苦茶
闇の中を走り続けること、およそ二時間。ここにきて、むらさきの脚が遅れがちになってきた。
「ーーーちッ、遅れるなァッ!むらさきィッ!!」
「ま、待ってくださいですゥ~~。」
後ろを振り返ると、息も絶え絶え、苦しそうに走るむらさきの姿が見えた。スゥーッと走るスピードを緩め、むらさきに並び掛けるナナツボシ。
「おい、むらさき、前々から思っておったが、お前‥‥その豚のような体、どうにかしたほうが良いぞ。それでは、速く走れんだろう‥‥。」
むらさきは、ナナツボシのように鍛えぬかれた男のようなスレンダーな体と違い、出るところは出て引っ込むところは引っ込む、男好きのするムチムチした体つきをしている。特に胸には嫌味なほどの駄肉をブルンブルンとさせている。
ナナツボシはこれを単純に(鍛え方が足りていないだけ)と考えていた。
『‥‥ハイ‥‥わがままボディなんですぅ』と言って、私の胸や尻をチラチラと見てなにか言いたそうな、むらさき。
「‥‥‥‥な、なんじゃ‥‥言いたいことがあれば、言えばよかろう。」
「お、おねいさまは、お胸もお尻もペッタンコですからァ‥‥羨ましいですゥ~、うふふ♪」
ーーーーピキッ
(ズドンッ!!!)
「アフンッ!」
少しばかり腹が立ったので、思い切り【ーー腹パン】をくれてやった。
『うぐぐぎィィァッ~~!!』と言って、お腹を押さえてゴロゴロと大袈裟に転げ回り、小さく踞る、むらさき。
「うぐゥゥ‥‥い、痛い、痛い、痛い、痛いですゥ。」
そう言って、眉を歪めながらも、「頂きですゥ‥‥フヒヒ」と、なぜか清々しい顔をしている。
まあ、こいつにとっては、これが通常運転なのだろう。
高い才能を持っていたむらさきに期待していた私は、幼い頃から必要以上に厳しく鍛え過ぎてしまった。いつの頃からか、むらさきは私からの体罰とお仕置きを執拗に求める被虐体質のかまってちゃん女に育ってしまっていた。
そのため今のように、私からのお仕置き欲しさにこうしたちょっかいをかけて来るのである。
(‥‥まあ、それに乗ってしまう私も、まだまだ‥修行が足りんな‥‥)
「‥‥腹パンは駄目ですよゥ~」
そう言って、生まれたてのコギツネのような目を向けてくる。
「う、うむ、悪かったの‥‥まあ、ちょうど良いわ。岩塩鉱山も、もう近かろう、この辺りで一服するか。」
「うっはぁ~い。」
パァ~と花を咲かせたように両手を挙げてクルクルと回りながら喜びを表す、むらさき。
「んははは‥‥‥‥ところで、どうだ、むらさき、私の抜けた後の里の様子は‥‥?」
「はぁい。おねいさまが嫁神してからというもの、あの御館様がお尻を噛まれた穴熊みたいになっちゃってるんです、もう大変なんですよォ。」
「フン、穴熊か‥‥あ奴らしい反応だのォ。」
小心者のジンベイらしい。魔道血判を持ち帰ったときも、里の心配より自分の身命の行方ばかりを気にして、亜神様を一度だけでもいいから、賓客として里に召喚してくれと懇願されていた。
(‥‥不本意だが一度は、あのエロガッパを里に連れて行かなければならないか‥‥‥だが、この私が、人間風情に騙された挙げ句、里を売りました、などとは、私のプライドにかけて口が裂けても言えない‥‥。」
そんなこと考えていた私の顔色を伺うように、むらさきは竹水筒をおずおずと差し出している。
「‥‥‥お茶でも、飲みます‥‥?」
気の利いた心使いに、『ありがとう』と言って、水筒を受け取り、口をつけると。
「ーーーに、にゅが!?ぶッふフアアァーッ!!!」
あまりの苦さに盛大に吹き出した。
「な、なんじゃああッ!こっりゃあああッ!?」
「あ、ハイ、激苦茶ですゥ~、うふふ♪」
ーーーーピキッ
◇◆
「我が名は、現神人ハルヒロ様が神使徒、ナナツボシなりッ!。ーー誰ぞ居れば、早々に、開門致せェェッ!!」
十メートル程の幅で掘られた外堀。その先に聳える小さな砦のような重厚な門扉に向けて発せられた大音声。
すぐに、閂が抜かれ、門扉が開かれる。騒然とする内部からガタンッと大型の橋桁が掛けられる。
両端に篝火が焚かれた門扉をくぐり抜けると、面前に番所小屋が見える。そして、その前地に臥した五人の藍袴衆が整然と並び、私たちを迎え入れた。
「‥‥久しいな‥‥‥面を見せろォ、我が妹達よ。」
そう言うと、五人が一斉にバババンッと飛びついてきた。
「うっきイイィィッーーー」
「‥‥姉上様ァァッ!」
「ナナツボシ様アア~!」
「うわああッ!姉上エエェェ~~~」
「うぐあぁえぉっ~~」
笑い泣きのおかしなテンションで囲まれて、もみくちゃにされながらも、苦労を共にしてきた仲間の存在の有り難さを存分に感じていた。
「おう、おう、おうッ!、みんなも久しいなァァ!!」
バンバンと肩を叩き、五人全員にひととおりの挨拶を終えると、私の背後に力なく佇む、顔をパンパンに腫らした、むらさきの存在に気づいたようだ。
「‥‥‥姉上様、敵襲ですか?‥‥あ、あれ‥‥むらさき‥ですよね‥‥?」
どうやら、ギリギリでむらさきと判別できたらしい。
「‥‥‥あ、ああ、まあ、あれだ、こやつのことは気にするな。」
「‥‥‥‥殺されるところですよォ。ほんの些細なことで、殺されるほど、タコ殴りにされたですよォォッ!!」
誰に向かうでもなく、ぶつぶつと文句を呟く、むらさき。
まあ、ほんの些細なことかどうかはわからないが、少しだけ(イラッ)としたので、死に寸までボッコボコにしてやったのだ。
だが、むらさきの日頃の行いをよく心得ている藍袴衆の面々は(‥‥いつものこと)と完全にスルーしていた。
「‥‥‥して、此度はなにようで、ロエフまで‥‥‥?」
「うむ、亜神ハルヒロ様が岩塩を所望している。」
「あ、亜神様‥が‥‥‥」
亜神ハルヒロの名を聞いて凍りつく藍袴衆一同。さらに、その名前を聞いただけで、全員が竦み上がり、震え出している者さえいた。
それほどに今の葉隠の里に於いては、亜神ハルヒロという存在が畏怖畏敬の象徴、里の英雄である尾三公を従属させた【大魔神】として大いに恐れられていた。




