70.二度としないわ
「お嬢様、足元に段差がございます」
執事モードのディーノはスッと手を前に差し出した。足を止め、彼のエスコートに従う。
「本当にご立派になられて……ついこの前まで赤子でしたのに」
「……それは言い過ぎ」
誰かとすれ違う度に小芝居を展開され、感謝半分、呆れ半分でそれに付き合う。わたしを貴族令嬢っぽく見せるために頑張ってくれているのはわかるけど、毎回周囲の視線を集めてしまうので変に目立っているような気がしてならない。
「この先だよ。落ち着いてがんばって」
小さく耳打ちされた言葉にこくんと頷いた。玉座へと続く通路は今までと雰囲気が違う。側に控える騎士たちも屈強で、まるで格闘家に囲まれているようだ。ゴクリと唾を飲み、ゆっくりと足を踏み出す。
「お待ちください」
そしてすぐに道を阻まれた。大柄の騎士はジロジロと不躾にわたしたちを観察する。
「陛下と約束はされているでしょうか」
威圧的な言動。男を見上げ、しっかりと目を合わせた。大丈夫、落ち着けわたし。大切なのは、態度と言葉遣い。
「ええ、もちろん。わたくし、アイリーン・エルスラッドと申します。先日10の誕生日を迎えましたので、陛下にご挨拶に伺いましたの。うちのディーノから話が通っているはずですわ」
「ディーノ……? エルスラ……?」
「……まさか、ご存知ないの?」
信じられない、という顔で目を見開く。男は少し怯んだようすで言葉を詰まらせた。今頃必死で脳内貴族一覧から『エルスラッド家』を検索しているに違いない。もちろんそんな貴族はいないのでヒットするはずがないのだが。
「もうよろしいかしら、急いでいるのだけど。陛下を待たせてしまいますわ」
「あ、ああ」
しれっと男をあしらい、堂々と謁見の間を目指す。涼しい顔をしているが心臓はうるさいほど音を立てて暴れていた。
「お見事でした、アイリーン"お嬢様"」
「二度としないわ」
羞恥のあまり顔から火が出そうだ。この歳になって小学校以来の演劇をすることになるとは思わなかった。誉められてもあまり嬉しくない。
一番奥にある大きな両開きの扉の前に立つと、両隣に控えていた騎士のうち一人が慌ただしく中へ入っていった。陛下に人と会う予定があったかどうか確かめに行ったのだろう。すみません、アポ無しです。
さすがにこれ以上は騙せないと、ディーノは一人になった騎士の腹を突き、素早く昏倒させた。ただ職務を全うしていただけの彼には申し訳ない。
「……ここまで、エリサには会わなかったわね」
気にしていたことをポツリと口にすると、ディーノは苦しそうに眉を寄せる。しかしすぐさま迷いを振り切るように足を踏み出し、扉に手をかけた。わたしも同じように手を伸ばす。
この先に国王がいる。エリサもいるかもしれない。
「行くよ」
扉は音を立ててゆっくりと開いていった。
*
王都ガドラニアは通称、水の都とも呼ばれている。
広大な土地に広がる城下は水路が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、小舟で自由に移動できるよう整備されていた。都は北門と南門を除いた周囲を水堀に囲まれ、同じく中央に位置するローレンシア城もぐるりと深い水堀に囲まれている。城下の北側へ続く北門橋、同じく南側へ続く南門橋は必要に応じて跳ね上げられ、城が陸の孤島になるのも珍しくない。そうすることで美しい外観を保つと同時に、外敵からの侵攻を防いでいるのだ。
けど、中へ入ってしまえばそんなのは関係なかった。
(ま、当然こうなるわよね)
玉座へ入るなり、騎士たちから一斉に剣を向けられる。まさにわたしたちが外敵だった。映画のワンシーンのような光景を他人事のように眺める。当事者なのに。
「何者だ。ここまでどうやって――、!」
陛下は驚いたように目を見開く。さすがに自分の息子が侵入者として剣を向けられているのは意外だったらしい。ちらりと隣を見上げると、ディーノは静かな表情で国王を見返していた。
「……陛下。本日はお話ししたいことがあって参りました。申し訳ございませんが、人払いをお願いできませんでしょうか」
ゾクリとするほど冷たい声。ディーノは自分の父親のことをあまりよく思っていない。側室の子として隠されるように育てられてきたのだから当然かもしれないが。
「………わかった」
一方、国王はそんな息子に負い目もあり、愛もある。……という設定だったはず。ディーノの言葉通り騎士たちを下がらせ、側に信頼する大臣たちを残すのみとなった。これでおそらく、ここにはディーノの正体を知る者ばかりだ。
「陛下。エリサ皇女はどちらに」
「……行方を追っている」
「! まだ戻ってない?」
「まだ? こちらはてっきりお前と一緒にいるものだと思っていた」
「……入れ違ったのか」
グッと拳を握る。わたしも即座に背筋が凍った。
「捜しに行く」
「待て。……待つんだ!」
国王の言葉を無視して踵を返そうとしたディーノを、強く呼び止めた。ディーノは足を止めたが、今にも走りだしそうだ。
「こうなった以上、お前を外へ出すわけにはいかない」
「……は?何言ってんだ」
「エリサの捜索はこちらで続ける。お前は行くな」
「……意味わかんないね」
「そうだな、はっきり言おう。我が国の世継ぎを亡くすわけにはいかない」
その瞬間、わたしは咄嗟にディーノの手を掴んだ。握った手は小刻みに揺れている。……気持ちは、痛いほど伝わってきた。
(……もっともな話)
父としてでなく、国王として。エリサの身に万が一のことがあれば、次の王位継承者はディーノである。その時は国王の実子であることも公表され、ディーノは正式な王となるだろう。
(だけど、そんなの勝手よね)
今までずっと隠されてきたのに、必要になったら表舞台に立たされる。まるで道具のような扱いを、ディーノが受け入れられるはずがなかった。