39.終わりかもな
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「俺たち終わりかもな」
絶望に満ちた呟きをするヤッカスの隣で、ダンは静かに目を伏せた。言いたいことはわかるが、敢えて言葉にしないでほしい。いっそのこと警備隊に捕まっていた方が楽だったんじゃないかと思えてくる。
「俺、ライの盾役だったんだけどさ。スザンナともう一人男がいて、あのセドリックってガキが男の方を相手にしてたんだよ。いや全然相手になってなかったんだけどよ」
「それはどっちがだ」
「男の方に決まってんだろ? あのガキめっちゃ強えーよ。ライより強えんじゃねえ? もうこの時点で怖えーんだけどよ。もっと怖え思いしたあの時の俺の話聞いてくれよ」
「イヤだ。聞きたくねえ」
「あのガキ、男の首に剣突きつけて、すっげー小声でこう言ったんだよ。『おじさんダメだって、動いたら刺さないといけなくなるだろ?』」
「聞きたくねえっつってんだろ」
「『あんまり傷つけたくないんだ。アイリーンと約束したから』」
「やめろ!聞きたくねえんだよ!」
声真似にぞわりとしながら、そのアイリーンを傷つけようとした俺はどうなる!?とすんでのところで喉から出かかって、慌てて飲み込んだ。それはこれから嫌でもわかることなので、あまり想像したくないのだ。
「なあ、順番は決まったのか?」
見合わせていた顔をハッと上げ、二人とも前を向く。大人の足で5歩ほど離れた前方に、巷で噂のめっちゃ強えーガキが、恐ろしい殺気と迫力で俺たちを見据えていた。
なんの順番かって?もちろん殴られる順番の話だ。
「「こいつで」」
二人でお互いを指さしながら、同じことを口にする。するとセドリックは刃を滑らせ、自然な流れで剣を鞘から抜き出した。
あれ?殴られるんじゃなかったっけ?俺殺されるの??
「セドリック」
「なあ、ハンス。この気持ちはなんなんだろう。オレ、アイリーンがこいつらのこと好きだってわかってるのに」
横からハンスが咎めるような声を出すが、セドリックは下を向いたまま一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。俺は足が地面に縫いつけられたように身動きひとつできなかった。おそらくヤッカスもだ。
「悲しんでほしくないのに。せっかく仲良くなってきたのに。でもオレ、」
剣先が地面を削りながら、ジリリリ……と音を立てる。大きく唸る鼓動が、オレのものかヤッカスのものかもわからないまま、喉をヒューヒューと鳴らし、ごくりと唾を飲んで、
ブンッと風のように薙いだ剣が、ヤッカスの髪を掠めた。
「……アイリーンは、お父さんがいなくなっても一度も泣かなかった」
それを横目に、口を半開きにしたまま、血の気のなくなった指を震わせる。――今すぐ逃げないと、死ぬ。と本気で思った。
「なのに泣かした。……なあ、なんでアイリーンはこいつらのこと好きなんだろう。泣かされたヤツのことなんか好きになるのか? なんか、腹の中がすっげーぐちゃぐちゃして気持ち悪い。この感じ、嫉妬に似てるんだけど……」
「嫉妬じゃないの?」
「うーん……やっぱり嫉妬なのかな?」
「この人たちのこと切りたいって思ってる?」
「うん」
「でも、切ったらアイリーンが悲しむね」
「そうなんだよな……だから切らない」
ハンスの言葉に同意すると、セドリックはようやく剣をおさめた。口から空気を吐き出して、初めて俺は今までずっと息を止めていたことに気付く。ヤッカスがちゃんと息をしているか心配したいが、今は自分のことで頭がいっぱいで気にかけることができなかった。
(とんでもねえ会話を平然としやがる……っ、リンが悲しまなかったら絶対切ってただろこれ!!)
行動の基準をあの少女に限定しすぎている。とんでもないガキを敵に回していたんだなと改めて理解し、流れるような仕草で膝をついた。額を地面にこすりつける。恥も外聞もあったもんじゃなく、ただ純粋に命が惜しかった。
「申し訳なかった!!!マジで反省してる!!殴って気が済むならいくらでも殴ってくれ!!」
「そうだ、ハンス。オレわかったんだけど、嫉妬するのはアイリーンが関係してるときだけみたいなんだ。なんでだろ? 嫉妬ってなんでするんだっけ? なんか前に言ってたよな?」
「あー……うーん………」
「ハンス?」
「……セドリック、それより殴らなくていいの?」
「あ、」
完全に謝罪を無視された後、後頭部をドカッと痛みを伴う衝撃が襲った。額がさらに地面にめり込む。隣でいつの間にか俺と同じ格好をしていたヤッカスも、ぐごっと奇声を発していた。
「よし!おわり!」
「よかったね」
「ああ! おじさんたち痛かったか? もう悪いことすんなよ!次はハンスの番だからな!」
「あー……ううん。ぼくは、やっぱりやめとくよ。殴っても終われないし」
顔を上げられないまま、聞こえてくる会話に理解が追い付かない。俺たちがなんの反応もできないでいるのに、なぜかセドリックだけがわかったような口ぶりで「そっか!」と返事をしていた。
「ハンスは優しいよなー!」
「そんなことないよ。ね、おじさんたち」
ハンスは俺たちの近くにしゃがみ込むと、穏やかな声色で囁いた。あれ?もしかしてこっちの少年は優しい?と思ったのか、ヤッカスが隣で顔を上げてしまったらしい。すぐにもう一度地面と仲良くなる音が聞こえた。バカだ。
ハンスは俺たちの耳元で、まるでセドリックに聞かせないように、そっと口を開いた。
「セドリックは許してくれてよかったね」
ゾク、と背筋に嫌な感触が走った。いや、全然よくない。だってこれはアレじゃねーか。「ぼくは絶対許さないよ」って宣言しているんだろう。
「アイリーンは、セドリックにとって大事な友達なんだ」
そんなことはもう十分すぎるほどにわかっていますすみませんでした。と言いかけたが、どうやら次に続けた内容が、彼の本題だったらしい。それまでよりトーンを低くして、声をさらに潜めて、俺たちに伝えたことは。
「だから余計なこと言わないでね。まだ友達だと思ってるみたいだから」
言葉もなく、コクコクと何度も頷いた。すると満足したのか、少年は立ち上がり、俺たちから離れていった。そのままセドリックと楽しげに会話をしながら、店の中に戻っていく。まるで俺たちの存在などすっかり忘れたように。
気配が遠ざかり、ようやく頭を上げた俺たちは、互いに顔を見合わせる。ヤッカスの顔はものの数分で一気に老け込んだ気がしたが、きっとヤツも同じことを俺に対して思っているだろう。ため息をつくことすらできず、俺たちは心をひとつにした。
――真面目に働いて、真面目に生きよう。
悪事は俺たちに向いていないと、今なら胸を張って言える気がした。