36.おかえりなさい
「ライナルトッ!」「ライッ!」
一斉に叫んだわたしたちの声に反応し、ライナルトはわずかに目を開けた。それだけで飛び上がりそうなほど嬉しかったのに、わたしは彼の手を握ったまま動くことができない。この手を離したら、また、行ってしまいそうで。
「っ、ここ、は……」
「店だ。帰ってきたぜ、ライ」
「ったくよ!心配させんじゃねーって!」
「よかったな!ライナルト、どこも痛くないか?」
「もうひとりで無茶したらダメだよ」
スヴェンは声を震わせながら落ち着いた様子を装い、ヤッカスはわざと明るい声を出して陰惨としていた空気を霧散させようとしている。セドリックとハンスは純粋に心配の声をかけ、ダンは声もなく片手で顔を押さえていた。皆それぞれ思い思いにライナルトを気にかける中、わたしは笑顔を作る。
「……おかえりなさい、ライナルト」
「あ、え……?」
「もう、これっきりにしてほしいわ。ほんとに、こんな、無茶を、ほんと、心配……っ」
あ、ダメだった。
ぼろぼろと、瞳から熱い雫が零れ落ちる。いまだに両手はライナルトの手から離れないので、拭うことも、隠すことも出来ない。ひとつやふたつじゃない視線を感じながら、わたしは嗚咽を漏らし、小さい子どもみたいに泣いてしまった。ライナルトの手をぎゅっと握り、温かい熱を感じられるとさらに涙が溢れてきて、とまらなくなる。
体中の水分が出てしまったんじゃないかと思うほど、ひとしきり泣いたわたしは、ばつの悪い気持ちでようやくライナルトの手を離した。途中何度か誰かに頭を撫でられたような気がしたけど、もちろん確認する余裕はなかった。気持ちを落ち着かせるため、しゃくりあげながら目を擦る。
(お、思った以上に恥ずかしいわ……。子どもって涙腺が弱いのよ!絶対そう!!)
間違いなくそうなのだが、ライナルトの無事を喜ぶべき場面でわたしだけが号泣してしまったことに、頭を抱えたくなる。恥ずかしい。いたたまれない。このまま逃げ出したい。あ、これ名案!逃げよう!
「アイリーン」
あ、ダメか。ダメよね、やっぱり。
くるりと背中を向けようとしたわたしを呼び、服の裾を掴んだのはライナルトだった。
「心配、かけたな。……ごめん」
「……一番心配してたのはスヴェンさんだからね」
「きて、くれて……助かった」
「助けたのはヤッカスだけどね」
「……すんげえ素直じゃねーの」
「ほっといてよ!」
「ただいま」
怒った顔を向ければ、何かを吹っ切ったような、晴れやかな笑みを返される。最初にわたしが言った言葉の返事だと、しばらくして気付いた。……こんなタイミングで言うなんてズルい。
「ッ、ばっ、泣くなよ!」
「泣いてないわよ…っ!」
「いやどう見ても泣いて――ッ、いっつ!!」
「ライ、女を泣かすな」
「っなにすんだスヴェン! 俺は怪我人だぞ!?」
「そんだけ元気なら大丈夫だ」
額を押さえながらガバリと起き上がったライナルトを、スヴェンが鼻で笑う。デコピンをしただけのようだが、わたしもライナルトと同意見だ。おそらく頭を打って今まで気絶していたのだろうし、衝撃はあまりよくない。というかわたしももう泣いてないし。ちょっと涙ぐんだだけだ。
「……ねぇ、スザンナはどうなったの?」
いろいろ言いたかったけど、家族二人の微笑ましい小競り合いに割り込むのは気が引けたので、わたしはヤッカスに尋ねた。が、彼はなぜか複雑そうな顔をすると、頬をかいて視線を逸らす。
「ライが心配だったから……。男の方はとりあえず町のゴロツキってことで警備隊に引き渡して、……スザンナは、」
「オレが逃がした」
横から言葉を挟んできたのはセドリックだ。わたしが驚いた顔を向けると、彼は事も無げに「もう悪いことしないって約束したし」と続ける。
「スヴェンの店にも、ミッドガフドにももう近づかないって」
「だ、だからってそんな簡単に、」
「スヴェンの店を売ったお金でアイツの家を買ったんだよな? だったらもう、払うお金も貰うお金もないし」
いいかなって。と、軽く言ってのけるセドリックから、思わずスヴェンに目を向ける。もしセドリックが勝手に逃がしたのだとしたら、ちっともよくない。当事者は彼らなのに。
しかし、ライナルトと戯れていたスヴェンはわたしの視線に気付くと、ハッと一笑に付した。
「別にかまわねーよ。俺たちもかなり乱暴なことしたしな。お互い様ってこった」
「で、でも、」
「ライが帰ってきた。店も続けられそうだ。十分じゃねーか。……世話になったな、お前ら」
髪を掻き上げながら、照れくさそうに顔を逸らしたスヴェンに、ダンとヤッカスが声を上げて笑った。大股で近づいていき、スヴェンの肩や頭に手を乗せる。スヴェンは嫌そうにしていたが、それすらも楽しいらしく、ダンもヤッカスも機嫌良く白い歯を見せていた。初めてスヴェンが年相応に見えた気がして、思わずわたしも頬が緩んだ。
「よかったね、アイリーン」
「ええ……二人とも、ありがとう」
「アイリーンはあいつらのこと好きなんだな」
「……まあまあね」
「じゃあ、殴っちゃダメか?」
拳をつくって残念そうに首を傾げるセドリックに、ヒク、と頬を引きつらせた。
ハンス同様、その怒りを沈めるのは何よりも難しいらしい。