58.それで十分だから
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いつもより魔物が凶暴で、数自体も多い。気がつくと辺りは薄暗く、フィーネの村からそれほど遠くない場所なのに、オレたちは足止めを食らっていた。
「アイリーン、一人で行ったのかな」
襲いかかってくる鳥のような魔物を三体、同時に剣で一突きにしながら、気になっていたことを口にする。
「いえ、一人ではありません」
オレの独り言に返事をくれたのは、アイリーンの親戚だというヴィオラだ。彼女は手元から勢いよく水を放射すると、別方向にいた魔物を数体吹き飛ばした。水も勢いがあれば凶器になるみたいだ。まるで弓矢……いや、ボウガンってところか。
つい足を止めて感心していると、背後から巨大な気配を感じ、即座に地面を蹴りあげた。見ると、さっきまで自分がいた地面の砂がざっくりと抉れている。いつの間にか背後にいた巨大蟹が、その大きなハサミを振り下ろしたのだ。
「じゃあライナルトも一緒なんだね」
ハンスも同じことを考えていたらしい。感情の読めない声で呟いた直後、巨大蟹の足元から地面が沸々と煮え立ち、火柱となって奴を直撃した。まさか砂が燃えるなんて、何度見ても魔術ってすごい。
「油断しない、セドリック」
「悪い」
仰向けに倒れ無防備になったその魔物を腹から斬り裂く。やがて動かなくなったのを確認し、剣を鞘に収めた。
「ライナルトも剣持ってたよね。強いの?」
「………たぶん」
「セドリックより?」
「いや、それは――……」
昔手合わせしたときはオレが勝った。だから答えづらかったが、ヴィオラが何か言いたげな視線を向けてくる。
「なんだ?」
「……強さの定義によるかと。たとえば筋力のみ比較するのでしたら、ライナルト殿に軍配が上がるものと思います」
「あぁ、背高かったもんね」
「で、でも剣はオレが勝ったぞ」
「それでは定義が不明瞭です。敏捷性や器用さは上回っているのかもしれませんが」
「なんで『かもしれない』なんだ?」
「ライナルト殿の情報が不足していますので」
淡々と答えたヴィオラは一礼し、これ以上話すことはないというように背を向けてしまった。確かに、今のライナルトの強さは知らないけど。
「でも、ライナルトに守ってもらうのは僕たちが追い付くまでだね」
「ああ」
ハンスと顔を見合せ、頷き合う。とりあえず、アイリーンを守ってくれたらなんでもいい。同じく剣を扱う者としては負けたくないと思うが、今はそんな対抗心など些細なことだった。
すると、振り返ったヴィオラが再び口を開く。
「アイリーンは弱いのですか?」
「よ、弱くはない。ただオレたちと違って魔物を攻撃したりできないから」
「なぜ? 彼女が直接そう言ったのですか?」
「ちがうけど――」
「アイリーンは攻撃魔法なんて使う必要ないんだよ」
言い淀んでいると、ハンスが助け船を出してくれる。
「そういう血生臭いのは僕らがやるんだ」
「ああ……そうだ。アイリーンは傷を治してくれる。それで十分だから」
「…………なるほど。それはありがた迷惑な話ですね」
ヴィオラの淡々とした言葉に、息を飲んだ。ハンスも驚いたように目を丸くしている。
「光は確かに人の傷を癒しますが、闇を好む魔物にとっては脅威になり得ます。アイリーンが望めば、そういった魔術を修得することができる―――というより、すでに修得していると思います」
言われた内容は予想外のもので。
「現に彼女は村を出る際、魔物を遠ざける術を施していきました。ひとりでも十分に魔物と渡り合う力を得ている。貴殿方は善意という大義名分を掲げることで、アイリーンを信用していないのですね」
言葉を失い、何も言えなくなる。感情の読めないヴィオラの表情が、オレたちを責め立てているようだった。
考えたこともなかった。
森へ狩りに行くときも、用事で村の外に出るときも、アイリーンが一緒だったことはない。全部オレとハンスが力を合わせて魔物を倒し、お互いに修行相手になりながらここまできたのだ。アイリーンも素直に見送ってくれていたので、魔物と戦わないことに疑問を持ったこともなかった。
(オレたちが、アイリーンを信用してない……?)
――そんなこと、
「……どちらへ?」
「ミッドガフド」
「立ち寄る必要はないと思いますが」
方向を少し変え、歩き出す。ハンスはついてくる意思を見せたが、ヴィオラは不審そうに立ち止まった。
「武器屋に寄る」
「次の街で良いのでは?」
「いつアイリーンに追い付くかわかんないだろ。早いうちに武器を調達しときたい」
「お二人とも既に武器をお持ちですが」
「オレたちじゃない、アイリーンの」
振り返ると、ヴィオラは僅かに目を見張った。ハンスは神妙な面持ちで頷いてくれる。
「……信用してるに決まってる。昨日今日会ったばかりの貴女よりね」
思ったよりカチンときていたらしい。ハンスはヴィオラにそう言い放つと、口を真一文字に結び、ズンズンと大股で歩き出した。言い方はアレだが、オレも概ね同意なので、何も言わず、先頭を行く彼のあとを追いかける。直前に顔を見たヴィオラは、珍しく動揺したように唇を震わせていた。
「……………何が、気に障ったのでしょうか」
後ろでポツリと落とされた寂しげな声は、オレたちの耳に届くより前に、夜の闇に溶けて消えてしまった。