81.約束したんだ
「父さま、今日はじいさまのところへ行かないの?」
くい、と長い袖をつかみ、高い位置にある顔を見上げた。父さまは酷く憔悴しきった顔で、力なくアタシの手を振りほどいた。今になって思えば、あの日の前日にじいさまは死んだのだ。
「惜しい方を亡くしたな」
「国政も外交も、陛下の尽力なくして今のローレンシアはあり得なかった」
「我が国はこれからどうなるのやら」
「次期国王がおられる」
「あの方では、陛下を凌ぐことなど」
「色好きゆえ」
「おい、聞かれたらどうする」
声を潜めてくつくつと笑い合う大人たちが嫌いだった。意味はよくわからなかったけど、大好きな父さまを馬鹿にされていることはわかったから。子どものアタシですらそう感じたんだから、父さまはもっとつらい思いをしたんじゃないかと思う。じいさまは歴代最高の王と呼ばれるほど、治世に長けた人だった。
そんな折だった。
「初めまして。フランと申します」
銀色の髪をした男の人は、遠い村で教会や孤児院を営んでいる神父だという。病気で寝こんでいたじいさまにずっと付き添っていたので、じいさまの家臣かと思っていた。そう言ったら彼は優しく微笑みを返してくれ、これからは王様になった父さまのサポートをするのだと教えてくれる。
「何かを為し遂げねばならないのだ」
そして父さまは、その言葉を繰り返すようになった。
「何かって?」
「なんでもいい。国民に認められるには実績が必要だ」
「じっせき……?」
「エリサ、この国に足りないものは何だと思う」
質問じゃない。初めから答えを用意していた父さまは、すぐに教えてくれた。
「魔術だ。人々から失われようとしている力を、私は取り戻す。だから、そのために―――――
「殿下」
ハッと顔を上げる。ディーノが心配そうにアタシの顔を覗きこんでいた。
「やっぱり行くんですね」
「ああ!とめても無駄だからな」
「……止めませんよ」
あれ、と目を瞬いた。こういうとき、ディーノは絶対良い顔をしなかったのに。大人しくしてろーとか、無茶したらダメだーとか。それが心配からくる言葉だってわかってるけど。
「貴女がどんな無茶しようと、俺が守るんで」
「ディーノ……」
「なので思う存分暴れてください」
「なっ!あ、暴れたりはしない!」
人聞きの悪い言い方に反論すると、彼はカラカラと声を上げて笑った。なんだろう、前と雰囲気が少し変わったような……?
「つまり、魔物はオズバン湖から現れているのですね」
「は、はい、たぶん………っていうかあの、あなたは……?」
「急ぎましょう殿下。あの湖の地下には魔術研究所があったはずです」
呼びにきてくれた騎士と言葉を交わしていたヴィオラが、早口になりながら前を向いた。呼ばれたと思い、振り返る。なぜかディーノも振り返っていたけど、ヴィオラはアタシたち二人に向かって丁寧に説明してくれた。
「北門を狙い、大勢の騎士をおびき寄せることで、手薄になった南門から侵入を試みる……これは明らかに意思を持った人間の知略的行為です。魔物を操っている魔術師がどこかに潜んでいるはず。状況から察するに、オズバン魔術研究所の者ではないかと」
「それがそうとも言い切れないんだよ。空音が暴走してるだけかもしれない」
「……クウオン?」
しまった、まだちゃんと説明してない。事情を話そうと口を開いた、その時。
「悪いけどどうでもいいな」
まるでタイミングを図ったように、それまで口を挟まなかったセドリックが呟いた。感情を感じさせない、抑揚のない声だ。
「南門の守りが手薄になったって言ったな、ヴィオラ。なら城の守りは?」
「城……?」
どうして城の守りを気にするのか。アタシにもわからず、二人して首を傾げた。そこへ、ディーノが助け船を出してくれる。
「ローレンシア城が落とされることは万にひとつもないよ。なんたって国王陛下がいるんだから。俺たち騎士が何を差し置いても守る存在だ。……たとえ城下や国民に被害が出てもな」
「最悪だ」
ビクッと肩が震えた。確かに、そんな状況になったら最悪だ。いくら国のためとはいえ、アタシや父さまのために国民が犠牲になっていいはずがない。もしそんなことになったら、アタシはきっと一生、アタシを許せないだろう。
「ほんと……最悪だよ」
俯いたアタシに追い討ちをかけるようにして、ハンスが声を低くした。セドリックと顔を見合せ、二人声を揃えると。
「「アイリーンが城で大人しくしてると思えない」」
………え、そっち?思わず顔を上げてポカンと口を開けてしまった。でも、すごい、息ピッタリだ。よく見ると後ろの方でライナルトもうんうんと頷いている。
「あー……やっぱアイリーンちゃんってそのタイプか……いや、ちょっと予想はしてたんだよ?それでもさ、城が一番安全だと思ったから、」
「その"一番安全"な城に自分だけがいるって状況がまず無理だろうな」
「"守られたいわけじゃない"ってよく言ってるしね」
「引き留めんのもムリだな。相手が国王でもケンカ売ってんじゃねーの、アイツ」
「"なんでわたしだけなのよ!"って」
「うわ、言いそう」
「今ごろ怒り狂ってるぜ。"置いていかれた!"っつって」
そうなのか。前にアイリーンと話したときは、アタシよりずっと落ち着いてて大人っぽい女の子だと思ったけど。それに、怒り狂ってるのはどう見ても彼らだと思う。セドリックは静かに、ハンスはニコニコと、ライナルトは威嚇するように、それぞれ感情をあらわにしていた。
「とにかくオレはアイリーンのとこへ行く。……ひとりにしないって、約束したんだ」
鋭い視線で遠くを見つめるセドリックに、異を唱える者はいなかった。
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