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鉄拳



 ーーーあの女は笑っていた。

  

 おまえはまだ遊べそうだから生かしておいてやる。薄れゆく意識の中、あの薄気味悪い狂喜に満ちた黒い瞳が、そう語っているように思えた。

 結局、あの化け物はオレを殺さずに何処かへ消えてしまった。

 

 焚き火に枯れ枝をくべて、炎を見つめながら、そんなことを考えていると。

 

 『ガサッ』と足音がした。


 咄嗟とっさに脇に置いてある安物の剣に手を伸ばす。ちなみに、波状剣フランベルジュはあの女に持っていかれたらしい。


 「‥‥わたしよ。」


 マリリンが暗闇の中から、~しゃなりしゃなりと歩いてきた。


 「ま、マリリン‥‥‥眠れないのか‥‥?」


 あからさまにイライラしている。


 「‥‥‥おい。」


 対面に座ったマリリンがオレを一瞥いちべつしてから人差し指と中指を閉じたり開いたりして見せた。

 マリリンの様子をじっと伺うが、なんのことやらさっぱりわからない。


 「ぬ‥‥?」


 マリリンが鉄鞭に手を伸ばす。


 「ちょっ‥‥!?」


 こういう時のマリリンはとにかく恐ろしい。何の説明も無しに鉄鞭をふるってくる。


 「ちょ、ちょっと待ってくれっス。頼むから説明を、その指の説明を、お願いプリーーズ。」


 「‥‥‥煙草だよ煙草。イライラがおさまんねーんだわ、お前一本ぐらい持ってんだろ?‥‥くれよ。」


 「い、いや、オレちゃん持ってないっスよ。」


 ーーーチンピラモード。


 いつもは清楚で麗しいマリリンが、まるでチンピラのようだ。

 だいたいオレは煙草などもとから吸わないし、マリリンが吸ってるのも見たことがない。誰かれなく因縁をつけたい時にマリリンがたまに使う暴走モード。対応を間違えるとひどい目にあう。


 「‥‥‥オレチャン?」


 そう言ってマリリンは、下を向きながらイライラと頭を掻いた。そして、深々とため息を吐いて。


 「わたしの前で【オレチャン】はやめな‥‥」


 「あい、やめます、やめます。もう二度とオレチャン言いません。ハイ。」


 「‥‥まあ、アッシュがここの雰囲気をなんとかしようとして、無理やりはしゃいでるのは理解しているわ。でもね、わたし的にはもう無理。正直耐えられない‥‥あいつが今何してるのか、あんただって知ってんだろ‥‥?」


 「う‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。」


 知っていた。

 だんまりを決め込んだのは、マリリンの前で言葉にできるようなものではなかったから。それに、マリリンの怒りにこれ以上、油を注ぎたくなかった。

 というのも、夜営地のテント付近には女の子のくぐもった泣き声やうめき声が響き渡っている。あいつことジョン‐ロックフェラーが年端もいかない獣人の女の子をテントの中に連れ込んで、いたぶっているからだ。

 あいつが言うには、愛玩奴隷として高い値段で売却するための調教らしいが、オレからすれば、狂人の胸くそ悪い変態趣味にしか思えない。

 オレ自身もあの声を聞くのが嫌で見張り番を買って出ていたのだ。だから、マリリンの気持ちは痛いほどよくわかっていた。‥‥のだが。


 「なんか言えや、おらっ!」


 鉄鞭をビシッと地面に叩きつける。


 「ち、ちょっ、お、オレちゃ‥‥いや、オレだってマリリンと気持ちは一緒なんだよ。‥‥‥だけど。」


 「だけどぉ‥‥‥?」


 『ギンッ』と鋭い眼光を向ける。


 「『ギンッ』って怖いなあ、マリリンさんは‥‥。あ、あれだよ。あれ。ほんっと人生ってままならないって言うかさ、ほんと大変って言うかさ、そういうね‥‥‥アハハ‥」


 「金だろうが。結局、お前は端金でわたし達全員の誇りと正義を売り払ったんだよ。」

 

 「そ、そんな大袈裟な、だいたいマリリンだって‥‥ぁ、ウヒィッ!!」

 

 『ビシィッ!』と鉄鞭でしばかれた。太腿ふとももを思い切りしばかれた。

 まあ、当然と言えば当然だ。これは仕方がない。


 ワイバーン討伐オーダーを受けたのも。アリーシャが殺されたのも。チームハウンドがあの化け物に敗れたのも。ギルド本部からアリーシャの見舞い金を借りたのも。裏も取らないでこのクソ仕事を受けたのも。全ては、オレの責任だ。


