69.なんかノリノリね
「お手をどうぞ、お嬢様」
「………」
「お嬢様、どうなさいました?」
「なんかノリノリね、ディーノ」
「いえいえ、とんでもございません」
そう笑顔でわたしに手を差し出す。やっぱり彼はこの状況を心底楽しんでいるように見えた。わたしはその手を取りながら、ドレスの裾を踏まないよう慎重に馬車を降りる。
「笑顔。をお忘れですよ、お嬢様」
「っ、話しかけないで……!ドレスが破れたらどうすんのよ」
「ですがそんなに下ばかり見ていると――、おっと」
言ったそばから、裾を踏んづけて前のめりになるわたしの体を、ディーノが自然な所作で支えてくれた。いつもの軽装をやめ、黒を基調にした燕尾服を身にまとい、軽薄な物言いをやめ、丁寧な言葉遣いに徹している。まるで本物の執事だ。
「ほら。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない、ドレスが!!」
「いえ、ドレスではなく」
礼を言うよりまずドレスの心配をする。だってこれ、いくらしたと思ってんのよ!しかも買ってくれたのは――
「お気になさらず。必要経費ですので」
「お気にするわよッ!もっと他の方法があったはずでしょ!?なんでわたしがこんな――っ」
改めて自分の格好を見下ろし、ぞっと肩を震わせた。支えてくれたままのディーノの腕に思わずしがみつく。だって―――
「に、似合わない………」
「いや、すごい似合ってるよ」
いきなり素に戻ったディーノに慰められる。が、そんなのは気休めだ。透き通るような空色のドレスは、首から腰にかけてぴったりと肌に馴染み、そこからふわりと下に広がるドレープが幾重にも重なっている。露出は少なく清楚な印象を受ける、まるで深窓の御令嬢が身につけるような装いなのだ。
「こんなふわふわヒラヒラしたのがわたしに似合うわけないでしょ!?」
「そんなことないって。めちゃくちゃかわ――……」
不自然に途切れた声に、恐る恐る顔を上げる。目が合うと、ディーノは少し気まずそうに視線を泳がせた。
「……かわ、いいんじゃない」
絶対ウソでしょ、その反応。いつも軽薄で冗談好きのディーノの言葉を詰まらせるなんて、よっぽど心にもない言葉なんだろう。その後も顔を背けながら「こいつはガキこいつはガキ」と小さく呪文のように唱えていた。いつもなら怒るところだが、彼に買ってもらった高価なドレスを身につけている限り、わたしは反撃できない。
「そ、れよりお嬢様。お忘れなく、これはあくまで作戦です」
「……ほんとにこの格好で行くの?」
「もちろん。貴女は貴族の御令嬢。城へ入る前にもう少しマシな歩き方を覚えていただきませんと」
再び執事モードになったディーノに、貴族令嬢としての立ち振舞いを指導される。ヒールのある靴はともかく、裾の長い中世ヨーロッパ風ドレスなんて着たことがないわたしは、ぎこちない動きしかできなかった。ドレスが重く、思ったように動きづらいのだ。それでもなんとか形だけはそれっぽく見えるように、最低限の動作だけ教えてもらった。
「では、参りましょう。お嬢様」
「う、うん……」
不安をいっぱい抱えたまま、もう一度馬車に乗り込む。向かい側にディーノが座ると、わたしは窓に写った自分の姿をぼんやりと眺めた。
(アイリーンって顔だけは美少女設定だったはずじゃない?なにこの"服に着られてる"感)
やはり内面の可愛くなさが滲み出ているのだろうか。自覚があるだけに、そう思うと悲しくなってくるのだった。
*
作戦の内容は単純だった。
当然のことだが、ローレンシア城は誰でも出入り自由というわけではない。騎士のディーノはすんなり入れるが、なんの身分も口実もないわたしが中に入るのは難しい。
そこで、ディーノの考えた作戦である。貴族令嬢に成り済まし、10歳から一人前と扱われる貴族の制度に則って、登城し陛下にご挨拶をするのだ。もちろん陛下には嘘だとバレるが、要はそこに行き着くまでに怪しまれなければいいのだ。
それでも、庶民が貴族らしく、なんて所詮は付け焼き刃。文字通り門前払いされることばかり考えて、わたしはあまり気乗りしなかった。
「ね、ねえ……やっぱり怪しまれてない? あそこの右側にいる騎士の人、まだわたしのことジーっと見てくるんだけど」
警護する騎士たちは、馬車の中のわたしを五度見くらいするものの、燕尾服を着たディーノに気付くと城門を通してくれた。どうやら王国騎士ディーノに護衛されているという事実が油断を誘うらしい。わたしは言われたとおり、ニコニコと微笑を浮かべ会釈をする。
「あ、ほら!今思い切り顔を逸らされたわ!」
「あー……怪しまれてはいないと思うよ」
「じゃあどういうことよ」
聞いても、ディーノは曖昧に言葉を濁した。すでにドッと疲れたけど、国王陛下とエリサ皇女を探すため、わたしたちは城の中を進むことにした。
ここからが本番だ。