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魔窟



 静寂ーーー


 仄の暗い白。霧立ちこめる深縁の森。ーーー小さな息づかい。土を踏むかすかな音。


 夜明け前から立ちこめていた湿り気を帯びた濃い霧が、日が暮れ始めたにもかかわらず、いまだに辺りの視界をさえぎっていた。太陽の光は、深い森の木々の葉に遮られ微かな遮光しゃこうを差すのみで、ほとんどが地上には届かない。

 

 道とは言えないような、少し踏み固められただけの獣道には、前を歩く者の足音と後ろから来る者の小さな息づかいの音のみで、濃い霧によって白く彩られた仄の暗い世界には、静寂だけが広がっていた。


 ここは、魔窟の森【グリーンバレイ】


 大ユング山系に付随する樹海ジュアナパシア大森林南端。人類不可侵の原初の森。そして、魔領域始まりの地。


 仄の暗くなり始めた静かな森の中を一列に隊列を組んで歩く十数の淡い影。

 

 小さな声がその静寂を破る。


 「‥‥‥大旦那様。もう少し歩くと開けた場所に出ます。そちらで‥‥。」


 斥候の獣人らしき男が、背後にいる痩身で上背のある男をうかがいながら話しかける。


 「‥‥うむ。任せる。」


 深いしわをその浅黒い顔に刻む、無精髭の似合う壮年の大丈夫。ロングコートのような光沢のある黒い革の外套。そして、その両手の拳には【ナックルダスター】と呼ばれるーーー鉄甲。


 この偉丈夫こそが、辺境領ノーザンクロス商工業ギルド本部・常任理事にして、ロックフェラー総合商会・代表取締役【ジョン‐ロックフェラー】その人である。


 「‥‥あれあれ、メシっすか、メシっすよね‥‥?ロックの旦那。」


 「‥‥らしいな。」


 ロックフェラーはこちらを一瞥もせずに、ぼそりと呟く。


 「オレちゃん、もう限界も限界!限界突破の超ヘリハラ状態っすよ。やったー!やっとメシにありつける。」


 「うるせぇ!騒ぐな。アッシュ。」


 (ゴンッ!)


 「あふんッ!!」


 無造作に放たれたナックルダスターによる裏拳。


 「‥‥ち、ちょっと、ちょっと、ナックルダスターはダメちゃんっすよ。痛いっす。ものすごく痛いっすよ~~旦那ぁ。」


 (しかし、コイツはめちゃくちゃだ。あんなもんでけっこう本気で殴ってきやがる。頑丈なオレじゃなかったら卒倒してるぞ。)


 「‥‥だから、うっさいっつってんのよ!」


 (ビシィィッ!!)


 「うひぃっ!!ぐぅおおおおぅああーー!。」


 しびれるような頭の痛みに、ぐるんぐるんとのたうち回ってしまった。


 「ち、ちょ、ちょっと、マァリリィーン。頭に鉄鞭てつべんも、ダメだかんね。それ、凶器ィィッ!!」


 「‥‥あ、そぅ‥‥」


 「あ、そうって、オレちゃんじゃなかったら、今頃、天に召されちゃってるよ。マジで。ママジで。」


 オレちゃんこと【アッシュ‐グレイ】率いるチームハウンドに所属する魔道士【マリ‐ヴァレンチノ】、全く悪びれた様子もなく、虫を見るような目でオレちゃんを見ている。

 青いタイトな外套がいとうをその身に羽織って隠してはいるが、その中身はボンキュッボンのムッチムチだ。


 「‥‥‥じゃあ、死ね。この腰ぬけ。」


 (‥‥死ねって、ひどい。)


 ここ、二、三日、だいぶ苛ついている。まあ、それもわからなくはない‥‥。


 「おい、マウンテンからも一言、マリリンに言っちゃてくれよ。ほれほれ。」


 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」


 チームハウンドのもう一人のメンバー、マウンテンことタンクの【アーロン‐ブランドン】。とっても無口で頼りになる大男だ。


 「‥‥‥‥‥って、なんもないのかーーい。あいかわらず、自分、不器用な男ですから的な。てきな。そっち系ですか。はいはい、わかりましたよ。オレちゃんも黙ります。もうだんまり決め込んじゃうよ、チックショーーウ!!」


 前を歩いていたロックが振り返り、鋭い眼光を向け殺気を放ってくる。


 「だぁーから、黙れ‥‥本当に殺すぞ。『ハウンド』」


 (‥‥あ、やば。)


