74.兄妹揃って
(信っじらんないッ!!!)
ディーノが腰に差した剣を抜くのを初めて見た。が、まさか城から飛び降りる際のブレーキとして使うとは思わなかった。わたしは下を見下ろしながら、彼が地面に降り立つのを唖然と見届ける。
「ッ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃないよー見てよこれ、俺の剣」
そう言って軽く持ち上げた剣を、ディーノは近くに投げ捨てた。城壁に思い切り突き立てていたので、刃こぼれして使い物にならないのだろう。いやそんなことはどうでもいい。
「必要経費だから気にしないけどね」
背を向けたままひらりと手を振る。何か言ってるのはわかるが、内容まで聞き取れない。先程から地の底を這うような轟音が断続的に響いているせいだ。
「もうっ!兄妹揃って勝手なんだから!」
剣と一緒に燕尾服も脱ぎ捨てたディーノは走り去っていく。わたしの声も聞こえていないのだろう。向かっていくのは南門橋だ。北門橋は人が通れないように跳ね上げられていた。
水堀に囲まれたローレンシア城は、城下へと続く橋が二本しかない。一つは、北門が近い北門橋。北門はガドラニアの正門のような役割を果たしていて、ティターナからの旅人がよく訪れる、わたしたちも利用した大きな門だ。だからローレンシア城へかかる北門橋も、人々が主に利用する大通りのようになっていた。
もう一つは、南門が近い南門橋。南門は、都を流れる水路の元――オズバン湖へと続くひと回り小さな門だ。都の人はともかく、旅人にはあまり馴染みがない。同じく南門橋は、旅人が利用することはほとんどない比較的小さな橋となっていた。城の入り口も北側にしかないし、敢えて南門橋を通ろうとする者も少ない。
けれど今、その南門橋が下ろされていて、北門橋が跳ね上がっている。騎士たちは南へ向かうということだろう。つまり、魔物が侵入したのはおそらく南門の方から―――…
(……! 違う、逆だ)
人が通れないように、じゃない。魔物の侵入を防ぐために、橋を跳ねていると考えるべきだ。
城が水堀に囲まれている元々の理由を思い出した。すべては、敵の侵攻を防ぐために。城さえ無事なら王都は立て直せるかもしれないが、その逆はないのだ。城が魔物の手に渡ってしまえば、王都はおわりだ。
(つまり、魔物は北門から襲ってきたのね)
王国に仕える騎士たちがそのことを知らないはずがないし、気付かないはずもない。ディーノだってわかってて飛び出したはずだ。きっと南門橋から城下へ出た後、北門へ向かっている。
なのに、なんだ。この胸騒ぎは。
顔を上げると、目の前に広がる景色はどこまでも穏やかだった。水路が張り巡らされた水の都ガドラニア。南に大きな湖があり、北の地平線の向こうには学問の街ティターナがある。そのさらに向こうには海があり、ミッドガフドの町があり、フィーネの村があるのだろう。ずっと、わたしたちが辿ってきた道が続いている。
けれど、
『あんま大丈夫じゃないね。ここまでデカいのは初めてかも』
村にいた頃は地震なんてなかった。だから人為的空間術の研究が進んでいるなんて思いもしなかったのだ。ティターナで初めて気付いて、たった今も大きな揺れを感じた。
『陛下に人為的空間術の研究を止められたら困る連中がいる』
これは事実。だけど、どこにいる?
『今、このあたり一帯の魔物が凶暴になってるからなあ』
『実験だかなんだかで頻繁にソイツを使いやがるから――』
『最近の魔物の凶暴化も――』
どこに。
『知らないのか? 今、オズバン魔術研究所が人工魔術の研究をしてるだろ』
(………ちょっと、待って。まさか!)
顔を上げ、まっすぐにその方向を捉える。疑惑を確信に変えると、わたしはすぐに踵を返し、急いで城の中へと引き返した。ヒールのある靴は脱ぎ、長いドレスの裾を掴みながら。