貴重な素材や古い文献でしか見た事がないような薬草だった。ちなみに、その内容の一部に風龍の鱗があったことにカインは思わず咳き込みそれをフーデルクに心配されるという一場面もあった。なおカインは急に咳き込んだ理由はフーデルクには教えなかった。フーデルクも特に言及してこなかった事にカインは内心ホッとした。
三つ目は学園の知り合いにその手の専門家がいるという事だった。既に学園には話を通しているとの事だったので、カインは期待半分、この姿で学園に通う事が確定したことに不安半分というなんとも言えない気持ちになっていた。
それから学院に行くまでの期間カインは母と妹から徹底的に女の子の口調や仕草を叩き込まれた。元男であるカインはその指導一つ一つにどうしても抵抗があり、何度も抵抗したがその度に母に押さえ込まれていた。男の時もそれほど力があったわけではなかったが、並み程度にはあった。しかし、この身体はあまり丈夫ではないようで、母親には勝てなかった。カインは‘‘母は強し’’と身体で実感しながら、身体作りも同時進行で行った。
カインは馬車に揺られながら村でのことを思い出していた。物思いに耽る美少女に馬車に乗る者は誰も彼女が実は彼だという事には気付かない。厳しい訓練に耐えきったカインは、なんとか母と妹から合格点が貰える程度にはなっていた。それでもたまにボロが出てしまう事があるのだが、カインはそれで良いと思っていた。どちらかと言うと、男に戻った時に変な癖がつかないかどうかの方が不安だった。女の口調になれてくると、村の若い者から告白されるようになったからだ。少し前まで仲の良い男友達から告白されるという現実にカインは軽くトラウマを植え付けた。そうこう考えていると、ついに王都が見えてきた。
「これが王都、想像してたよりもずっと大きい!」
カインは生まれて初めて見る王都に目を輝かせた。カインは村で生まれてから一度も大きな都市に出かけた事がなかった。そんな中初めて見る大きな街並みに感激していた。そんなカインの表情を見た馬車のおじさんが声を掛けてくる。
「お嬢さん、もしかして王都は初めてかい?」
「はい! 殆ど村から出た事がなかったので」
「そうだったか、王都は良いぞ。まず飯がうまい! それに治安も良いから、お嬢さんみたいなべっぴんさんでも安心して出歩ける」
「はははっ...ありがとうございます」
カインは褒められたことに苦笑しつつ礼を言う。正直まだ自分の容姿をよく理解できていないのと、褒められても余り嬉しくないからだった。そんなカインを察してか、馬車のおじさんは話を続ける。
「わっはっは! こんなおっさんに言われても嬉しくないか。 ところでお嬢さんはどうして王都へ?見たところで稼ぎってわけでもないんだろ?」
カインのは王都までの道のり用の最低限の荷物しか持っていなかった。他の荷物は先に学院に送ってあるのだ。
「魔術学院へ行くんです。実はこの春から高等科に通うことになっていて」
「そりゃすごい!魔術師見習い様だったか。この春からということは特待生だな」
「えへへ」
カインは少し頬を赤らめて恥ずかしげ頬をかく。特待生というのは、素質はあるがお金が無く通うことのできない、主に平民などのための制度だ。近年、魔術師の質が低迷し始めた学院側が質向上のために導入し、生徒は金のこと気にせず存分に魔術の才能を伸ばし、学院側は質の回復、向上に繋がる。カインもその一人であった。本当なら試験に合格しなければならないが、モーリスの弟子ということもあって、免除して貰っている。
「しかし特待生つってもその年からは珍しいな。遅くても十歳頃に普通なら選ばれるらしいからな」
「ぼ...私はずっと師匠の元で修行していたので」
「ああ、そう言うことか!」
それからカインは馬車のおじさんとたわいのない話をしていると、砦に着く。手続きを済ませカインは学院に向かっていた。モーリスの知り合いだという人物に会うためである。自分のこの身体の原因を早く知るためにカインの足は自然と早くなる。小走りで人混みを通り過ぎようとすると、カインは一人の少女にぶつかる。
「いったぁぁ!」
「すいません、急いでいたもので」
カインはぶつかって尻餅をついた少女に、急いで謝り頭を下げる。
「いいわ、気にしないで」
カインはそう言われ、頭を上げると目の前には金髪を後ろに下ろした碧眼の美女がいた。可憐すぎる少女にカインは思わず見惚れてしまう。見惚れて固まったカインを見て少女は心配そうな顔をして声を掛ける。
「あの、大丈夫?」
少女に声を掛けられて、カインは我に帰る。
「す、すいません!つい見惚れてしまって。すいませんが先を急いでいるので失礼します!」
カインは急いで立ち去ろうとするが、焦って、また別の人にぶつかってしまう。
「す、すいません! 失礼します!!」
そう言ってカインは今度こそ人混みの中へ進んでいった。
「あーあ、行っちゃった。可愛い子だったわね、ゴーン」
少女は先程カインがぶつかった男に向けてニコニコしながら、そう話す。
「ああ、そうだな」
ゴーンと呼ばれた男は少女の言葉に素直に反応する。その反応が意外だったのか、少女は一瞬キョトンとするが、すぐ我に返り、ふーんといった様子でニヤニヤと笑みをこぼすのだった。
カインは人混みを今度はぶつからないように気をつけながら抜け、学院の方へ歩いて行った。さすがは王都、あんなに綺麗な人もいるんだなと思いつつ、今の反応は女の子のそれでは無かったと少し後悔していた。これから女として学院に入るのだからこんな事ではすぐにバレてしまうと思いながら進んでいると、目の前に大きな建物が見えてくる。大きな時計の針が十二のところに動くと同時に大きな鐘の音が鳴り響く。
カインはそんな光景に圧倒されつつ、学院の門番に許可証を見せると話が通っていたらしくそのまま案内されることなる。学院内の設備にカインは物珍しさを感じながらついていくと、大きな扉の前で案内が終わる。案内してくれた人礼を述べた後、カインは深呼吸をして扉をたたく。すると扉の奥からどうぞ、と言われたのでカインは恐る恐るといった様子で扉を開く。
扉を開くと目の前には薄い水色の長髪に優しい表情をした二十台後半くらいの美女がいた。
「失礼します、この春から入学することになっているカインと申します」
「ああ、モーリスから話は聞いているよ。その身体のこともね」
カインは落ち着いた風を装いながら、内心期待していた。目の前にモーリスが言っていた知り合いがいるのだ。この身体の異常について何か分かるかもしれないと思っていたが、目の前の美女から予想外の言葉を聞く事になる。
「私の名はアグリット=アーノルド=リトルニア、この学院の学院長で、モーリスの夫であり、君がその姿になる原因を作った張本人さ、ごめんね!」