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46.変えてやる

 

「お姉さま、もう帰ってしまうの?」


 悲しげに瞳を潤ませるヒルデに、苦い笑みを返す。かなり好かれていることはわかっていたが、まるで初めて聞いたような反応には困る。今まで何度この話をしても「そんな先のこと聞きたくありませんっ」と顔を背けられてきたのに。


「近所だから」

「けどもうお姉さまの寝顔を見られないということでしょう?」

「すぐ会いにくるし」

「もうお姉さまと一緒にお風呂に入って背中の流し合いっこができないなんて……」

「……た、たまに泊まりにきたらいいじゃない。ね?」

「いいのですか!? ありがとうございます!」


 ころりと機嫌を直し、ヒルデはわたしに抱きついた。大人しくされるがままになる。


 なんだか惜しまれる理由が若干ヘビーな気がするけど、寂しいと思ってくれるのは素直に嬉しいと思った。もともとわたしが教会で寝泊まりすると決めたのも、拗ねる彼女を宥めるためだったから。ミッドガフドに行くとき、ヒルデが寝ている隙をついて出て行ったことを、彼女はずっと根に持っていたのだ。


「夕飯は一緒に食べるだろ? ベアカレー、アイリーンも好きだったよな」

「フラン様も喜ぶだろうしね」


「………ごめんなさい。しばらく家を空けていたし、そろそろ掃除もしなくちゃいけないから」


 わたしの返答に、セドリックとハンスは顔を見合わせる。急いでブレッドを口の中に押し込むと、ごちそうさまと手を合わせた。そのまま部屋を後にしようと、彼らに背を向ける。


「待ってくださいっ、ヒルデも行きます」


 ぴたりと腕に張り付く、なぜかわたしに懐いてくれた少女を連れながら。






「お姉さま、じつは、大事なお話があるのです」


 部屋を出てしばらくすると、ヒルデは深刻な顔でわたしを見上げ、声を小さくした。下を向いて考えごとをしていたわたしは、彼女の言葉に「どうしたの?」と生返事を返す。


「誰にも聞かれたくないのです。場所をかえてもいいですか?」

「え? ええ……」


 ヒルデに腕を引かれるまま、わたしたちは裏口から外に出た。そのまま歩き続けるので、わたしは眼前に広がるフィーネの森を懐かしい思いで眺める。ヒルデもそれに気付いて笑みを浮かべた。


「なつかしいですわね。昔、よくこの森で遊びました」

「……そんなに昔じゃないわ」

「そうでしょうか。もうずっと前のことのように思います。おにごっこも、かくれんぼも」


 言葉を止めたヒルデは、同時に足を止めた。わたしもつられて立ち止まる。


「あの時からずっと、お姉さまはヒルデのヒーローなんです」

「……大げさよ。わたしそんな大した人間じゃない」

「ヒルデを助けてくれたことは、たいしたことじゃなかったですか?」


 ハッとして口をつぐんだ。ヒルデはわかっていると言いたげに、嬉しそうに微笑んでくれる。


「ヒルデは、アイリーンお姉さまが大好きです」

「ヒルデ……」

「だから、ないしょの大事なお話。聞いてくれますか?」


 ようやくわたしの腕を放すと、ヒルデは向かい合うようにして、正面に身体を移動させた。なにか意を決したように、自分の両手をきつく握りしめているが、俯いていて表情はよく見えない。


「フラン様が、こわいんです」


「……え?」


 信じられない言葉が耳に届き、思わず聞き返した。しかし、彼女は顔を上げ、同じ内容を繰り返す。その強くまっすぐな目が、嘘を言っているようにはとても見えなかった。


「ヒルデは、フラン様が怖い。昔、お姉さまたちが隣町にいたころ、この教会に知らない女の人が訪ねてきたのです。とても暗い時間に、見たことのない人だったので怖くて。よく覚えています。裏口から入ろうとしたところを呼び止めたら、その人はヒルデの腕を掴もうとして、」