 それなのに、マリリンに責任転化するようなことを言ってしまった。これはしょうがない。いくらでも罰は受けるつもりだ。

 金に目がくらんで、裏も取らずに飛びついたのは悪いと思うが、たった十日間の護衛任務で三十万ギリングのとんでもなくおいしい仕事。

 それに、すでに前金として受け取った十万ギリングはギルドへの借金返済に充てて無くなってしまっていた。

 ここで、この仕事を降りたら、前金の十万と違約金の十万、合わせて、二十万ギリング返さなければならなくなる。


 とにかく、オレは鉄鞭で叩かれようが、なんと言われようが、石にかじりついてでも、このクソ仕事を遂行し続けるしかないのだ。


 「すまん、すまない。マリリン。マウンテン。今回だけ、ほんと今回だけ、オレの顔に免じて許してくれ。頼む、この通りだ。」

 

 オレはマリリンとマウンテンに向かって土下座を決めた。

        「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥このクソ虫が。」


 甘かった。チョロ甘だった。

 土下座さえすれば。まあまあ、仲間なんだから顔を上げろよ~的な感じで許してくれるものだと思っていた。

 それがどうだ、長い、長ーーい沈黙の後に【クソ虫】って‥‥‥ひどすぎる。


 オレは土下座させられたまま完全に放置された。

 そして朝、叩き起こされるまでオレは土下座したままの体勢ですっかり寝てしまっていた。


 ◇


 昨晩は、あの体勢のまま寝てしまうという失態を犯したようだが、朝になってみるとマリリンの機嫌がことのほか良くなっていた。

 なので、ひと安心して出発の準備をしていると、一転、苦虫を噛み潰したような顔をしたマリリンが『獣人の女の子がひとり居ない』と訴えかけてきた。

 オレは昨夜に引き続きまだテントのそばに居るんじゃないかと思いロックに声を掛けた。


 「あ、おはっす、ロックの旦那。双子の娘がひとり足りないみたいなんすけど、何処にいるか知らないっすか?」


 いつもそうだが、今朝はいつもに増して不機嫌な顔、そして高圧的な態度でロックフェラーはこう答えた。


 「‥‥ああ、一匹、死んじまった。まったく十万の損害だ。ちょっと遊びが過ぎたな。」


 「し、死ん‥‥‥」


 「‥‥それにしても、なんでお前がそんなこと‥‥‥ああ~あれか、遊びてぇのか。殺さねぇなら、一匹貸してやらねぇこともねぇぞ、ハウンド。クッハハ八‥‥。」


 「ち、ちょ、ちょっと、オレはそんなつもりじゃないっすよ。」


 「クハハ‥‥嘘をつくな、鳴き声聞いて遊びたくなったんだろうが。あいつらにはきつめに調教してあるからな、言えば、なんでもしてくれるぞ。まあ、殺さねぇなら、そのうち遊ばせてやるよ。」


 「ほ、ほんと、嘘じゃないんすよ。オレはただ、ちょっと聞いてきてくれって頼まれただけで‥‥。」


 「あん‥‥?ああ、また魔道士の乳女か‥‥。ハウンドともあろうもんが女の尻に敷かれやがって、情けねぇな。一回、俺にあの乳女、預けてみねェーか。従順な雌豚にしつけて返してやるぜ。クッハハ八ハーー!!」


 想像以上のくそ野郎だ。

 どうやら、獣人の女の子はこいつに殺されてどこかに捨てられたらしい。それにマリリンのことを。


 「め、雌豚って‥‥む、無理、無理っすよ。こっちが殺されちゃいますよ。それに、オレちゃんはロックの旦那ほど強くないっすから。」


 「クハハ八‥‥‥辺境域最強ハウンドの名は聞いてるぜ。十年前ならわからんが、今はお前達のほうが強いだろ。その為にバカ高い金払ってんだ。それに、ここは魔領域、昨晩のように何が起こるかわからんからな。」


 これは本当だ。ジョン‐ロックフェラーという男はおそらく今でもオレと同じぐらいに強い。かつては王都でも名を馳せた【鉄拳】の異名を持つ冒険者だったと聞いたことがある。


 まあ、それくらいじゃないとこの魔領域で獣人相手の【奴隷ビジネス】など出来る筈もない。



 「‥‥‥準備が整いました。大旦那様。」


 斥候の獣人の男が片膝をついて、ロックフェラーに声を掛けた。


 


 

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