血判
「大体、こうなったんはバニラ、おんしのせいでもあるんじゃぞ、わかっておるんかに?‥‥おん?」
「ぬ?‥‥オレのせい‥?」
数年前、ここグリーンバレイの南部において、商品を卸しに訪れていた行商人のグループが何者かの襲撃を受けて、半殺しの目に遭わされた挙げ句、その荷物まで全て奪われるという事件が相次いで起こった。
当時、グリーンバレイに商売の為に来る人間の行商人に限っては(最優先でこれの安全を確保する)と約束していた百葉の爺婆達はその安全性の責任から血眼になって犯人を探したが、結局その犯人は見つからなかった。
そして、同じく犯人を探していたノーザンクロス冒険者ギルド本部の捜索網から犯人の特徴と懸賞金が発表され、懸賞が懸けられた。
【十二~十五歳。身長百五十センチ。中肉中背。茶褐色の肌と髪。黒茶の革外套。犬牙人族。女。子供。この者の懸賞名【女餓鬼】とし、特別懸賞金五万ギリング。ーー生死問わず。】
アンズ婆はなにくわぬ顔で、スッとその懸賞冊子をバニラの目の前に差し出した。
「し、し、し、し、知らね‥‥知らねーし。オレじゃねえし!ババサマ、お、お、オレじゃねえから!オレじゃねえからな!」
そう言ってあからさまに動揺しているバニラは、その冊子をバリバリと破り、次々と囲炉裏へとくべていく。
「ブワッハハハ‥‥いかん、いかん、バレバレじゃ、バニはもちっと、装わんといかんわ。‥‥ゃが、まあの、昔のことじゃ‥‥‥あん時は【百葉の手】も犯人がバニじゃと知っておったわい。そんに、百葉の爺婆も薄々知っておったが、結局、人間に銭子(賠償金)さ払って見逃してくれたんじゃ。」
『そん時の借りがある。』とアンズ婆はハッキリと言った。
借金の肩代わりと言ってはなんだか、百葉は貨幣経済に巻き込まれていた犬牙一族の為に(力の強い犬牙族を労働力として貸し出して外貨を得る)という人間との労働力提携を村落の持ち回りで、かなりの昔から行われていた。
アンズ婆は『その時の借り』の為に、本来村落の持ち回りであるはずの労働力提供に一言も文句を言わずに、ここ三年間毎年続けて百葉に言われるまま、二、三人ずつの労働力提供を人間の商会に行っていた。
「‥‥‥ぅぐうぅっ‥‥‥‥」
押し黙るバニラ。
アンズ婆はキセルを一服つけて紫煙を盛大に吐き出すと、いつものように話題を変える合図として、顔を皺くちゃにしてほころばせると囲炉裏の板縁に(カンカンカン)とキセルを打ちつけた。
「‥‥とっこんで、モナモカ達わらし子が、北の谷に住むその男に【カッレー】ちゅう、えんれぇうまいもんをご馳走になったんちゅうはホンマかに?」
俯いてしかめっ面をしていたバニラだが、アンズ婆の振りで、パァと花が咲いたような明るい表情を取り戻した。
「え!?‥そうそう、そうなんだよ、おっぱい揉ましてくれ~おっぱい揉ましてくれ~って、ちょっとうるさいんだけど、糞人間にしては悪い奴じゃねえよ。なんか、人間でもない獣人でもない、すっげ良い匂いがするんだ。なんてったって、あのモナモカが懐くくらいだからな、相当だよ、うん。」
「ブッハハハハ‥‥そんに乳揉ましてくれ、言われたかに。ワッシの言った通りじゃったろ、ぐふふふ‥‥‥にしても、あんのモナモカがのぅ、にわかには信じられんのぉ‥‥‥‥とこんで【カッレー】はどうじゃたんかに、もんすごいうまいっちゅう話ば聞いとるぞ。」
アンズ婆はその【人間】と【カッレー】なるものに相当興味があるらしく前のめりで聞いてくる。
「おうおう、そりゃ、そりゃ!そりゃあ!あんなうまいもん食ったことがないよ。しょっぱくて、甘くて、辛くて、酸っぱくて、苦くて、熱くて、温かくて、良い匂いで、良い薫りで、もう口では言い表せないよ。うん、うん。くふふふふ‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
カレーの味を思い出して、にやけたふにゃ顔をしたバニラを見つめていたアンズ婆。
「‥‥‥‥バニ、その乳を揉みまくる男のぉ‥‥‥こん村に招待してくれんかに‥‥?」
◇◆◇◆
その頃、乳を揉みまくる男は、というと。
ナナツボシさんの血を吐くような決死の交渉に押されまくり、結局、僕は【魔道血判】なる怪しげな書状に血判を捺さざるを得ない状況に陥っていた。
しかし、全く読めない怪しい血判状に判を捺すのはあまりにも怖かったので、危機管理の意味も含めてナナツボシさんにお願いして、カウンター証文にナナツボシさんの血判とサインを頂いていた。
【カウンター証文】
一、訴訟問題には発展させない。
二、いかなる金銭問題にも発展させない。
三、桜木 春大を貶める行為をしない。
という、自作の三大原則に血判をもらってから魔道血判に判を捺したので、たぶん裁判沙汰にはならないと思うが‥‥。
ナナツボシさんに働いた行為があまりに悪逆非道だったので、かなり不安が残っていた。
「‥‥‥決して、決してハルヒロ様には少しのリスクもありません。ただ、私、三尾のナナツボシを供物として捧げらるかわりに、我が妖狐族への手出し(攻撃)が一切出来なくなるだけでございます。」
まだ時代劇プレイに酔っているようなセリフだが、あれほどの悪行を働いた僕には結局、ナナツボシさんのこの言葉を信じるしか選択肢はなかった。
(しかし、妖狐族への攻撃って‥‥‥ナナツボシさんはいったい僕のことをなんだと思ってるんだろう‥‥?)
結局、僕は迷いまくった挙げ句、ナナツボシさんの迫力に負けて、魔道血判に判を捺していた。
「‥‥これより葉隠の里衆と頭首にこの成果を報告して参りとうございます。何卒、何卒、二日の猶予を私にお許しくださいますようお願い申し上げます。ハルヒロ様。」
なぜか、また両手をついてナナツボシさんお得意の時代劇被虐プレイが始まってしまっていた。
(もう正直、何がなんだかわからない‥‥)
感情が追いつかないまま、思わず乗っかってしまう僕。
「‥‥‥ゆ、許す。」
「はっはー!ありがたき幸せ。」
ナナツボシさんは額をつけて土下座を決めて込んでいる。
(‥‥‥‥‥なんなんすか、ナナツボシさんのそのプレイスタイル‥‥?)
こうして、ナナツボシさんは僕の感情を完全に追い越し、斜め上をいったまま、魔道血判なるものを懐に、上下ネズミ色のジャージ姿に美しい三尾を翻して北にある自分の村へと旅立って行った。
残念だが、もう二度とナナツボシさんとは会うこともないだろう‥‥‥とこの時、僕はそう思って彼女の神々しい後ろ姿を見送っていた。




