6.むずかしいから
******
アイリーンは一つ年下の優しい女の子だ。
初めて会ったのはいつだったか思い出せないけど、初めて話したのは、たぶんあの子がお父さんと一緒に教会にきていたときだ。年が近そうだったから友達になりたくて、オレが話しかけた。いつもお父さんとふたりでいるところも、オレと同じだと思った。おそろいが嬉しかった。
話してみると、アイリーンはいつもやさしかった。
オレがなにを言っても、なにをしても、いつも笑ってる。ウチにいるチビたちとはぜんぜんちがうので、それがおもしろかった。どっちがいいとか悪いとかじゃなく、こういうのをなんていうのかその時のオレはわからなかったけど、とにかくおもしろかったのだ。だから家に行って、なんども遊びにさそった。アイリーンはいつもにこにことむかえてくれたので、オレはかんぜんに友達になれたつもりでいたのだ。
「なぁ、アイリーンはなんでオレの名前よんでくれないの?」
ある日、ふと思った。そういえば名前、あんまり呼んでくれないなって。それが悲しいとかつらいとかってわけじゃなかったけど、ほんとに、とくになにも考えずに聞いてしまったのだ。
まさか、この先ずっとしこりのようにオレの胸にのこる、大きな衝撃が返るともしらないで。
「そういえばあなた、名前はなんていうの?」
ぐらりと世界がゆれたような気がした。
同じ部屋にいたアイリーンのお父さんは少しあわてていたようだったけど、オレはその場で固まってしまったのであまり覚えてない。かろうじて「セドリック」っていう名前は言えたと思うけど、あの後どうやって家に帰ったかすらわすれてしまった。
あの日からしばらくは、アイリーンの家に行かなくなった。けど、やっぱりすぐに会いたいなと思うようになったので、三日に一度くらいに遊びに行った。そのたびに自己紹介することをわすれないようにしていたら、ようやくアイリーンに「もうおぼえたから」と笑われたその日のことを、いまでも覚えている。なぜかはっきりと覚えてるのだ。
「仲良くはできるけど、『仲良し』にはなかなかなれない子なんだね」
一日にあったこと、遊んだことをいつものように父さんに話していると、アイリーンのことをそう言われたことがある。
「仲良しになれないの?なんで?」
「そうだね。理由はわからない」
「父さんでもわからないの?」
「父さんにもわからないことはいっぱいあるよ。いろんな人がいて、誰もがみんな難しいから」
そうか。アイリーンはむずかしいのか。
答えがわかったら、たとえその意味がわからなくても、わかったような気になることができた。それに何日も何回も一緒にあそんでいると、アイリーンがお父さんにはちょっと冷たくて、でもぜったいに嫌いじゃないこととか、アイリーンのお父さんもそれをちゃんとわかってることとか、いつも笑ってるアイリーンが怒るのはどんなことか、ちゃんと知ることができたから。アイリーンはむずかしいけど、でもやっぱり優しい女の子なのだ。
アイリーンの雰囲気が少し変わったのは、お父さんがどこかへ『お出かけ』してからだ。
笑うのが少なくなった。でも寂しそうというわけではなくて、前より表情がくるくるとよく変わるようになったのだ。大きな声を出したり、声が裏返ったり、静かになったり、考え込んだり。なんか大変そうだ。
でもアイリーンはむずかしいから。それにどんなアイリーンでもアイリーンであることには変わりない。オレたちはいつもどおり友達だから、いつもどおり仲良くしたい。できれば『仲良し』になりたいから。
うちに遊びにきたときに彼女と仲良くしてたハンスも、アイリーンのむずかしさに気付いたようだった。でも初めて会ったその日に名前を聞かれたのはすごいと思う。もしかしたらハンスならアイリーンと『仲良し』になれるかもしれない。それはきっとうれしいことだ。
「そういえば、いつ来てもアイリーンのお父さんはいないよね」
どこにいるの?
いつものように二人でアイリーンの家に遊びに来たとき、ハンスがそう言った。そのときようやく、それが「おかしい」ことだと気付いたオレは、顔を真っ青にしながら彼女の話を聞くことになる。
一度はちゃんと聞いたはずの話を、今度はちゃんと理解をしながら。
ひと区切りです。