31.敵陣へ
ライナルトを呼ぶスヴェンの声がする。何度も。何度も。何度も――
一瞬で目が覚めたわたしはガバッと上体を起こし、ベッドから飛び降りた。……なにか様子がおかしい。
ドタドタと家の中を走るスヴェンを捕まえると、朝のあいさつもなく、彼は一言。そのたった一言でわたしは、足下から地面が崩れていくような錯覚を覚えた。
「ライがいなくなった」
――なんで。
「チッ、あのバカ、一人で行きやがったかもしれねえ……」
「……ダンたちのとこ、でしょ……?」
「だと良いが……クソッ、悪い予感がしやがる」
スヴェンの顔はよく見ると真っ青で、考えすぎだと笑い飛ばすことができなかった。指先が震える。瞬きひとつできない。全身が心臓になったみたいだ。なんで。どうして。なんで。
「……女の居場所なんて知らないはずよ」
「いや……知ってる。知ってるんだ、アイツは」
自分の言葉が信じられないというように、スヴェンは徐々に声を失っていく。
「契約書にサインしたのはライだ。……スザンナについていって、」
「スザンナ?」
「土地を売った」
初めて聞く人の名に疑問を口にするより早く、スヴェンの回答を聞いて、わたしは走り出した。慌てたようなスヴェンの声が追いかけてくる。
「オイ待て!スザンナがどこにいるか知ってんのか!?」
「ッ、知らないわよ!」
「じゃあどこに行くってんだ!」
どこにって、そんなの! そんなの――。
店の入り口近くまで来て、外に一歩踏み出す前に足を止めた。
――どこにも行けない。女がいる場所なんて知らない。
なのに。わたしは昨日、彼になんて言った?
『まあほっといても向こうから会いに来ると思うけどね』
「おい、大丈夫か」
「……ごめんなさい」
「なんでおまえが謝ってんだよ」
「……わたしが、言ったから。昨日。ライナルトが一番、恐れてることを。だからきっと、あの子、」
下を向いて、グッと奥歯を噛み締める。言葉もなく後悔しているわたしに、後ろからスヴェンが近づいたのがわかった。俯き、肩を強ばらせる。彼の大切な家族を今にも危険にさらしているわたしは、怒鳴られるか非難されるのが当たり前だ。謝っても許されることではない。
……なのにスヴェンは、わたしの頭を意外なほど優しく撫でた。
「……やめてよそれ」
「ア?」
「なんで責めてくれないの」
「知るか」
「わたしが悪いのに」
「俺が昨日、アイツに発破をかけちまったんだよ」
「……なんでそんな、落ち着いてるの」
「そりゃ俺の方が年上だからだ」
「ライナルト……」
「おい聞けよ」
スヴェンはわざとふざけたように振る舞い、わたしを励まそうとしてくれる。ジクリと胸が痛んだ。
彼の方がずっと心配してるはずなのに。たった一人の家族なのに。
わたしが、慰められてどうする。
わたしには、落ち込んでる暇はない。
わたしは、落ち込む資格なんてない。
ないでしょ。
パンッと両手で自分の頬を叩いた。驚いたのか、スヴェンの手が離れていく。
「……手がかりがほしい。スザンナの」
「つっても、どこにいるかは俺も知らねえ」
「……ダンたちは? 知ってる可能性あるんじゃ――」
そこでハッと思い出した。勢いよく顔を上げ、スヴェンを振り返る。
「ヤッカスが知ってる!」
「はっ? ヤッカス?」
「スザンナが家でどう過ごしてるか知ってるみたいだったわ!」
早く行かなきゃ!と息巻くわたしは、スヴェンにホッとしたような顔で見つめられていることには気付かず、セドリックとハンスを起こすため一目散に店の奥に戻った。置いていったらさすがに怒るだろうな、と思い至れるくらいには、冷静さを取り戻していた。
四人で向かった先は、誘拐犯たちの家だ。
「よ、よォ……」
「いらっしゃい……」
「なぁ、もう殴っていいのか?」
「だめだよ。ライナルトがいるか確かめてからじゃないと」
あ、そっか!そうだよーははは、と。笑い合うセドリックとハンスは、ちょっと怖い。スヴェンはなぜか我関せずといった様子だが、ダンとヤッカスはわたし以上に頬を引きつらせていた。気持ちはわかる。
セドリックだけでなくあの穏やかなハンスまで怒りを隠そうとしないのだ。あっさり捕まって無用な心配をかけたわたしも一緒に怒られているみたいで、非常にいたたまれなかった。
どうして、ミッドガフドに来る前に、もっとレベル上げをして、魔術を覚えておかなかったのか。今になって後悔するばかりだ。わたしがもっと強くて、ある程度自分の身は自分で守れるようになっていればよかった。そうしたら誘拐されることも、スヴェンが襲われることも、ライナルトが一人飛び出してしまうこともなかっただろう。いろいろなことが今よりずっと上手くいったはず。やり直せるものならやり直したい。ロード地点はフィーネの村を出る直前がいい。
――でも、それはできないから。
「おい、ライは来てねえか」
「あ? 来てねえよ」
「……やっぱな。おいヤッカス、てめえスザンナの居場所がどこか知ってんのか」
「え?知ってるけど……おい、スヴェンまさか、」
「ダン、ヤッカス。契約書の複製なんだけど。悪いけど、今から言う内容にちょっと中身を変えてほしいのよ。一枚でいいから」
一斉に視線を下げてくれる彼らの顔をのぞき込んだ。ダンとヤッカスがゆっくりと頷いたのを確認して、わたしは目を伏せ、大きく息を吸い込む。
人生は一度きり。セーブもロードもできないから、いつでも精一杯考えて、前に進むしかない。
「――セドリック、ハンス。この二人を殴るのは後にして、わたしに協力してくれない?」
「……わかった」
「……アイリーンがそう言うなら」
不満そうだが、頷いてくれたことに感謝する。続けた言葉で、今度はダンとヤッカスに問いかけた。
「今からやりたいことは何個ある? ライナルトの救出と、土地売買契約の破棄。それから、」
「……あの女をこの町から追い出す」
「……二度と悪さできねえように、思い知らせる」
促すと、初めの宣言を思い出すように口にする二人に、満足して笑みを返した。
さあ、いざ。
「行くわよみんな!敵陣へ!」