68.隠さないのですね
****
「頼むよ、おじさん」
「嬢ちゃん、無理なもんは無理なんだよ」
「ちょっとだけ」
「ダメ」
「……どうしても?」
「どうしても。――あぁ、いらっしゃいお客さんたち。何名様?」
宿に入ると、後ろ姿の先客があった。店主は煩わしそうに相手をしながら顔をしかめていたが、オレたちに気付くと愛想よい笑みを浮かべる。
「四人だけど……あとでいいよ。その子が先だろ?」
「いや、いいのいいの。この子お金持ってないってんだから」
え?と驚いていると、その子が振り返る。大きな翡翠の瞳と、二つに結んだ桃色の髪が特徴的な、オレたちと同じ年頃の少女だ。
「……宿を利用したいのか?」
困り顔の彼女に、気づけば声をかけていた。少女は驚いたように目を丸くしながら、躊躇いがちに口を開く。
「あ……いや、部屋を見せてほしいんだ」
「部屋を?」
「お客さんしか入れないんだよ。諦めてくれ、嬢ちゃん」
「少しでいいんだ!頼む!お金は、ないけど……」
「だったらオレたちが部屋を借りるから、遊びに来ればいいんじゃないか?」
客人として来るのなら問題ないだろう。同意を求めるように振り返ると、ハンスもライナルトもこくんと頷いてくれた。困ってるのなら助けてあげたい。小さな女の子ということで、あまり警戒もなくそう思った。
そんな中、ヴィオラだけは返事もなく、目すら合わせてくれなかった。少女をジロジロと観察している。……ように見える。一体どうしたんだろう。
「いいのか!?」
「うん。見るだけでいいなら」
「ああ!ありがとう」
少女は嬉しそうに声を弾ませ、顔中に笑みを広げた。笑った顔に、アイリーンを重ねてしまう。似ているというわけじゃなく、同じ年くらいなので妙な親近感が沸く。けれど同時に、不安も生まれた。今頃アイリーンも、お金がなくなり、宿を利用できなくて、困ってたりするのかもしれない。
早く追い付きたい。
(………いや、ダメだ。今はちゃんと体を休めないと)
追い付いたとしても、アイリーンに迷惑をかけたくはない。ライナルトに言われたときは思わず反論してしまったが、彼の言うとおりだ。今必要なのは休息だった。
部屋は全部で四つあり、その内空いていたのは二つ。男女で分けた方がいいというハンスの提案もあり、オレとハンスとライナルトが同室、そしてヴィオラは一人部屋となった。
「どっちの部屋を見たいんだ?」
「わからない……これから探すんだ」
声をかけると、少女はふらふらとオレたちの前に出た。
探す?何を?
「………ここにはない」
ちらりとオレたちの部屋を覗き込むと、すぐに踵を返してしまう。どこへ行くのかと目で追えば、隣にあるヴィオラの部屋へ入ってしまった。後ろにいたヴィオラは、まるでそれを待っていたかのように少女の後に続く。
「……オレたちの部屋はもういいのかな」
「いいんじゃない? 何か探し物してるみたいだったし」
「前に泊まったとき忘れモンでもしたんじゃねーの」
そうかもしれない。どっちにしろ、これ以上詮索する理由はなかった。疲れをとって、早くアイリーンのもとへ向かわなければ。
**
「………ここだ」
ふらり、ふらりと誘われるように。足を踏み出し、周囲を見回す。しかし目にしなくとも、エリサにはわかった。
「ここに空音がある」
「クウオン?」
いつの間にか背後で控えるように立っていたヴィオレットが、疑問を口にした。けれど振り返りはせず、エリサは目を閉じて静かに神経を研ぎ澄ませる。
「―――あれだ!」
部屋の隅、オブジェのように飾られていたランタンを手に掴んだ。すると置物にしか見えなかったそれが、突然強い光を放ち――
パリンッ
音を立てて割れた。
「っ!」
明らかに自然の割れ方じゃない。ヴィオレットはすぐさま、ふらついたエリサを支える。
「あ……ありがとう」
