79.慎んで遠慮申し上げます
「陛下、南門からも魔物が……!」
しばらくすると、南門を警護していた騎士から伝令が届く。予想通りとはいえ、国王たちにも緊張が走り、城内が慌ただしくなってくる。あちこち指示が飛び交う中、わたしは邪魔にならないよう玉座をあとにし、城の出口へと向かうことにした。本当は着替えたかったけど、脱いだ服はディーノに預けてしまい、どこにあるのかわからない。城下に置いてきたとしたら、今外に出るのは危ないだろう。
(北門は大丈夫よね……?)
ディーノを含め、騎士たちはまだ北門から戻ってこない。苦戦してるのか、そのまま南門へ向かったのか。………状況が分からないまま時間だけが過ぎていく。目の前で跳ね上がっていた北門橋がゆっくり下ろされていく様子を眺めながら、焦りばかりが募っていった。
―――わたしも行きたい。
(………けど、足手まといにしかならないもんなぁ)
下を向いて、無意識に手を握ったり開いたりする。武器といえば短刀しかないが、ディーノのように実践で扱えるレベルとは到底言えないし、せいぜい自分の身を守るので精一杯だ。……いや、それすらままならないかもしれない。
なんでもっと身体を鍛えたり、武器を使う訓練をしてなかったんだろう。昔、魔術を使えなかったときも同じ反省をしたのに。まったく学習しない頭でイヤになる。
「どうしたんですか?」
落ち込んでいるところを、突然聞こえた声で我に返る。驚いて顔を上げた。
「手が痛いんですか?」
いつからかすぐ隣にいた少女は、心配そうにわたしの手元を覗き込む。太陽のような明るい髪色が視界に飛び込んできて、思わず目を瞬いた。が、少女が顔を上げた次の瞬間、ポカンと口を開けたまま固まってしまう。
(すっ、―――すっごい美少女……!!)
育ちのよさそうな身なりと、柔らかな物腰。付け焼き刃のわたしとは違う、間違いなく高位な貴族のご令嬢だろう。幼い顔立ちながらも、文句のつけようがなく美少女と呼ぶにふさわしかった。パッチリと大きなダークブラウンの瞳。耳が見えるほど短くカットされたレモン色の髪。明るいのに落ち着いた上品さも感じられるという不思議な印象の少女は、コテンと小首を傾げてみせた。ストレートの髪がサラリと風に揺れる。
「あの……?」
「っ、あぁ、ごめん。ちょっと考えごとしてて」
ドギマギしながらそう答えると、美少女は花が咲いたようにふわりと笑った。すごい。なんていうか……すごい。睫毛長い。
「かわいい」
「うん、かわ――……え?」
「かわいいですね、お姉さん」
一瞬心の声が出てしまったのかと思った。そしてしばらくは何を言われたのかわからなかった。じっくり数秒間は考えてようやく自分が言われたのだと理解する。いやいやかわいいのはアンタよ。
固まってしまったわたしの両手をそっと包み込むと、少女は大切そうにゆるゆると撫でてくれた。いつの間にか冷えていたらしい。温もりを感じて少しずつ緊張がほぐれていく。
「かわいいから、おまじないしてあげます」
え?と聞き返す間もなく、大きく息を吸い込んだ少女は、ふうっとわたしの手に息を吹きかけた。少女のかわいさにすっかり油断していたわたしは、避けることなくその風を受ける。
その時、電流が走った。
「ッ、い……っ!」
咄嗟に手を振り払う。バチっと大きな音を鳴らして離れた手がまだビリビリと痺れていた。
「っ、なに!?」
「おまじないです」
かなり強い力で弾いたと思ったのに、少女は気にしたそぶりも見せない。何事もなかったように微笑まれ、こちらも毒気を抜かれてしまう。
「お、まじない……?」
「強くなりますように。守ってくれますように、って」
指を一本たてながら、いたずらっぽい笑み。そんな顔にすら見惚れてしまう。妖艶という言葉がよく似合った。つくづく不思議な少女だ。でもなぜか納得してしまった。美少女がおまじないだと言うならそうなんだろう。
後になって考えると、ただ息を吹きかけられただけで体中を電流が流れるわけがないのだが、このときのわたしはかなり動揺していてまったく冷静じゃなかったのだ。
「またね、お姉さん」
ヒラヒラと手を振り去っていく。城の外へ向かったので、やっぱり城下に住む貴族なのかもしれない。
「ああいうのを目の保養って言うのね――」
芸能人に会ったみたいでなんだか得した気分だ。背中が徐々に見えなくなると、わたしは再び頭を切り替え、覚悟を決めて南門橋へ向かった。
「アイリーン殿、どちらへ」
騎士のひとりに引き留められて頬がひきつる。もう知れ渡ってるのね、わたしの名前。
「南門へ行きます」
「城でお待ちください」
「どうして?」
「陛下がそのようにと」
「前戦には出ません。ただ巫子としてできることはしたいんです」
それに、やっぱり原因はオズバン湖の地下――魔術研究所にあるのだ。早く研究だか実験だかをやめさせないと、被害は広がる一方だろう。陛下のお許しも出たことだし、堂々と邪魔しに行こうと思う。
言うことを聞かないガキで申し訳ない。という意味を込めて一礼し、踵を返そうとする。が、後ろから肩を捕まれ再び行く手を遮られてしまった。男はなぜかひどく慌てている。
「っ、いけません!殿下と………親しくされている方を、危険な場所へお連れするわけには…ッ」
「はあ?」
「国王陛下より、そう仰せつかっています」
……あ、そういうこと。
「……なら陛下にこうお伝えください。殿下だけを危険な場所に送り込んでわたしだけ城でのほほんとしてろっていうお話なら慎んで遠慮申し上げます」
そう言い放ち、呆然と固まってしまった騎士に背を向ける。妙にスッキリした気分だ。頭では足手まといになるとわかっていても、本心はやはりこっちだった。