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香草



 アンズ婆が泣き止むのを待って、僕はとりあえず、ジョン‐ロックフェラーの名を口に出してみた。


 「‥‥‥おそらくですけど、このロックフェラーという人物が、なんというか、奴隷売買の黒幕的な感じの存在だと思うんですよね。」


 「‥‥‥や、やはり‥‥そうなるかのォ‥‥」


 やはり、と肩を落としてそう呟くアンズ婆は、ひとまわり小さくなってしまったように見える。


 「‥‥‥奴に初めて会ったんは、六年か七年も前になるかの‥‥‥おそらく、ジャ香草こうそうじゃ、あんの時からワッシは奴に騙されておったんじゃよ。」


 「ジャコウソウ‥‥?」


 「‥‥ほうじゃ、ワッシらの鼻を狂わす香草じゃ。」

 

 『奴に騙されておったんじゃ。』とかなり焦燥した様子を見せるアンズ婆。

 事実、僕からのこと細かい説明を聞くまで、アンズ婆は一ミリたりとも騙されていることには気づかなかったという。


 というのも、十五年ほど前、犬牙族のガバナンス機構である【百葉】と人間種の【商業ギルド】【冒険者ギルド】主導で魔領域グリーンバレイ南端アンバーに犬牙と人間との間に騒乱後締結された【グリーンバレイ安全保証条約】、いわゆる【人牙安保】のもと、特区アンバー開拓村建設計画が持ちあがった。


 当時、百葉理事会理事を務めていたアンズ婆はアンバー開拓村に自らも乗り込んで積極的に開拓村建設計画に尽力、百葉代表を含め商業ギルド代表商人や冒険者ギルド代表達と協力信頼関係を築き、この開拓村建設事業成功の立役者のひとりとなった。


 当初は、アンズ婆と同じ百葉会理事【ギザ・ライス】、ノーザンクロス商業ギルド・ロス商会会長【チャイルド‐ロス】、ノーザンクロス冒険者ギルド・ギルド次官【アーロン‐スノウ】が代表となり、商品経済の導入、農業開発、グリーンバレイ開発の名のもとに、犬牙と人間のかけ橋となるべく、差別のない公平な開拓村運営がなされていた。


 そして、そんな公平、公正に行われている運営状況をアンズ婆が見届け、アンバーを離れてから、六、七年ほど経ったある日、アンズ婆のもとにアンバー開拓自治区区長ギザ‐ライスから、ある報告が届いた。



 【アンバー開拓自治区‐代行代表者変更のお知らせ】


 一、ノーザンクロス商業ギルド・ロス商会会長【チャイルド‐ロス】より、ノーザンクロス商業ギルド・ロックフェラー商会代表【ジョン‐ロックフェラー】に委任。ロス氏の死亡による権益譲渡委任。


 二、ノーザンクロス冒険者ギルド・ギルド次官【アーロン‐スノウ】より、ノーザンクロス冒険者ギルド・補佐官【クリフ‐ヴァレンチノ】に委任。アーロン‐スノウ氏のノーザンクロス冒険者ギルド本部長官就任による推薦委任。

               

           自治区長 ギザ‐ライス 



 アンバー開拓の立役者、ロス商会・チャイルド‐ロスの死という凶報に胸騒ぎを感じたアンズ婆は、すぐにアンバー開拓自治区へと足を向けた。


 匂いでその人となりを判断できるアンズ婆にとって、チャイルド‐ロス、アーロン‐スノウは、ともに旧知の仲であり、信用できる人間達だった。

 アンズ婆としては、二人の代わりに委任されたジョン‐ロックフェラーとクリフ‐ヴァレンチノという人物を確かめておきたかったのだ。


 判断結果から言えば、二人ともになんの問題もなかった。

 クリフ‐ヴァレンチノという人物は優秀そうだが特に特徴のない匂いのする人間だった。そして、ジョン‐ロックフェラー。その第一印象としては、切れ者にして腕のたつ悪党、あるいはやくざ者。だったのだが、匂いは、なんとも言えない芳しい良い香りを漂わせていた。


 「‥‥誰かの入れ知恵じゃろう。奴は初めて出会った時から、ワッシら犬牙の衆を騙すために、ジャ香草を使っておったんじゃ。」

 

 さらに、付け加えるなら、ロックフェラーは犬牙族を騙し、アンバー開拓自治区を私物化して、獣人奴隷商売の拠点として利用していたのだろう。


 「‥‥ハルヒロよ、バニは、あん娘は、それを知って奴らを追って行ったんじゃな‥‥」


 「‥‥‥ですね。」


 コクッと小さく首肯する僕を見て、ゆっくりと立ち上がるアンズ婆。


 「‥‥‥ん‥ならば、泣いている暇はないの、ワッチの愚かさが招いた断罪じゃあ、先行き短いこん命を惜しむわけにはいくまいッ!」


 そう言って、掛軸の前に飾ってある特大の薙刀なぎなたを手に取り、ブブンッと盛大な音をたてて、振り上げた。



 【ーーーご乱心、召されるな、アンズ殿!】



 どこからか聞こえてきた、うたうような涼やかな音声。


 「‥‥おんッ!!?」


 「へ!!?」


 両開きのふすまを『スパンッ!』と開け放ち、紺色の衣に身を包んだナナツボシさんとともに、顔を紫色にらした同じ服装の少女が、颯爽さっそうと現れた。


 「‥‥‥な、ナナさん!」


 「な、なんじゃ‥‥‥狐族の姫君が‥‥なんの用じゃ‥‥!?」


 突然現れたナナツボシさんは、アンズ婆の質問を完全にスルーして、ススーッと僕のほうに歩み寄り、その胸ぐらを掴んでグンッと吊り上げる。


 「ハルヒロミミズゥゥ~~ッ!、貴様ァ、あれほど、部屋で待っておれ、と言っておいたのにィィ~ッ!こんなところで、いったいなにをしておるのだァァッ!!」

 

 僕をグングンと揺さぶりながら、首を絞め上げる。


 「ぐうッ!!ぎ、ギブ!ギブ!ギブ!ギブギブギブギブ‥‥だ、だずげ、だずげぇ~~~だ、だだざんッ!だだざん!!」


 魔道血判のカウンター効果に顔を歪めるナナさんは、そのままズバンッと僕を床の上に叩きつける。


 「ぐえッ!!」


 (くはっ!!忘れておったわ!)と苦しそうに首の辺りを押えるナナツボシさんは、ゴキブリを見るような目で僕を一瞥いちべつしてから、ゆったりとした所作でうやうやしく、アンズ婆に向き直る。

 

 「‥‥‥アンズ殿、此度の一件、ここにいるハルヒロミミズと妖狐族七つ家のナナツボシに任せおいて、その偃月刀えんげつとう、振り下ろす前に、まずは、話し合いを‥‥‥。」 

 

 まなじりを決した、ナナツボシさんの迫力に、さすがのアンズ婆も『‥‥よ、よかろう、話を聞こう。』と言って、振り上げていた偃月刀の切先をスッと床まで降ろすのだった。

 

 だが僕は、この切迫した緊張感の中、ナナツボシさんとアンズ婆のやり取りをニヤニヤしながら見ている紫色に顔をパンパンに腫らした少女のことが気になって気になってしようがなかった。



 (‥‥‥‥‥‥‥‥誰?)



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