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65.そんな文化圏で育ってないのよ

 

「っ、ディーノ!」

「あはは、えーっと………おはよーさん?いやコンニチハ?こんばんはーかな?」


 ヘラヘラしながら頭をかく彼に駆け寄り、首から下をじろじろと凝視する。適当な挨拶には答えず、腹から胸にかけて巻かれた剥き出しの包帯をペタペタと触った。……ちゃんと傷口は塞がってる。


「お、お嬢ちゃん……?」


 戸惑ったような声も無視して、今度は身体に腕を回し、心臓の辺りに耳をつけた。ドクン、ドクン、と太鼓を叩くような、確かな音が聞こえる。


「動いてる……」

「ちょ……ッ」


 次第にドクドクドクとその音が早くなっていく。わたしはサッと顔を青くして彼を見上げた。


「やっぱりまだ安静にしてた方がいいわよっ!脈がどんどん早くなって――っ」

「こいつはガキこいつはガキこいつはガキ……」

「なっ、だッ、誰がガキよ!?」


 ディーノはいきなり片手で顔を覆い、呪文のように何度も唱え始める。思わず首を締め上げるように掴みかかろうとして、病み上がりだと思い直し、動きを止めた。中途半端に宙に浮いたわたしの手を、ディーノが気付いて優しく握りしめる。


「……アイリーンちゃん」


 いつになく真剣な声で、表情で。ディーノはわたしの手を柔らかく包み込んだまま、その場で片膝をついた。ってちょ!待て待て皇子!なにこの態勢は!?


「ありがとね」

「ど、どういた、し……まして」

「おかげでこれからも殿下を守れるよ。この命ある限り」

「わ、わかったから!もっと普通にしてよ。らしくないから」

「えー、この上なく俺らしくしてるのにー」

「いえ、そんなはずない。もっとチャラチャラと!ふざけたように!冗談9割みたいな顔で!!」

「キミん中の俺のイメージひどすぎない!?」


 皇子を跪かせるなんて、わたしの精神衛生上とてもよろしくない。いくらふざけていようと冗談ばかりだろうと、彼は間違いなくこの国の第一皇子なのだ。こんな街中でもし彼の正体を知る誰かに見られたらと思うと、生きた心地がしない。ディーノはちぇーっと唇を尖らせながら、立ち上がろうとしてくれる。その様子にホッと息をついた。


「……これが残りの1割なんだけどね」

「え?なにが1割?」

「なんでもないよ。小さなお姫さま」


 自分の言ったことも忘れるほどすっかり油断していたわたしの手の甲に、彼はちゅっと音を立て、唇を落とした。ギョッとして即座に手を引く。


「なっ、なな、な……っ」

「お。……こういうのは効くのか。羞恥の基準がイマイチわかんないね」


 ディーノはイタズラっぽい笑みを浮かべ、してやったりという顔をする。カッと顔に熱が集まり、わなわなと唇を震わせた。


「な、なにっ、なにすんのよ!」

「いや、なにって……手にキスしただけじゃん」

「だっ、『だけ』ですって!? 欧米じゃないんだから! わたしそんな文化圏で育ってないのよ!」

「はあ?……オーベイって誰だよ」


 気が動転して前世の知識を口走りなから、熱を持った右手の甲を胸に抱え込んだ。ディーノは「散々ひとの裸触っといて……」と膨れ面だったが、わたしは手と同じくらい熱くなった顔をどうにか冷ますのに必死で、それどころじゃない。


「こ、今後一切こういうおふざけは禁止だからッ!絶対だからね!」

「ははっ、なにその『初めてでしたー』みたいな反応」

「し、仕方ないでしょ!?初めてなんだから………」

「! え、オーベイさんがいるんでしょ?」


 誰だそいつは。なにか盛大な勘違いをしてるらしいディーノにブンブンと首を横に振る。


「なんだ………ふうん。『初めての男』って響きは悪くないね」


 ディーノは満足げにうんうんと頷いて、ちっとも反省の色を見せない。なにが『初めての男』よ!わたしのこといくつだと思ってんの!? 言っとくけど前世から数えたら恋人の一人や二人………いなかったな。わりと本気で初めてだった。なんか悔しい。


「も、もう!こんなことしてる場合じゃ――」


 思ったより元気そうなディーノに、エリサのことを話そうと口を開く。その直後、足元から振動と、覚えのある大きな音が近づいてきた。


 ゴゴゴゴゴゴ……


「おっ……と、地震か?」

「ち、違う。これ……また空音(クウオン)かも」


 ディーノはハッと目を見開いた。どうやら彼も知っているらしい。人為的空間術(エアーファクト)の研究をしてるオズバン魔術研究所は、国が管理する公共施設だから。ディーノだけじゃなく、おそらくエリサも知って―――


 ―――――ドォオオオーーーン


「っ、ひゃッ」

「おっと」


 突然、地面が縦に揺れる。バランスを崩して傾いたわたしを、ディーノが肩と腰に腕を回して支えてくれた。抱き締められるような態勢になるが、揺れが激しく身動きひとつできない。


「…………と、とまった?」

「………みたいだね」


 やがて音が静かになると、ようやく身を起こすことができた。礼を言って離れようとする。が、ディーノはわたしの肩や背中をしっかりと抱いたまま、なぜか身を固くしていた。どうかしたのかと首を傾げる。


「……アイリーンちゃんって、年はいくつ?」

「え? 十歳だけど」

「………まじか……あの子と一緒?」

「あの子って、エリサ? まぁ、そうなるわね」


 歳の割に可愛いげがないとでも言いたいのだろうか。反論できないので面白くない。


「なんで?」

「………いや……女の子だなー、って………」

「え?………!? ちょっ、まさか触っ……!」




「おーい誰かー!巫子を呼んできてくれ!怪我人だー!」


 遠くから聞こえた声に、わたしは反射的に顔を向けた。すぐに返事をし、するりとディーノの腕から抜け出す。


「行ってくる。……セクハラしたこと、忘れないからね」


 声が聞こえた方へ走り出した。振り返ったが、ディーノはその場で下を向いたまま自分の手をじっと見つめている。わたしの声が聞こえたかもわからない。


「………子どもでも、巫子、か」


 ぽつりと、呟いた彼の言葉も、わたしには届かなかった。






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