僥倖
(じいィィィィィーーーーーー)
ーーーボッチで引きこもりだった陰キャの僕。女性に対する免疫はゼロにも等しい。
おそらく、ホモ‐サピエンス(知恵のある人)とイヌ‐サピエンス(知恵のある犬)の生理学的な倫理観格差によって、これ程の僥倖が僕に舞い降りたにも関わらず、どうしていいのかわからずに、目の前にそそりたつ双邱を見つめながら、呆然と立ち尽くしていた。
「‥‥どうしたんだよ!?こわ!お前なんか怖いぞ、目がいっちゃてんだよな。触んなら、早く触れよ。オラ!」
推定Gカップの爆乳をブルンと振るわせて僕の前に突き出してくる。
「ヒイィィッ!!」
あまりの迫力に後ずさってしまった。あれほど夢見たものが現実の世界に現れたにも関わらず、怖くて怖くてしようがない。
「ぅおい!‥‥お前何逃げてんだよ。」
「に、にげ‥‥‥‥‥」
「あ、あれ?‥‥お前、もしかして、オレの胸は触りたくないのか‥‥?にんげんの男は胸が大好きだって、お婆に聞いたけどな‥‥。」
「‥‥‥‥‥か‥‥‥‥え‥か?」
「‥‥えっ!?な、なんつった?‥‥聞こえねーんだよ。もっと腹から声出せや!このセクハラくず野郎!」
セクハラくず野郎‥‥‥的を得るとはこのことか、今の僕を表すのにこれ程的確な言葉はない。まったく反論する言葉が見つからない。だけど、ここで言わなければ、言ってやらなければ男じゃない。こうなったら言ってやる。はっきりきっぱり言ってやるぞ。
「さ、触らしてくれるのは、な、生乳ですか?‥‥ふぅ、ふぅ、んふぅ、んふぅ、おふぅ、おふぅ、おっふ、おっふ‥‥‥」
「ん?‥‥なまちちィィ‥?」
僕は両手をワキワキさせて、鼻息荒くバニラに向かってにじり寄っていく。
「ち、ちょ、ちょっと待て、待て。お、お前さっきからなんか気持ち悪いんだけど、大丈夫か‥‥?ち、ちょっと落ち着けよ。」
「た、頼むぅぅ‥‥なまと、生乳と、言ってくれェェー!!」
もう僕のワキワキは止められそうにない。
「こ、こわっ、お前怖いっ、だいたい、どんだけワキワキさせてんだよ。このキショ男が!」
「頼むぅぅぅ‥‥」
「嫌だわぁ、お前、なんか気持ち悪いから生は‥‥嫌だわぁぁ。」
(‥‥‥な、生は嫌。)
永久に続くかと思われたワキワキが止まってしまった。現実とはそういうものだ。そりゃそうだ、ぽっと出のボッチの引きこもりに生乳など許されようはずもない。
だが、なんにでも抜け道はある、コロンブスの卵。発想の転換が必要だ。そうだ、生乳は無理だとしても、はみ乳があるではないか。
「‥‥生はダメだけど、早く触れ!早く触って、そのカレーってやつを早く食べさせろ!オラ!オラオラァ!」
そう言って、爆乳をブルンブルンと振るわせる。
「わ、わ、わかった、わかった、触る、さわるから、やんややんや、言わないでくれ。できればこっちのペースで触りたい。」
「お、おう!やるなら、ちゃっちゃとやれやァ!このセクハラげす野郎!」
(セクハラげす野郎‥‥‥)
いやいや、今は目の前のはみ乳に集中すべき時だ。集中だ。集中。集中。
両手の人差し指をゆっくり近づけて両乳を下から『チョン』と跳ねあげる。
(プルン!‥‥プルン!‥プルン!プルン!プルン!プルン!プルン!プルン!プルン!プヨン!プヨン!プヨン!プヨン!プヨン!プヨン!たゆん!たゆん!たゆん!たゆん!たゆん!たゆん!たゆん!たゆ‥‥‥)
「‥うおっ!?‥おっ?‥お?、お?、お、お、お、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ‥‥‥‥‥」
「うふ♪‥‥うふ♪‥うふ♪うふ♪うふふ♪うふふ♪うふふ♪うふふふ♪うふふふ♪うふふふふ♪うふふふふふふふふふふふふふふーー♪」
「‥‥‥ぉ、ぉ、ぉ、おって、うおいッ!!い、いつまでプルンプルンしてやがんだ!いい加減にしろォ!んの野郎オオォォーー!!」
(ーーーバチンッ!!!)
