藍袴
開墾計画、作付け計画を考えているうちにいつの間にか机に突っ伏して眠ってしまっていたようだ。
朝独特のひんやりした空気、静けさ、そして薄暗い部屋の中には、カーテンの隙間から太陽のほんのりとした明かりが差し込んでいる。
そして、そのカーテンを開けてみると、窓の外には透き通るような青空が広がっていた。
「‥‥ょおしっ、やるかァ~!」
気合いを入れた視界の先に、黒っぽい人影が見えたような気がした。
「ん!?」
驚いてもう一度、目を凝らして人影があった場所をよく見てみたが、そこには広大は森が広がっているだけで、何も無いようだった。
(‥‥‥‥‥‥錯覚か?)
ここは異世界。
何が住んでいるかもわからない見知らぬ大地。
正直、びびって無いと言えば嘘になる。
事実、少し気がたっていたようで、バニラ達が帰った後ぐらいから、誰かに見られているような奇妙な感覚を感じていた。
だけど、そんな錯覚みたいなものを気にしててもしょうがない。
頭を切り替えて、僕は急ぎ新しい作業着に着替え、昨夜書いた開墾計画書を入念にチェックして、四反の土地を開墾することに集中しようと思った。
開墾計画書を見ながら、大体の位置関係、歩数と距離感で耕作地する場所に標の木杭を差していく。まあこのへんはテキトウだ。
後は距離も計れる万能耕うん機【耕太くん】に全てを任せようと思う。
ガソリン満タン三十リットルで約2.5時間連続運転可能。そして、この耕太くん最大の特徴として、内側の爪と外側の爪が逆転方向に同時回転する、正逆転ロータリーシステムにより、どんな固い土でも、ふっくら耕してくれる優れもの。
開墾してある土地なら、きれいな畝立も出来るのだが、今回は一からの開墾である。フルパワーモードで四反(四十アール)をガソリンの許す限り耕しまくってやろうと思う。
早速、納屋に入り、耕太くんに掛かっているカバーをバサァッと外す。
「ぅおお!!」
その勇姿を現した。
小型だが美しい流線型のフォルムに真っ赤なメタリックボディ。一昨年一目惚れして買った最新式の耕うん機、耕太くん。
ガソリンを満タンにしてから、耕太くんに乗り込む。
そして、エンジンを掛ける。
『ブン、ブルン、ブルルン、ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ‥‥‥‥』
心地よい重低音が響く。
ゆっくりアクセルを踏み込んで走らせる。
納屋から耕太くんが出ると同時に、視界の端にサッと何かが舞うのが見えた。
『ドサッ!!』
「へっ!!?」
なんと、納屋の前に立っている大きな木から、紺色の着物を着た【金髪女性】が落ちてきた~。
◇◆
ジュアナパシア大森林グリーンバレイ 【葉隠の里】
「!!?」
その日、ナナツボシは突如として南に現れた凶相に、その美しい相貌を歪ませた。
大樹林帯グリーンバレイ南部に突然現れた特異点とも言うべき、その凶悪な瘴気。その禍禍しいオーラの出現によって、ここ葉隠の里に住まう全ての里衆、そして、不安と警戒に彩られた全ての瞳が南の空に向けられていた。
『‥‥ブオオオオオン、ブオオオオオン、ブオオオオオン、ブオオオオオン、ブオオオオオン、ブオオ‥‥‥‥。』
時を開けず、法螺貝による藍袴衆集合を意図する大響音が葉隠の里の空に響き渡る。
響音が響き渡る前に、ナナツボシは頭首屋敷のある山門の頂上に向けて走り出していた。
日頃から藍袴衆として鍛練を積んでいる妖力を帯びた脚力は風よりも速い。里の中央にある山門を駆け抜け、二百数十段の石段を一息で駆け上がる。
石段を登り切ると、きれいに敷かれた石畳の先に当代頭首の荘厳な屋敷が見えて来る。
御屋敷の前大門をくぐり抜けたその美しい庭園には、すでに何人かの藍色の衆着に身を包んだ藍袴衆(里内では木挽衆と区別する意味で藍袴衆と呼ばれている。)が頭首様の面前に片膝をついて控え、頭を垂れていた。
