34.省略しないで
スヴェンは男とスザンナをそれぞれ縄で縛り、完全に動けなくさせると、素早くわたしに目配せした。それにこくりと頷いて、倒れたままのライナルトに数秒目を向ける。――心配だけど、彼の治療はみんなに任せて、わたしは町に戻るべきだろう。
「それじゃ、ライナルトをお願い。わたしはダンのとこに」
「ああ、頼む」
「ハンス、狼煙を!」
「もうあげてる!急ごう!」
外に出てハンスと合流し、わたしたちは走った。向かう先は、ミッドガフドの中央広場だ。
この町の住人じゃないスザンナは、町の中心から少し離れた山の中に別荘を建て、そこに居を構えていた。周囲に民家がないのは幸いだった。スザンナたちにあれだけ警備隊の存在をちらつかせておきながら、実はわたしたちも警備隊に見つかるわけにはいかなかったのだ。理由は、ライナルト救出のため多少手荒なことをする予定だったというのがひとつ。もうひとつは、ダンたちがスザンナから契約書を奪ったという、歴とした前科があったことだ。後々裁かれる分には結構だが、今はライナルトの救出を優先したい。ということで、一時的に警備隊の目を背ける餌が必要だった。
「なんか町、すごい静かじゃない!? 捕まってないわよね、ダン!」
「正直あんなヤツ捕まればいいと思ってるけど、ぼくが殴るまでは待っててほしいな」
隣で怖いことを言うハンスの言葉には気付かないフリをして――いや、できないけど、とりあえず今はダンと待ち合わせをした中央広場に急いだ。わたしを誘拐する場面を多くの人に目撃されているダンならば、大通りを歩くだけで警備隊に通報されるはず。というか、されなきゃ困る。そのための餌なんだから。追いかけてくる警備隊をできるだけスザンナの別荘から引き離すこと。それがダンに頼んだ役割だ。
そしてわたしは、被害者にならなければならない。攫われた女の子は無事だと、この身をもって証明するためにここにいるのだ。
「いた!」
鋭く声を発したハンスの視線の先をたどる。中央広場――ちょうどセドリックとライナルトが戦っていた辺りだ。そこに複数の警備員に取り囲まれ、今にも手を縄で縛られようとしているダンがいた。
「待って!待ってください!」
全力で走り、肩で息を切らしながら、わたしはダンのもとに駆けよろうとする。たどり着くまでに、他の警備の人に止められてしまったけど、わたしは叫び続けた。
「なんだこの子は」
「お嬢ちゃん、危ないからあっちに行きなさい」
「やめて!その人を捕まえないで!」
「あれ、あの子……」
「そうだ、この前ソイツに捕まった子だ」
「警備員さん、その子だよ!誘拐された女の子!無事だったのか」
必死に声を張り上げていると、周りにいる野次馬たちの中で現場を見ていた人たちが、わたしのことに気付いてくれた。なのにダンは、必死で呼びかけているわたしの声を無視するどころか、こちらを見ようともしない。ひどく落ち着いた顔をして。まるで、何か覚悟を決めたような――。
「ッ、待ってよ!!冗談じゃないわ!!」
「アイリーン」
ハンスが心配そうに声をかけてくれるが、わたしの顔は一瞬で真っ青になった。
まさか、捕まろうとしているの。本気で。確かに悪いことだったけど、一発くらいぶん殴ってやりたいけど、でも、
あんたが今捕まったら、ライナルトになんて説明すんのよ!!!