「ちょ、ちょっとまって」

「はい」

「なに? その話」

「昔にあったことですわ」

「……はじめて聞くわ」

「はじめて言いますから。……今思うと、夢だったような気がする。そんな話なのです」


 一旦口を閉ざすと、ヒルデは躊躇うように視線を泳がせた。わたしが否定的な反応をしてしまったせいかもしれない。慌てて続きを促すと、再びゆっくりと話し出す。


「ヒルデは、腕を掴まれる前に逃げましたわ。フラン様を呼びに行きました。不審者だと思ったから。……でも、まさか……殺されてしまうなんて」


 ひゅっと息を飲んだ。ザアッと風が木々を揺らす音だけが響き、朝の冷たい空気が肌をさす。


「フラン様に『絶対外に出たらダメだ』と言われました。でも、ヒルデは怖くて、一人でいたくなくて、フラン様と一緒にいたくて、……見に行ってしまったのです。そうしたら、」

「……殺されていた?」

「……女の人は血だらけになって倒れていました。フラン様が剣を手に、『いきなり襲いかかってきた』と言っていたので、おそらく」


 絶句した。まさか、そんなことがあったなんて。


「……もしかしたら、ただの夢だったかもしれないと、思っていました。あの後すぐフラン様は王都に行ってしまったから。……でも、帰ってくる、と聞いて、また怖くなってしまって。やっぱりあれは夢じゃなくて本当に……本当だったのではないかと……自分でもわからないのです。ごめんなさい、うまく話せなくて」


 その翌日、女の人が倒れていた場所を見ても、誰かがいた形跡はなくなっていたという。だからヒルデは余計に夢だと思った。

 名前はわからない、顔も見えなかった女の人という情報だけじゃ、無理もない。しかもフランは、育ての親。


 けど、わたしは――


「……怖い思いをしたのね」


 手を伸ばし、彼女の頭を撫でる。ヒルデははっとしたように瞳に涙を浮かべた。


「お姉さま……」

「誰にも言えなくて、辛かったでしょう。話してくれてありがとう。怖いことがあったら話していいのよ。どんなことでも」

「っ、はい……っ」


 正面から抱きつかれる。顎の下あたりにくる彼女の頭をまた撫でながら、反対の手で背中を支えた。

 父親のように慕っていた人物を、怖いと思うようになるなんて、どんなに辛いだろう。しかも周りは彼を慕う子どもたちばかり。誰にも言えない、頼れない状況で、彼女はずっと一人苦しんでいた。ただの夢だと思い込むことで、自分の心を守っていたのだ。


 こんな、わたしよりずっと幼くて、か弱い少女が。



(わたし…………バカだ)



 四年間、何をやってたんだろう。




 ずっと考えていた。

 わたしがこの世界で、できること。できたこと。……できなかったことを。


 変えられない未来があると知った。


 きっとフランは原作通り、国王陛下の信頼を得て戻ってくるだろう。そしておそらく、皇女に仇なす連中との足掛かりをつくってくる。わたしには、フランが王都に行くのを止められなかった。ついていくことも叶わなかった。未来は、変えられなかった。


 それでもまだ、変わるかもしれないと言い聞かせた。


 たった一度の失敗がなによ。ゲーム開始まで時間はある。わたしがそうあれと願って、考えて、行動することで、変わるものがあるかもしれない。変えられるかもしれない。フランが敵対しない未来に。ラスボスにならない未来に。だから絶対、諦めちゃダメなんだ。


 ……そう言い聞かせて、納得しようとした。『本当にそんなことできるのか』と囁き続ける、悪魔の声にずっと聞こえないふりをしながら。



(ほんと、バカだな)



 できる、できない、の話じゃなかったのに。

 




「………変えてやる」




 ―――やってやるわよ。たとえ力ずくでも。




 変わるかも、じゃない。こんなに幼い少女が傷つき、涙を流すような。そんなろくでもない未来なんか、




 ―――絶対に変えてみせる!






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