「藍袴衆筆頭、ナナツボシ、推参しました。」
そう。参内の口上を発して、他の藍袴衆と同じように片膝をつき、頭首ジンベイの面前にて頭を垂れる。
「おお、参ったか、【尾三公】よ。待っておったぞ。」
頭首のジンベイが大袈裟な立ち振舞いで私の到着に、歓迎の意を表す。
ここ葉隠の里では、誰もが私のことを【尾三公】と呼ぶ。
妖狐族はその妖力の大小により、生まれながらにして尻尾の数が【一尾】と【二尾】とに別れる。当然のことながら、一尾よりも二尾に生まれた子供のほうが妖力が圧倒的に高く、二尾を持つ数少ない子供達は【藍若衆】と呼ばれ葉隠の里全体の宝として大切に育成されて(隠密戦闘のエリート集団)である【藍袴衆】に組み込まれる。
そのような環境に於いて、私は圧倒的な妖力を持つ【三尾】として生を受けた。若年ながら、エリート集団【藍袴衆】を束ねる筆頭にして、将来的には、葉隠の里【頭首】の座が約束されている最強の上妖忍である。
「~時に、尾三公よ。‥‥南の空に現れた、凶兆‥‥あれを、なんと見る。」
「はっ、わかりませぬ。ただ、妖魔に属するものではありませぬ。しかしながら、この尋常ならぬ異界の瘴気‥‥‥あるいは‥‥あ、亜神か神仙の類いやもしれませぬ。」
「あ、亜神‥と‥‥‥」
その言葉を聞いて、この場に集まっていた藍袴衆が騒然となる。
「亜神だと!」「まさか、そんな!」「あり得ん!」「この凶悪な瘴気が‥‥」「信じられん!」「千年鬼の復活‥‥」
藍袴衆が口々に騒ぎ初めた。
「‥‥え、ええい、ものども、し、静まれいッ!!」
頭首ジンベイが大きな身振りで静めにかかるが、その声にも隠せない大きな動揺の色が伺えた。
藍袴衆が騒然となるのも当然である。
【亜神】とは現世に降臨した肉体を持つ神体。
狐族の始祖、数千年の歳月を生き、神祖と言われる【九尾の狐】が、現世に降臨した【亜神】によって滅ぼされて千有余年。
かつて、強大な勢力を誇った狐族の国が亜神のために滅亡したという伝説は、現在でも史書や言い伝えとして妖狐族の中で受け継がれている。
滅亡した狐族の子孫、現在でも隠れ里に身を隠すように生きる亡国の民【妖狐族】にとって【亜神】という存在は今でも禁忌的な不倶戴天の敵であった。
「ま、まさか、亜神とは‥‥‥。」
ナナツボシは確たる証拠も無しに軽々しく亜神の名を口にしたことを大いに悔いた。
「ま、まだ、まだ、わかりませぬ。ですが、まずもって、それを確かめることが肝要かと‥‥‥」
(まだ、亜神と決まったわけではありませぬ‥‥)
にもかかわらず、頭首ジンベイの瞳に、すでに強い覚悟の光が宿っているのを、ナナツボシは感じていた。
ジンベイは重なりあうように膝をついて、ナナツボシの前に屈むと、ゆっくりと慎重に言葉を選ぶように、小声でこう耳打ちした。
「‥‥‥‥して、尾三公よ、幾人、幾人の命が‥‥必要じゃ。」
「い、命とは‥‥」
頭首ジンベイの言葉は、明らかに抗戦することを意図している。この里では絶対的なヒエラルキーの頂点に立つ現頭首の言葉に逆らうことは許されない。
だが、おそらく頭首には、この得体の知れない怪物がどれだけの凶悪な瘴気を発している存在なのかがまるでわかっていない。
不用意に、この怪物を刺激することはあまりにも危険だ。
(判断を間違えば、多大な犠牲‥‥いや、最悪、最悪の場合、里の滅亡をも視野に入れなければならなくなる。)
反意を表すことは許される筈もないが、ナナツボシは思わず、こう言葉を切り返してしまった。
「お、お待ち下さい、ジンベイ様ァ!‥‥ま、まず、まずもって、この者の正体、確めて参りとうございます。何卒、なにとぞ、内偵の任、この藍袴衆筆頭ナナツボシにお任せ下さいますようお願い申し上げます!」
こうした成り行きで私は、グリーンバレイ南方に膨大な瘴気と共に現れた【あの人間】と関わりあいを持つことになってしまったのだった。