殴られてしまった。‥‥‥と、とっても痛い。
だけど、危なかった。あのまま、たゆんたゆんを続けていたら狂って正気を失っていたかもしれない。あれはそういう類いのものだ。もう少しで人の道から外れるところだった。
「ありがとう、バニラくん。助かったよ。さぁ、席につけ、カレーライスが君を待ってるぞ。」
頬を押さえながらゆっくり立ちあがり、バニラを部屋の中に招き入れる。
「お、お、おう、殴って悪かったな。でも、ハルヒロが悪いんだぞ。本気で狂ったのかと思ったぞ。」
◇
クズだの、怖いだの、気持ち悪いだのといろいろと悪態をついていたバニラだが、カレーライスを食べ始めると急に一言もしゃべらずに黙り込んでしまった。
そして、最後の一口をスプーンですくいあげると、カレーライスを見つめるバニラの瞳から大粒の涙がポトポトとこぼれ落ちた。
「‥‥‥あ、あれ?お前なに泣いてんの‥‥カレーは口に合わなかったか?」
まあ、仕方がないか。カレーは香辛料と調味料をたくさん使った特殊な味のする食べものだ、初めて食べて美味しいと感じるかどうかはわからない。
「‥‥うまい、うやい、びやぃ、ぶまふぎぅぅぅぅあぅっあぅっあぅっ‥‥‥!!!」
うまかったらしい。泣くほど美味しかったらしい。あの涙は最後の一口になってしまった悲しさからきたものらしい。
「わかる。わかるぞ、バニラ。カレーはうまいよなぁ。」
「‥‥うん、うん、こんなうまい食いものは初めて食べた。‥‥ところで‥‥‥‥おかわりはないのか二ャ?」
『‥‥二ャ!?』犬のくせに【ニャン語】とは、なんたる可愛さ。それも上目遣いのおまけつき。ツンデレか?これが噂に聞いた絶滅危惧種のツンデレというやつか。
「お、お、お前ずるいぞ。そういうのはダメだろ。反則だぞ。」
それでもバニラの上目遣いは止まらない。おまけに両手で皿を差し出して小首を傾げている。
「くっ!ああ、あるよ、まだ、あるさ。‥‥‥僕の分が。」
計算だ。あれはバニラの計算だ。そんなことはわかっている。もちろんわかっている。だけど、わかっちゃいるけどやめられないこともある。結局、僕は自分のために用意していたカレーライスをバニラに差し出すのだった。
「ああ!うまい。本当にうまいよなぁ。だけどハルヒロ、お前クズでチンカスだけど、にんげんにしてはすっごい良い匂いがするんだよなぁ。」
「ん?‥‥人間にしては‥良い匂い‥‥?」
「ああ、わかっちゃうんだよ。オレの一族、犬牙族はそいつの匂いだけで、そいつがどんな奴かわかっちゃうんだ。人間はだいたい肥溜めの縁板みたいな匂いがするんだけどな。」
「ふーん、凄いな、それは‥‥それにしても、僕は良い匂いなのか。」
匂いで人の良し悪しがわかるのか。すごい能力だ。だけど自分が良い人間の部類に入るとは思わなかった。まあ、二十一世紀の平和で豊かな日本に生まれれば、そんなに悪い奴には育たないんだろうけど。
「ほれ、バニラ、これ飲め。それと、ちょっと教えてほしいことがあるんだ。」
そう言って、オレンジジュースを注いだコップをバニラに渡す。
そして、全部飲み終わるのを待って僕はバニラにこの土地のこと、犬牙族のこと、人間のこと、この異世界のことを少し聞いてみた。
バニラによると、ここは、遥か北にそびえる【ユング‐フラウア】(昔の言葉で神の住む山々の意)の裾野に広がる広大な大樹林帯の南部にあたる地域で、数多くの犬牙士族や獣人士族が縄張りにして狩猟採取と農耕を中心に暮らしているらしい。ちなみに、人間達はここには住んでいない。
時折、行商人や冒険者が入って来る程度で人間はほとんど見かけないが、最近では犬牙士族も人間の商品経済、貨幣経済に巻き込まつつあり、人間達の出入りも多くなっているという。
バニラ自身は人間の住む町や村には行ったことがないので、ここの人間達の文明文化レベルはいまいちわからなかった。
バニラの言葉を借りれば、人間とは南からやって来る【臭くて弱っちい奴ら】とのことだ。
結果的にバニラから得られた情報は少なかったが、それでも、この異世界でも地球と同じような人間がいる。そして、人間とは少し違うがバニラのような獣人達も生きていくために狩猟採取や農耕をして地球人と同じように暮らしている。
それがわかっただけでも良かった。僕もなんとか生きて行けそうな希望を少しだけ持つことができた。