 こいつがオレのことをハウンド。猟犬の二つ名を出すときはけっこうマジなときだ。


 「‥‥あい。オレちゃん黙りまーす。」


 危ない、危ない。身の危険を感じた。

 そして、ロックとの距離を少しとるためにその場で立ち止まっていると、後ろから来ていたロックフェラー財団の商人達と目があった。


 「あ、こんちぃーーす。」


 連中は、ひとりで騒いでいたオレちゃんをチラチラと馬鹿を見るような目で見ながら追い越していく。


 「ロック財団の皆さんももうすぐですよー!もう少しで野営地に着きまーす!さあさあ、後ひとふんばり、おしゃべり無しで参りましょう。イエーイ!」


 手を上げてハイタッチを待つ。


 「‥‥‥‥ぅぜ。」


 五人全員揃ってガン無視‥‥。


 「‥‥あ、さいですか‥‥。」


 おずおずと挙げていた手をおろす。

 

 ロック財団の連中はずっとこんな感じだ。商人というよりその辺のゴロツキだ。商人のくせに愛想がないし目つきも顔も悪い。

 おまけに、昨夜遅くに起きた乱闘騒ぎのせいで、あちこち怪我をしていて、それはもう、散々な格好をしている。


 (‥‥まあ、かく言うオレも、身体のあちこちが痛いのだが‥‥。)


 そして、オレは最後尾をロープで繋がれて、うなだれた様子で歩く、昨夜の原因ともなった獣人達に目をやる。

 

 獣人の男が二人。獣人の少女が三人、そして、もう一人。両手を縛られ、犬用の首輪をつけられて、ロープで一列に繋がれている。

 それぞれ獣人達があちこちに傷を負い、血を流し、うなだれて歩いているのだが、最後尾を引きずられるようにして歩く獣人は特に酷い。血塗れのずだ袋みたいに簀巻すまきにされ、原形が無くなるほど顔を殴られている。

 もう、狂ってしまっているのか、時折、怒声を発するとともに、ぶつぶつとしきりに何か呟いている。


 (‥‥まったく、ひでえことしやがる。)


 この獣人たちが,どうしてこんな酷い状態なのかは十分に知っている。そして、助けてやりたいと思いながらも、オレは見て見ぬふりをしていた。

 

 そんな獣人の姿を見ながら、オレはこの仕事を受けたことを心の底から後悔していた。

 

 (‥‥‥な、情けねぇ‥‥まったく情けねぇ、情けねえったらありゃしねぇ。金だ。金に目がくらんだ。オレが、このオレが、端金のために、こんな理不尽で不当な暴力に目をつむっちまうとは‥‥‥オレはいつの間にか本当のハウンド【猟犬】になり下がっちまった。)

 

 マリリンが、とことん不機嫌なのも。マウンテンが、いつも以上にだんまりを決め込んでるのも。すべては、オレの責任だ。


 ーーーオレの不甲斐なさに、あいつらは怒ってるんだ。


 ◇ 

 

 【王国都市の廃墟跡】

 

 現在、魔境と呼ばれているジュアナパシア南端のこの地には、かつて【ショーベラ】や【ラスコー】【アルタミラ】といった犬人族の王国があった。

 エルフやドワーフ、他種獣人族とも友好的な関係を築いてグリーンバレイ各地に数万人規模の王国都市を築いて栄えていた。

 

 しかし、千年ほど前にこの土地に突如として現れて、またたく間に勢力を伸ばしてきた好戦的な種族ーーー【人間】

 

 数で圧倒するその人間によって、ショーベラ、ラスコー、アルタミラ王国といった各地の大都市が次々と陥落。たちまちのうちにこの地は戦火の渦に巻き込まれ、グリーンバレイ各地にあった犬人族の王国群は滅亡への道をたどってしまったという。

 

  そして現在では、そのほとんどが草木によって侵食されて消えてしまっているようだが、今でもそのとき滅亡した王国都市の廃墟の残滓がグリーンバレイ各地には残っている。

 

 野営をしているこの開けた場所も、かつては栄えていた都市の一部なのだろうか。

 苔むした地面には古い石畳の跡がある。


 「‥‥‥しかし、なぁーんで、オレぁ、こんな仕事受けちまったんだろう‥‥‥‥なあ、マウンテン‥‥。」


 ハウンドは焚き火に枝をくべながら、お行儀良く石の上に座り、小さなカップをつまんでお上品に八ーブティーを傾けるマウンテンに話し掛ける。

 

 (返答があるとは、はなから期待していない、が。)


 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あの女。」


 マウンテンがちらっとこっちを見て、珍しくしゃべった。


 

 そうだ。あれだ。あいつだ、【あの女】、あの薄気味悪い女にさえ会わなければ、こんなことには‥‥‥ならなかったんだ。


 

 

 

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