「いえ。今何をなさったのですか? ただ手に取られただけのように見えましたが」
「えっと――」
「それにクウオンとは? このランタンのことですか? どういった意味が?」
矢継ぎ早な質問に、エリサはしどろもどろになる。けれどヴィオレットの真剣な表情に捉えられ、少しずつ落ち着きを取り戻していった。そしてようやく口を開くと――
「空音は――」
コンコン
「ヴィオラ!何か割れたような音がしたけど、大丈夫か?」
軽快なノック音と、扉の向こうから響くセドリックの声が、エリサのそれを遮った。
「問題ありません」
「そっか?ならいいんだけど……。今日は早めに休もう。早く追い付きたいんだ」
「……そうですね」
足音が遠ざかっていくと、彼女は再び口を開いた。しかし、内容は別のこと。
「何に追い付きたいんだ?」
「……彼らの友人です」
「ふうん……どこか行っちゃったのか?」
「それは――」
答えかけて、ヴィオレットは思い直した。彼らの探し人――アイリーンたちは、本当は王都ではなくこのティターナの街にいるはずだ。だからどうにかして彼らをこの街に留まらせてあげたいと思っていた。王都へ向かったと嘘をついた手前、言い出せずにいるのだが。
初めは疑っていたものの、一緒に旅を続ける内、彼らに裏で企むような狡猾さがないことを、ヴィオレットは感じ始めていた。彼らは純粋に、本気で、アイリーンを心配している。じゃなければ、"海の悪魔"を退治してまで追い付きたいなんて言い出さないだろう。
(……本当に倒してしまった)
まさに欠片の容赦もなく。彼らはトリノの人たちを困らせていた魔物を討伐してみせた。もちろんヴィオレットも手を貸したが、"海の悪魔"というだけあり水属性の魔術はあまり効果がなかった。セドリックたちがいなければ今頃海の藻屑となっていただろう。退治した証拠として奴の脚をトリノ港へ持ち帰ったときの、漁師たちの驚愕した顔は今でも忘れられない。謝礼を、宴会をと騒ぐ彼らに、セドリックたちが口を揃えて要求したのは『早く移動できる船』だった。一刻も早く、アイリーンに追い付きたいからと。
(……なぜ皇女はお一人なのでしょう)
ちらりとエリサを伺う。予想では、アイリーンたちはとっくに皇女と合流しているはずだった。一人だけで宿にいたという事実に驚きを隠せない。
(まさか、殿下たちの身になにか……?)
すぐにでも白い鷹を呼ばなければ――
「どうした? 何かあったのか?」
考え込んでいると、いつのまにかエリサの心配そうな顔が間近にあった。あまりの近さに顔を引きながら、まじまじとその表情を見つめてしまう。
この御方が、第一王位継承者。
「貴女は――いえ。お名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「あ!挨拶もまだだったな。アタシはエリサだ。よろしくな」
「……隠さないのですね」
指摘しても、きょとんと目を丸くしている。こんなに警戒心がなくていいのだろうか。こちらが少し黙っただけで本気で心配してくれたことも、疑いもせずたった一人で部屋までついてきたことも、ヴィオレットには理解できない行動だった。
「なぜ、エリサ様はここに?」
「えっと……ホントはお城に行こうとしたんだけど……友達に『一人じゃ危ない』って怒られたの思い出して。やっぱり誰かと一緒に行こうと思ったんだ。………これ以上、みんなに迷惑かけたくないから」
知らなければならない。いや、知りたいと思った。もっと皇女のことを。エリサ・ウィル・ローレンシアという少女の人柄を。
「宿に入るの、協力してくれてありがとう。アタシはこれで、「共に行きましょう」
気付けば口にしていた。驚いたように目を瞬かせる皇女に、ヴァイオレットはもう一度宣言する。
「王都へ向かうのでしたら、我々も共に行きます」
****