第0話 【凡人】
周りには、守りたかった人が血に塗れて倒れ伏せている。そして、これ以上は失くしてはならない守りたい人達が血の上に立っている。囲まれた自分は一人、殺すべき最後の敵と対峙している。
「……私を殺すのだろう、神無。その神に汚れた手で……凡人の小さな手で、天才を葬ってみろ!」
最終決戦とは思えない程に美しく、光り輝く黄金の地の中心で、目の前の”悪”は彼を煽る。
ーー正義と悪の交差。その”正義“は、自分が決めただけの傲慢な自己満足なのかもしれない。そう思っていたのは過去の自分。人の痛みを知り、苦しみを知り、喜びを知り、怒りを知り、悲しみを知り、笑顔を知った。
『ーー君だよ……君だけなんだよ、たった一人、世界を救えるのは……』
頼まれたのだ。とある人に。願い、祈り、縋った彼女は今も自分の心の中で叫び続けた。
最初はアホかと思っていた。どこにでも居て、どこにも居ない。身長、体重、学力、運動神経etc.全てにおいての平均に位置し、その蔑称を背負いながらも、ただ生きているだけの自分だから。
自分の知らない誰かが主人公で、世界を救い、ハーレムを作り、はたまた一瞬で世界最強にだってなる。自分のモノクロの人生には、そんな出来事なんて一生かかっても起こらない。起こってくれないのだと。
ーーそう思っていたのに。
「あぁ……何してんだろうな、俺。本当に世界、救う手前まで来ちゃったよ……はは」
そう静かに呟いて、俯く。足元にはきっと、無数の屍が転がっていた。その誰もが思いを馳せ、託し、犠牲になっていった者達。それでもその目は光を失う事なく、たった一人の凡人を駆り立てる。ーー抗え、運命に抗えと。
「ーー春香 神無の……誇り高き最期を見せてみろっ! グラブレード・サクリファイスッッ‼︎」
意識を逸らしている神無の隙に付け入り、魔導を詠唱。空中に描かれた魔法陣から紫紺に輝く歪な大剣が生成される。おもむろに剣を握った右手を平行に振り切る。
何もかもを破壊し、虐殺し、滅ぼしてきた罪の呪剣を神無の首にかけーー。
シュッ、と空を切る音が立ったかと思うと、そこには神無の姿は無かった。
「馬鹿な……どこにそんなエナが残って……」
手応えの無さに違和感を隠せず、消えた神無を探すべく辺りを見回す、がーー。
「ーーアルテミス、お借りします。アガナ……ベレアッ……!」
声がしたのは頭上。既に神無のその手には、深緑に煌く狩猟の神の神弓が握られていて。
神無は、弓矢を掴んだみぎてを躊躇無く離した。
「ぐっ、が……あぁ……づぁっ……‼︎」
右肩を真上から射抜かれる。装甲を突き破った果てには鮮血が一面に飛び散り、痛さのあまりにのたうち回る。
「痛いだろ。男にはアルテミスじゃないとな。次は……ゼウス……ケラノウスッ‼︎」
神無の右手に握る弓矢が消失し、次なる神の武器は、ケラノウス。全知全能の神の神の雷。
「があぁぁぁぁぁっ‼︎ 痛いねぇ……痛い、ねぇっ‼︎」
「痛いで済むなら相当いいさ。でも、まだ終われない。俺はお前を……殺す!! 来いっ、テュポーン‼︎」
始まりの力をその体に宿す。無数の紅に染まった蛇が首を取り巻き、背中から燃え盛る異形の翼が生え、見開く赤眼。そう、あの時のように。
「ーーはあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ‼︎」
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「これが……神の力……か……」
永遠に続くかと思われる程の攻防に疲弊し切って血を吐きながら言う。その血は、未だに赤く。
「そうだ……これは俺が今までこの世界を歩んできた全てだ。背負ってきた想いも、全部」
否定はしなかった。この力は全て借り物。凡人である自分を隠し、偽る為の力。譲り受け、磨き、歩んで。
それらは口を揃えてこうも言った。『ーー世界を救え』と。
目の前には、人間と星と神の敵がいる。最強最低最悪最大の敵が。誰もが憎んだ世界の敵が。
ならばこの力を一つ残らず注ぐべきだろう。
ーーでも、違う。
運命は、視覚的に見えてくれないから恐ろしい。誰にも未来は分からない。今この瞬間、頭上に隕石が落ちてくるかもしれないし、大切な誰かが通り魔に殺害されているかもしれない。
それが偶然か、必然かなど誰にも分からない。ーーもし、自分が生きている人生が、自分の意志に関わらずに生きさせられ、吉凶禍福が定められた巡り合わせだとしたら。
「これは……僕の、俺達の戦いだ。最初と最後は……俺達の運命は……俺達が決めてやる」
「な、にを……」
「言った、だろうが……凡人でもなぁ……世界くらい、救えるって」
お互いに血を流し、ボロボロになりながらもまだ戦おうと、運命を己のものにしようと立ち、抗い、奮えーー。
「ーーこれが俺達の、力だ。一人ぼっちの、真っ白な」
ーーその剣は美しく残酷に、白白と二人を映しながら、輝いた。
ーー凡人の剣が。