59.マジで人の話聞けよ
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「なにシケた面してやがる」
バシンと音が鳴るほど、強く俺の頭を叩いたのはスヴェンだ。
「ッ、てえなッ!!何すんだスヴェン!!」
「腑抜けてねえで気合い入れろ、ライ。ったく図体ばっかデカくなりやがって」
「なっ、老けただけのスヴェンに言われたくねえよッ」
「ンだと!?」
店番をしてただけなのに、スヴェンは容赦なく俺の頭を押さえつけた。十以上年上の女からしか言い寄られないことも、実年齢より老けて見えることも、鋭い目付きと眉間のシワのせいだと本人は思ってるみたいだが。
(たぶんだけど、俺がいるからじゃね?)
見た目は全然似てない俺たちを親子だと勘違いする客が多いのだ。話し方を意識して真似してた時期があって、それが定着してしまったせいかもしれない。
(でも今さら変えらんねえし)
悪いとは思う。でも、スヴェンが女をつくるってのもあまり想像できない。だからまあ良しとしよう。
(―――女、か)
ふと、昔の出来事が頭を過った。薄れていく記憶の中で、いまだ鮮明に脳裏に焼き付いている人がいる。……彼女は今、どうしてるだろう。元気にしてるんだろうか。
「―――ライ。ちょっと仕事行ってこい」
「え、今から?」
「ああ。隣村までな」
「っ、えぇ!?」
突然何を言い出すのか。驚いて立ち上がる俺に、スヴェンは顔色を変えずフンと鼻をならした。
「内容は"客引き"。いいか、今日か少なくとも明日中にはアイツ連れてこい」
「あ、ああ、アイツ!? つ、つれ、連れてこいって……っ」
「何年もテメエのシケた面ァこっちはもう見飽きたんだよ。いい加減に男上げてこい」
「ど、どういう意味だッ!」
「男になれ、ライ。テメエならできる」
今まで聞いたこともない力強い励ましと共に、スヴェンはほとんど無理やり俺を店から追い出した。そして冗談みたいなセリフを残していく。
「俺はしばらく店をあける。……だがな、ライ。ひとつだけ約束しろ」
「は、はぁ??」
「俺のベッドだけは使うなよ」
「だッ、誰が使うか!!」
*
まさか本気で店をあけていくなんて思ってなかったけど、ベッドを貸したのは男だったので安心してほしい。
……一晩だけになっちまったけど。
「つまりアイリーンを一人で行かせたのか!?」
「だから違うんだってッ、もう一人連れがいんの!」
「ま、また誘拐ってこと!?」
「お前らマジで人の話聞けよ!?」
何回言やぁわかる。混乱する気持ちはわかるが………いやこっちだって混乱してんだよ!!!いくら急いでたってフツー夜中に抜け出すか!? なに考えてんだアイツ!!
書き置きがなかったら、ハンスの言うとおり間違いなく誘拐を疑うところだ。アイツ顔だけは……あんな感じだし。中身はともかく。
でも、どうやら違うらしい。あのデンカとかいううさんくせえ糸目野郎と一緒にどっか行っちまったみたいだ。どんだけ焦ってたのか知らねえけど、肝心の行き先が書いてない無意味なメモを残して。だから急いで捜しに行きてえのに、よりによってコイツらが来るなんて……ッ
「見ろってコレ!ほら!読め!声に出して!」
「……『急いでるみたいなので早く行くことになりました。セドリックとハンスによろしく。 アイリーン』」
「ほらな! 誘拐じゃねえ!」
書き置きをそのまま見せると、二人とも穴が開くほどそれを凝視し、やがて……ハアアァアと長く重苦しいため息をついた。ガックリと肩を落として項垂れる。
「アイリーンは僕らに何をよろしくするつもりなの……」
「わかんねえ。俺にはアイツが何考えてんのか全然わかんねぇよ」
「ライナルト……わかんなくていいから止めてくれよ」
無茶を言う。そもそもたとえ1日だろうとコイツらに黙って村を出るのはヤバいんじゃないかと忠告したのに、全く取り合わなかった女なのだ。何を根拠にあんな自信たっぷりに「大丈夫!」とか抜かしてたんだろう。全然大丈夫じゃねえ。
「とにかく俺は行く」
「オレも行くよ」
「僕も」
だろうな。二人とも予想通りの反応だったので、ぐるりと店内を見渡した。目にとまったのは最近仕入れたばかりのソードとロッド――片手剣と杖だ。それぞれ手に取って、二人に差し出す。
「くれるのか?」
「バァカ、貸すだけだ。後で返せよ」
「僕、杖は使わないんだけど」
「術の威力が上がるらしいから持っとけ。オマエ魔術師だろ」
ほとんど無理やり持たせて、そういえばと顔を上げる。目を向けるのは店の入口のすぐ近く。事の成り行きを見守るようにじっと立っていた、もう一人の同行者だ。
「……アンタはどうする」
「共に行きます」
「ふーん……わかった。杖でいいか?」
「いえ。私はできれば、」
そう言って近づいたのは、カザミドリで一番巨大かつ強大な、唯一の大鎌。自分の身長の二倍はあろうかという長さで、肩幅より大きい刃を持つそれを、女は易々と持ち上げてみせた。――なんとなく気付いてたけど、この女。ただ氷を飛ばしてくるだけの非力な魔術師じゃないらしい。
「少し試し斬りさせていただいても?」
「あ、ああ」