「――勝手に捕まんないでよ!!パパ!!」
ダンはようやくハッと顔を上げた。視線をこちらに向け、驚いたように目を見開いている。彼だけでなく、周りにいるほぼ全員の視線が、わたしに集まっているのがわかった。もちろん、近くにいるハンスもだ。
……やっぱり無理があった? ぜんっぜん似てないし。かろうじて共通点は茶色系統の髪色ってことくらいだ。……でも、年齢的には大丈夫、のはず。ダンの年なんて知らないけど。でも、うん。これで押し通そう。
「パパ、わたしお腹すいたー!早くおうち帰りたい!誘拐ごっこつまんないよ!」
「なっ、な……っ」
「は!? 親子だったのか!?」
「誘拐ごっこ……?」
「なんだ人騒がせな」
「え、あれ遊びだったのか? にしてはリアルな――」
「本物の誘拐じゃなかったのね」
口々に感想を並べ、安心したように去って行く者、興味を失ったように立ち去る者、まだ疑わしいと言いたげにダンを睨み付ける者、さまざまいたが、重要なのは今にもダンをお縄にかけようとしている警備隊のみなさんたちがどう判断してくれるかだ。わたしはダメ押しとばかりに、よりいっそう親子アピールを続けた。
「パパー、わたし、遊んでくれる妹か弟がほしいなー!パパったら犯人役しかしてくれないんだもん!もっといろんなおままごとしたいのにー」
「アンタ……娘となにで遊んでるんだ」
「ち、ッ、違う!俺は――!」
「ねえパパ!パパったら早く!こっちに来てよパパ!パパ!!」
「ッ、やめろ!!連呼すんな!!!」
しばらくすると、ダンはようやく警備隊の人たちから解放された。もちろん厳重注意を受けていたけど、それ以上のお咎めはないようだ。どこかげっそりした顔でわたしたちの元に戻ってくると、何か言いたげに口を開いて、結局はなにも言わずため息をついた。言いたいことはわかるので、あとでいくらでも怒られてあげようと思う。
「で、どうなった。ライは」
気を取り直したように尋ねるダンへ、わたしはライナルトを助けたこと、無事にスザンナをギャフンと言わせたことなどを簡単に伝えた。そして予定通り、目立たないよう少し時間をおいてから、武器屋カザミドリへ向かうことにした。
スヴェンやヤッカスが、スザンナたちの処遇をどうするのかはわからなかったが、そこは実害を受けた彼らに任せることにする。特にライナルトは怪我をしたようだったし――、
そこでふと、ずっと気になっていた疑問を投げかけたくなった。ダンとヤッカスは、本当にスヴェンたちのためだけに身体を張って協力してくれたのだろうか、ということだ。
もちろん、この期に及んで彼らを疑っているわけじゃない。スヴェンともライナルトととも親しい様子だったし、友人たちのために何かしたいと思っての行動に間違いはないだろう。ただ、他にも理由があるのなら知りたいと思った。ちょっとした好奇心だ。
「……俺たちも、店やってたのさ。大通りに面したとこで。今は宝飾屋になってるが、あそこは前、書店だったんだ。俺とヤッカスが経営してた」
「そう、だったの」
「ライの話聞いたら、どうしてもほっとけなくてよ。あの女の被害者はライたちだけじゃねえ。人知れずアンタらに感謝する連中が大勢出てくると思うぜ」
俺もそのひとりだ、と。到底そう思っているようには聞こえない口ぶりで、ダンは前を向いたまま教えてくれた。
そういえば彼らに軟禁されそうになった部屋に、書物が数冊置いてあったことを思い出す。もしかしたらあれはもともと売り物だったのかもしれない。あの部屋以外にまともな部屋がない、と言っていたのも、他の部屋には山ほどの本を保管していたからか。
――そこまで予想して、なにも言えなかった。もしスザンナを捕まえても、彼らが元の場所で書店を再開することはきっと難しい。今は宝飾屋になっているお店を買い戻すというなら話は別だが……宝飾は、装備品として冒険者や、裕福な家庭の婦人たちにも重宝される一方、書物は、学校もないミッドガフドでどれだけの人に必要とされるだろう。
「……ティターナの街って知ってる?」
「は?」
「あそこは学問街だから、本の需要もここより多いかも。巫子座もあるし」
「……ハッ。余計な気ィ回すな、ガキ」
言葉の通り、ダンは何も気にしてないような言い方で、わたしの頭をグシャグシャとかきまぜた。なにすんのよ!と抗議しても、にやにやとした卑しい笑みを崩さない。……心配して損した。
「だいたい『ガキ、ガキ』ってね。わたしはアイリーンよ。いいかげん名前くらい覚えたらどうなの」
「長ぇ。リンでいいか」
「省略しないで!別人になっちゃうでしょ!?」
文句を言ってもダンは何処吹く風で、またわたしの頭に手を伸ばした。ヤッカスにはいつの間にか『お嬢』なんて呼ばれているし、本当に彼らはどうしようもない。書店の経営なんてまともにできたのだろうか。勝手に本のタイトルを変えたり省略したりしてそうだ。
「………おじさん。そろそろやめないと、殴る回数が一発増えちゃうよ?」
ピタリ、と。それまでずっとわたしの横でニコニコしていたハンスが口を開いた瞬間、ダンは動きを止めた。
そういえば、そんな問題も残っていたなと、他人事のように思い出した。