交渉
ーーグリーンバレイ アルタミラ遺跡群跡地ーー
(ーーー違和感。)
背後に現れた微かな瘴気の気配。最初にその違和感に気づいたのは、魔道士であるマリア・ヴァレンチノであった。
(ん?‥‥‥なにかしら‥‥)
その微かに感じる程度の瘴気に、最初は亜人か魔物の気配か、とるに足らない自身の神経過敏のせいだと思っていた。
だが、近づくにつれて、それは、小さい瘴気ながら明らかに異質であり、なんとなく、ごく最近出会ったあの馬鹿らしい瘴気に似ているように思えてきた。
「ま、まさか‥‥?」
ロックフェラーの出発合図に商隊全体が動き始める中、なにかに取りつかれたように呆然と後方を見つめるマリア・ヴァレンチノの姿にハウンドが声を掛ける。
「ん?‥‥‥おい‥マリリン、行くぞ‥‥。」
「‥‥‥ち、ちょっと、待って!‥‥なにか、強い魔物、いや瘴気を纏った何かが近づいているわ。‥‥ま、まさか、この瘴気‥‥あの化け物なの‥‥!?」
マリリンの口から出た(‥‥あの化け物)という言葉。すぐに、トラウマとも言うべきあの出来事とあの女の姿がハウンドの頭に浮かんだ。
「ば、化け物って‥‥あの‥女か!?マリリンッ!」
「あんッ!化け物だァアア!!」
威嚇するような野太いロックフェラーの声に、商人たちも巻き込んでその場の全員が騒然と後方を見つめる中、突然、獣人の吠えるような怒声が聞こえてきた。
「‥‥バ、バッブビッボオオオオォォオオッ!!!」
「ぅおわッ!!なんッ!!」
そのわめき声は、昨夜、突然現れて暴れまくり、簀巻きにされている獣人の女から発せられたもののようだった。
「ゥおい!また、あいつだァ!てめえら、早く、あいつを黙らせろォオッ!」
吠える獣人にロックフェラーが怒声が轟く。それを契機に、慌てる商人たちの怒号が飛び交うカオスな状況が広がる中、遠くから、こちらに向かって場違いで少し間抜けな呼び声が聞こえてきた。
「‥‥‥‥ゥォォオーイ!~ちょっと待ってくださ~~い!お願いしま~~~す~。」
◇◆
囲まれるようにして、訝しげな視線が集まる中、びびりまくりながらも僕はなんとか小さな声で、こう言葉を絞り出した。
「えと‥‥あ、あの、失礼ですが、どなたが‥‥ロックフェラーさんですか‥‥?」
すると、商人とは思えないような人相の悪い集団の中から、ひときわ人相の悪い黒いロングコートを着た壮年の男が口を開いた。
「おおうッ!?‥‥なんだ‥‥てめえらはッ!!」
恫喝するような野太い声。
「あ、はぃぃ‥‥‥」
(ーーージョン・ロックフェラー。)
これがロックフェラーか。こいつが極悪非道な奴隷商人の親玉ジョン・ロックフェラーなのか。もっと凶悪な犯罪者のような人間を想像していたが、黒いロングコートの似合う痩身で背の高い壮年の偉丈夫。
だが、確かに、魂が震えるような嫌な雰囲気と仄の暗い悪オーラを醸し出している。
威圧感が超半端ない。生まれてこの方、これほどオーラのある人間には出会ったことがない。同じ人間とは到底思えない‥‥。
(‥‥‥ほ、本当に、僕と同じ‥人間か‥‥?)
その滲み出る悪オーラと威圧的な迫力に声もなく呆然としていると、後ろから覆面で顔を隠したナナさんが(‥‥おい、ハルヒロッ!早く喋れ!)と促すような声。同時に、尻が(パンッ!)と叩かれた。
「あうッ!‥‥‥あ、あわわ‥‥わ‥」
小さな悲鳴とともに、(‥‥なにか喋らなければ。喋らなければ‥‥)と、思えば思うほどどつぽにはまっていく。口は渇き、足がガクガクと震える、まさしくガクブル状態。
「‥‥ちぃッ!まったく、この役立たずがァ!」
あまりのグダグダぶりを見かねたナナさんが、スッと僕の前に出てこう切り出した。
「おいッ!おまえが、ジョン・ロックフェラーで間違いないな!‥‥突然ではあるが、我々、いや犬牙族の代理人として我々はおまえとある取引交渉がしたいと考えている。そして、この取引は、あくまでも人間社会の金銭レートを介した純粋な物々交換による商取引だと思ってくれ。」
「‥‥‥ほおぅ‥‥犬牙族が‥商取引‥‥?」
訝しげな表情を覗かせるロックフェラー。覆面で隠している顔や藍色の装束で覆われた身体をジロジロと舐めまわすように、無遠慮で不躾な目を向ける。
「クハハ‥‥‥それでェ?‥‥狐のお姫さんが犬牙族の代理人として、どんな取引をしてくれるんだ?‥‥おんッ?ーー尾三公殿ォォッ!!」
ロックフェラーの言葉に、(ちぃッ!だから、嫌だったんだ!)と舌打ちをして、即座にバッと覆面を脱ぎ捨てるナナさん。
「覆面で顔を隠す前に、その三尾を隠さねえとなァ!!頭隠して尻隠さず、とはこのことだな。尾三公殿ォッ!クワッハハハ~~~!!」
「黙れェッ、下郎ッ!!」
三尾を持つ妖狐族のナナさんは人間たちの間でもかなりの有名人らしい。
(狐族七つ家の‥‥)(‥あれが‥‥尾三公。)(藍袴衆の首領がなんで?)(まさか‥‥)と商人たちが騒然となる中、ロックフェラーの野太い笑い声が響き渡る。
「ちぃッ!‥‥何故に貴様が私の素性を知っている?」
「クハハ‥‥‥お得意の情報収集がお前ら狐族藍袴衆の専売特許だと思うなよ。~んだが、その狐族藍袴衆、尾三公殿が犬牙族の代理交渉とは、いったい、どういうことだ。」
「‥‥ん、まあ、勿論、こちらとしても喧嘩を売りにきたわけではない。あくまでも交渉が目的だ。なあ、ハルヒロよ、もう大丈夫か‥‥?」
(‥‥お前が交渉をしろ。)と促しつつ、僕の様子を伺う。
「‥‥あ、はい、もう大丈夫、落ち着きました。この先は、僕にやらせてください。」
正直言えば、まだ怖い。まだ怖いが、バニラやモナモカのことを考えると、そうも言ってられない。僕はゴクリと唾を飲み込んで一歩前に進み、顔を上げてロックフェラーの鋭く高圧的な眼光を真っ向から受け止めてから~。
ーーー交渉への口火を切った。




