岩塩
【ーーーー笑うなァッ!!】
「☆★◇ぬなッ!!?」
この一言の【言霊】で私の肉体は小指一本も身動ぎできないほどに強く縛りつけられた。
「‥‥‥‥ぐぅッ‥‥。」
この時、私は、言霊と魔道血判の呪縛も相まって、根源的な恐怖心と太古の呪術によって身も心も、こいつに完全に支配されているのを理解した。
平静を装おってはいたが、何度もその瘴気に失神させられたのだ。最初から、このハルヒロという男がただ者ではないことは十分にわかっていた。
当初は亜神か神仙の類いだと思っていたが、バニラのこの男に対する接し方を見ていて、考えが少し変わった。そこで私は、この男の正体を探る為、【騙されていた】【亜神だと勘違いしていた】という芝居をうち、平静を装い、平常心を保ち、慎重にこの男の真贋を確かめていたのだ。
そして、ここに至り、ようやく出した答え。
このハルヒロという男のラベリング。
(‥‥ある条件(エロ感情の発露)を満たすと尋常ではない量の瘴気を撒き散らす異界から来た人間種。あるいは、そういうスキルを持つ人間。)
だが、こういうラベリングをつけた一方で、このハルヒロという人間に対して、少し惹かれるというか、特異な一面も発見していた。
このハルヒロという男、今まで生きてこれたのが不思議なほど、言うこと成すことすべてが甘っちょろく、正直で優しいのだ。まさに、【甘口ミミズを煮詰めたような男】という言葉がぴったりの人間。
そして、そんなハルヒロを当初、凶悪な亜神だと思っていた私は、悪いことに、魔道血判の強大な権力をハルヒロに与えてしまっていた。
こやつには話していないが、魔道血判の契約とは、里衆全員の命の代償に、我が一命のみならず妖狐族の所有地、所有物、全財産を供物としてハルヒロに奉納することを意味している。
ナナツボシは是が非でも、この【甘口ミミズを煮詰めたような男】に、この契約内容を知られることだけは避けたかったのだ。だから、騙されたふりをして、平静を装い、魔道血判が対等な条件での契約だったと印象付けたかった。‥‥だが。
(‥‥こ、これほど、言霊の力と相まって、魔道血判の呪縛力が強いとは‥‥‥)
正座させられ、身動ぎもできず、心身共に支配された判然としない感覚に、このままでは隠していたことすべてを吐いてしまいそうな漫然とした恐怖心を抱いていた。
◇◆
「‥‥ナナさん‥‥奴隷商人からバニラたちを救い出すにはどうしたら良いですか‥‥?」
やんわりとした質問なのに、背筋を冷やすような不安を煽る文言に聞こえる。
(ーーまさか、言霊の力に‥‥。)
「‥‥‥し、知らん!」
「‥‥‥では‥‥もう一度聞きます、奴隷商人からバニラたちを救い出すには、どうしたら良いですか‥‥‥?」
【ーーーナナさん!答えろッ!!】
ドドンッ!と強力な雷に貫かれたような激しい感覚。脳を揺さぶる耐え難い痛み。カチカチと歯が鳴りだし、目尻に涙が浮かぶ。
我慢できない痛みに‥‥‥。
「ゆ、ゆ、ゆるいてくれェ、ハルゥゥ‥‥ゥぐッ、ぐッ、ぐゥッ‥‥」
体の震えが止まらない。みっともなくしゃくり上げ、全身が竦み上がり、身動ぎひとつできなかった。
そんな私の表情すら、そそるとばかりに嗜虐的に笑うように見えたハルヒロは、さらにたたみかけるーーー。
【ーー答えろッ!!】
「ーーーゥキュンンッ!!」
(‥‥‥意識が飛ぶ‥‥)そう思った時。ギュンッと狐耳を掴まれて、頭をグンッと仰がされた。
「ナナさん、寝ないでください。大事なことなんですよッ!!」
意識の飛ぶ寸前だった。間近に見たハルヒロの顔は真剣そのもので、目には零れ落ちそうな涙を湛えていた。
「は、ハルゥ‥‥‥、答える、答える、答えるから、手を放してくれないか‥‥頼むゥゥ。」
「‥‥駄目です。答えてくれるまでは絶対に放しません。」
(僕も辛いんですよ、ふひひ。)と言いながら、真剣な顔とは一転、ニヤニヤして狐耳をニギニギしている。
(‥‥おまえ、どんな感情だよ!)とは、突っ込みたいが、突っ込めない。
「ぐゥゥ‥‥‥‥‥わ、わかった。直ちに、私が里に赴いて金策して来よう。それでどうだ‥‥‥。」
「金策‥‥‥?」
「そ、そうだ、そもそもこれは、奴隷商人と犬牙族との借金問題だ。奴隷となった者を取り戻すには金貨が必要だ。我々妖狐族は人間との取引が少ないので、奴らが使う金貨はあまりないが、この地に流通するドワフ地金で代用して奴らと交渉すれば‥きっと‥‥‥」
「‥‥‥ドワフ地金‥‥」
奴隷を取り戻すにはこれしかないのだが、ハルヒロは狐耳をニギニギしながら、なぜだか浮かない表情をしている。
「‥‥‥何日位かかります?」
「はぁ!?」
質問の意図がよくわからなくて、クエスチョン顔をしていると。
「だって、里に帰って、ここに戻るまで何日も掛けてたら、バニラが危ないじゃないですか。もっと早いのにして下さい。」
「んなァッ?」
そんなバカな。最善策を出したにもかかわらず簡単に却下された挙げ句、もっと良い案を出せ、と私の尻尾をにやけ顔で見つめ、手をワキワキさせながら、こう迫るハルヒロ。
「教えて下さい、ナナさん。‥‥‥‥で、でないと‥‥」
出会った時の悪夢のような醜態と屈辱が頭をよぎる。
(駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えるんだ、考えるんだァ、ナナツボシィィッ‥‥)
「わ、わかった、わかった。これはどうだ、この近くに我一族所有の岩塩鉱山がある。奴隷商人とはいえ商売人のはしくれだ、同じ重さの銅貨にも値すると言われる岩塩の価値、奴らにも理解できるであろう。」
【‥‥岩塩‥‥‥。】
切羽詰まった私は、後にどうなるかも考えずに、我一族が太古の昔から秘密裏に所有していた岩塩鉱山の存在を明らかにしてしまったのだ。