外に出て数十秒後、すぐに戻ってくる。わかりづらい表情が心なしか輝いているように見えた。……錯覚かもしれないけど。
「良い品です」
「ったりめーだろ、カザミドリの武器だ」
スヴェンが仕入れた獲物に間違いはない。氷女は気に入ったのか、それを定価で購入してくれると、満足げに背負って装備してくれた。……思ったより良い奴かも。
「ではみなさん参りましょう。港町のトリノから船が出ています。王都ガドラニアへはティターナ経由が最短です」
「待ってヴィオラ」
いよいよ行くかと足を一歩踏み出した瞬間、鋭く声を発したのはハンスだった。ゆっくりと振り返る。――って、あれ? この氷女、そんな名前だっけ? もっと長い名前だったような――、あ、俺みたいに省略されてんのかな。
「ちゃんと聞いておきたい。アイリーンは今、誰と一緒なの?」
ハンスの言葉に、セドリックも表情を固くした。そこで俺はようやく思い出す。
――待てよ。確か、糸目野郎も氷女も、"フランサマ"が悪者だってんで、調査してるんじゃなかったか? そして"フランサマ"っつーのはコイツらにとって……
『悪いヤツなら俺が斬る』
『セドリックの父親なのよ。簡単に言わないで』
「――それを聞いてどうするのです」
「アイリーンと一緒にいる人、危険な人じゃないよね」
「貴殿方のいた教会よりは安全だと思います」
「? なんで教会より――?」
「オイ、もういいだろ。さっさと行くぞ」
会話を遮った俺に、ハンスは不満そうな顔をし、セドリックは首を傾げた。俺は二人から顔を背ける。
「よくないよ。どんな相手が――」
「どんな奴かわかったとこで、なんか今できんのかよ。余計なこと考える暇あったらさっさと足動かして追いついた方がいい」
しばらく無言だったセドリックは、ハッと顔を上げる。ハンスも一応は理解したのか、口をつぐんで肩を上下させた。すげえ何か言いたそうな目だけど。
……べつに、フランサマのことは俺には関係ないし、どうでもいい。でも、一応コイツらに借りがある。アイリーンもコイツらには知られたくなさそうだったし。なら、無理に今知らなくてもいいんじゃねーの?
――なにより。
「それよりお前ら足ひっぱんなよ。……俺は今ムシャクシャしてんだ」
声を低くして。眉間に力を入れる。
あの二人を許したわけじゃねえ。俺を置いてったこと、後悔させてやる。
*
いくら意気込んでても、上手くいかないときってのは、だいたい何やっても上手くいかないもんだ。
「ティターナか、今朝の便なら間に合ったんだがなぁ」
アイリーンたちは王都へ向かったらしい。だったら港町トリノから船に乗ろうと意見を一致させた俺たちだったが、港で思わぬ足止めを食っていた。苦い顔をした男が頭をかきながら、俺たちの進路を塞ぐ。その理由は――
「船が出せないってことか?」
「ああ、"海の悪魔"が出たんだよ」
海に生息する巨大な魔物――通称"海の悪魔"。俺も見たことねえけど、脚の生えた魚のようなヤツらしい。こいつが海に現れたときは決まって一、二週間ほど船が欠航する。商業船から旅客船まで、沖に出た船を片っ端から襲うため、そうせざるを得ないのだ。
「チッ、ついてねえな」
「残念だったな。出直してきてくれや」
「大丈夫ですよ。僕そういうの信じてないし」
「いや、信じる信じないって話じゃねえ。怪談じゃねえんだからよ。"海の悪魔"っつーのは実際海に住んでる巨大生物で――」
「お金でしたら倍の額をお支払いします」
「いや金の問題じゃねえ。"海の悪魔"が――」
「じゃあ船だけ貸してくれよ、おじさん!」
「"海の悪魔"が出るっつってんだろ!?」
事のデカさを何もわかってねぇ連中が、トリノのオヤジを困らせてやがる。思わずため息が漏れた。
「仕方ねえ。別の方法探すぞ」
「では三倍の額を支払えばよいでしょうか」
「だから違うっつの!マジで人の話聞けよ!」
俺はコイツらに"海の悪魔"の話をした。近海から遠ざかるまで、いつ船を出せるかわからねえってことも含めて。トリノのオヤジもうんうんと頷きながら俺の説明を補足してくれる。曰く、"海の悪魔"はここ最近かなり頻繁に現れるようになった。そのせいでおちおち漁もできねえから町の連中も困ってるんだということだった。そりゃそうだろうなと納得する。
けど、俺たちだって急いでる身だ。ここでじっと待つって選択肢はコイツらも納得しねえだろう。俺も性に合わねえし。……陸から行くしかねえか?
「何悩んでるんだ、ライナルト?」
「ここにいたって仕方ねえだろ。船以外で行くっきゃねえ。陸路で王都なんざ行ったことねえけど……」
「? そんな遠回りしなくてもいいんじゃないか?」
「ア?」
頭を捻る俺にセドリックが首を傾げる。じゃあどうするってんだ。
「"海の悪魔"だっけ。倒してきてやるよ、おじさん」
だから船貸して!と。あっさり言い放った少年に、俺たちはポカンと口を開けて固まった。オヤジなんか顎が外れそうなほど驚いている。
"海の悪魔"を倒す、だって?
それは。そんな。そんなの…………
「……いいな、それ」
名案じゃねーか!
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