83.魔力もないのに
*
「……まさかエレベーターがあったなんて」
ガタン、ゴトンと大きな音を立てて揺れる小さな箱の中。わたしの言葉に、ダンは首をかしげた。
「えれべえたあ?昇降機のことか?これがねえと、地上に出るの大変じゃねーか」
「大変だったのよ……」
「は?」
「あ、いや。えっと………立派な機械よね!これ、どういう仕組みで動いてるのかな」
「あぁ、風の魔術の応用らしい」
初めて見る乗り物にわくわく!という風を装って尋ねると、興味も無さそうに教えてくれた。魔術研究所の職員がそんなんでいいのだろうか。
「俺には魔術っつーもんがイマイチわかんねー」
「わからないから研究してるんでしょ?」
「そりゃ―――」
言葉を区切り、嫌そうに顔を歪める。
………え?なに?その反応。もしかして、
「まさか、無理やり研究の手伝いをさせられて……!?」
「ちげーわ。俺の意思だわ」
そこはきっぱりと言い切った。なんだ、それならよかった。よくないけど。これから彼の職を奪ってしまうかもしれない身としては。
「ほら、着いたぜ」
昇降機を降りて案内されたのは、灰色の壁に囲まれた広い空間だった。見渡す限り何もない。薄暗いのは地下だから仕方ないかと思ったが、灯りが何一つないのにぼんやりと周囲が見えるということに気づいた。
ほんとにここが、『オズバン魔術研究所』? わたしがゲームで知ってる場所とは程遠い。もっと大勢の研究員たちがいて、書物を囲み、空音を起動し、ああでもないこうでもないと議論を交わしていたのに…………いや、待って。ほんとに誰もいなくない??研究員たちは??
「ねえ、他の人たちはどこに――?」
「おい、コイツは侵入者じゃねーから。さっさと姿見せろ」
え?と隣を見上げた。ダンの口振りは、まるで見えない誰かがすぐ目の前にいて、その人に話しかけているようだ。頭の心配をしてしまう。
けど、その必要はなかった。
ダンの声とともに、周囲の空間がぐにゃりと歪み、あっという間に足元が崩れていく。うひゃっと可愛くない声を漏らし、ダンにしがみついた。ぎょっと目を丸くしたダンが慌てたようすで肩を支えてくれたけど、そんなことを気にする余裕はすぐにどこかへ吹き飛んでしまった。
「え?え……!? なに!??なんなの!!?」
「落ち着け。すぐわかる」
なんでそんな余裕なの。と言いたくても言葉にならないまま、目の前の景色が変わっていくのをただ呆然と眺めた。口をパクパクさせ、立ち尽くす。
「侵入者ではないだと?では被験体か」
「子どもか……貴重なサンプルがとれそうね」
「おい、迂闊なこと言うんじゃねーよッ!命が惜しくねーのかテメーら!」
「む、すまない。まさかダンに少女趣味があるとは思わず、つい」
「なんの話だ!んなもんあるわけねーだろッ!」
何もなかった空間から次々と姿を現し始めた人たちは、ダンを囲んで口々に声をかけた。皆一様に白いローブを身に纏っている。
「こ、この人たち、どこから、」
「ずっとここにいたぜ、お嬢」
そう答えてくれたのは、少しクセのあるはちみつ色の髪を、後ろでひとつに束ねた若い男だった。彼はわたしの正面まで来ると、ニヤリと口端をあげ悪そうな笑みを向けてくる。思わず眉を潜めた。お嬢?なによその呼び方。コイツ馴れ馴れしいわ。文句を言うため口を開こうとして―――そのまま。パカンと口を開けたまま、わたしは固まってしまった。さっきから驚いてばっかりだ。けど、そんなバカな。長い前髪の奥に潜む、藍色の瞳は初めて見るけれど。
「ま……っ、まさか、ヤッカス!?」
「へへっ、相変わらずだな、お嬢は」
ヤッカスはカラカラと調子よく笑い、わたしの頭をポンポンと撫で付けた。なんか、印象が変わった気がする。ダンは昔とそんなに変わんないなーと思ったのに。柄の悪そうな長い前髪がなくなって、瞳が見えるようになったからだろうか。それとも身に纏った白いローブのせいか。
「って!まさか貴方、研究員なの!?」
「あー俺?そうそう」
「魔力もないのに!?」
驚きのあまり失礼なことを口走りながら、わたしは彼に詰め寄った。ヤッカスは少しだけ頬をひくつかせたが、すぐに調子を取り戻してニヤリと白い歯を見せる。
「そう思うだろ?」
なんで?どういうこと? 魔力は子どもの頃に発現する人がほとんどだ。今まで気付かなかったなんてあり得ない。
「さあ見ろ!これぞ男のロマン、魔術だ!」
大きな声でそう宣言すると、ヤッカスは両手をギリギリまで近づけ、勢いよく左右に広げる。すると、バチッと指から鋭い光が漏れた。
「雷…?」
「そ。俺の属性」
驚きの連続すぎて、もう何に驚いたらいいのかわからない。恐る恐る顔を上げると、ヤッカスが得意そうに歯を見せた。
「これが人為的空間術の力ってやつだ」
周囲を見渡すと、人だけじゃない。大量の紙や書物、フラスコやビン、試験管、細長い管など。一目では何に使うかわからない実験道具らしきものがあちこちに散乱していた。
「さっきまで何もなかったのに……」
「それはほら。空音さ」
呆然とするわたしに、得意気に指をたてた。この男、さっきからNGワードの連発である。
これが、空間震音装置――空音から生み出された現象なのか。目の前にあるものをまるで何も無いように。そんなことができるなら逆もまた容易なのかもしれない。世界と人に害を為す、なんて具体性のない説明を受けるよりはるかにわかりやすい。わかりやすく、脅威だ。空間に歪みだか歪みだかをつくり、人の目をここまで欺けるのだから。