29.実はすごく優しいわよね
「やっぱダンとヤッカスの仕業か」
上衣を脱いで背中の治療を受けながら、スヴェンは舌を打った。治療をするのはわたしだけど、まだ小回復魔法のヒールを覚えてないので傷薬を使っている。
そういえば魔術って、どのタイミングで『覚えた』って本人にわかるのかしら? ゲームでは戦闘が終わり一定の経験値が入れば自動で覚えるから、生身になると途端に勝手がわからなくなる。今度時間があるときにハンスに聞いてみよう。
ハンスとセドリックはわたしと少し話して、いろいろな勘違いを理解した現在、反省のため店内の武器を手入れ中だ。その間はライナルトに彼らへの詳しい事情説明を任せ、わたしは店の奥でスヴェンと話をすることにした。ライナルトはかなり難色を示したが、じゃあスヴェンに全部説明できるのかと尋ねれば、気まずそうに顔を曇らせる。最終的に引き受けてくれたのは、セドリックたちへの説明の方だった。その反応から、ひとつの疑惑を確信に変えた後、わたしはスヴェンにすべて事情を話し終えた。
「あの二人はカザミドリとどういう関係なの?」
「まったく関係ねぇ」
「そう……じゃあスヴェンさんかライナルトと関係あるのね」
背中の傷といっても少し赤くなっているだけだ。きちんと治療をすれば数日で消えそうな傷だったので、思わずホッとした。脱ぐのを渋ったスヴェンから無理やり服を剥ぎ取った甲斐があった。
「――よし、できたわ」
「……」
「どうしたの? まだどこか痛いの?」
「……俺やライと関係あったから、アイツらはこの店を守ろうとしたって言いてえのか」
「え? そうでしょ?」
むしろそうとしか考えられないのだが、スヴェンは何かを考え込むように黙りこくってしまった。わたしはあの二人が――ダンとヤッカスが、自分のためじゃなく大切な誰かのために、必死に考え、行動したことについて、素直にすごいと思ったし、尊敬できる部分だと思った。だから今でも憎めないと思うのだ。やり方は褒められたものではなかったけど。
「――あ、別にわたしの誘拐のことを責めてるわけじゃないわよ。あれはどう考えてもダンが悪いし。店は関係ないわ」
「……チッ、わぁってるよ。頼んでねえってんだ。勝手なことばっかしやがって」
スヴェンは顔を逸らし嫌そうに吐き捨てた。……これ、照れ隠しなの? にしてはわかりづらい。もう少し素直になった方が生きやすいと思う。
「お礼くらい言ってあげてね。ちゃんと土地売買契約書は手に入れたのよ、あの二人」
「それが勝手なことだっつってんだ。もしくは余計なことだ。俺はもうこの店をたたむって決めてんだからな」
数秒間。言われた言葉の意味を考えて、すぐに目を丸くした。「えぇ!?」と驚きの声も漏れる。スヴェンは動揺した様子もなく、淡々と服を着直しているが、わたしは彼が服のボタンを留めようとする前に詰めよってしまう。
「ど……どうして!」
「もともと潮時だったんだ。たいして繁盛もしてなかったしな。こんな土地でも売れりゃあ少しは金になる。万々歳じゃねーか」
一瞬、自棄になっているのかと思ったけど、スヴェンは終始落ち着いていた。身体ごと顔をこちらに向けても、そこにあるのは真剣な表情だ。濃い灰色の瞳は力強く、迷いなど一切感じられない。
「安心しろ。もうしばらくは続けっから。テメーらが満足する程度の給金くらい払ってやるよ」
「適当なこと、言わないでよ……ライナルトはどうするの」
「この土地じゃなくてもどこだって暮らせるだろ。適当な場所に移り住むさ。そこでまた店始めたっていい」
「ライナルトはこのお店を守ろうとしてるのに」
「頼んでねえ。こんな店、身体張ってまで守る必要はねえ」
「それはライナルトが土地を売る契約を交わしたから?」
「……声がでけえよ、ガキ」
顔を近づけてすごまれ、慌てて口元を押さえた。店の方を見て誰も戻ってこないことを確認すると、スヴェンは小さくため息をついた。聞いたのか、とだけ聞かれ、わたしは黙って首を横に振った。そうじゃないかと思っただけだ。初めて話をしてくれたライナルトが、あまりに悔しそうに、悲しそうに声を震わせていたから。
「……たいしたことじゃねえ。場所なんてどこに変わってもやり直せんだろ」
「……そう、ね」
「だから気に病む必要なんざねぇっつってンのに、あのバカが」
「スヴェンさんって、実はすごく優しいわよね」
意図せずポツリとこぼれた言葉に、スヴェンは数秒間硬直した。が、やがて盛大に顔をしかめてわたしを睨み付ける。「ハァア!?」という音声付きで。でもよく見ると耳が赤くて、年相応にかわいいところもあるのね、と思ってしまった。……怒りで、かもしれないけど。
「なるほどねぇ……。わかったわ、スヴェンさんの方の気持ちは。わかったけど、わたしはやっぱりライナルトに手を貸すことにする」
「ァア!?」
「もちろんスヴェンさんがその話をして、ライナルトの気が変わったらそれに従うわよ。でもその様子じゃどうせ素直に伝えてないんでしょ? 『店のことは気にしなくて良いから、二人で新しい場所でイチから始めよう』って」
「ッ、言ったに決まってんだろ! それでもアイツが納得しねえから――」
「あ、そうなの? ならますますライナルトの味方になりたいわ。あの子はカザミドリが大好きなのよ。『うちの武器屋が一番だ』ってセドリックと喧嘩するくらい。なのにあなたに『気にしなくて良い』なんて言われたら逆に傷つくでしょ」
わたしの言葉が意外だったのか、スヴェンは虚を突かれたように目を丸くした。彼にしてみれば、ライナルトを大切に思うからこそ出た言葉で、傷つけてしまうなんて夢にも思わなかったのだろう。けど、わたしは聞いたのだ。
『スヴェンが何考えてんのか、わかんねえんだよ』
そう言ったライナルトの目は、とても悲しそうで、とても傷ついていたように見えた。
「新しい場所に行ってもこの店のことがずっと忘れられないし、スヴェンさんへの負い目にもなると思う。お店はどこでも始められるかもしれないけど、自分のせいで手放すことになったって事実は、新しい場所だろうとどこだろうと消えないのよ。罪悪感も」
スヴェンがライナルトを大切に思うように、ライナルトもまた、スヴェンを大切に思っている。二人がこの店でどれだけの時を過ごしたかはわからないけど、『気にしなくて良い』なんて一言で、『家族』も『思い出の場所』もすべて切り捨てられるほど、ライナルトはまだ大人じゃないだろう。
「スヴェンさんもまだ若いんだから、慣れない気なんて遣わないで思いっきり喧嘩すればよかったのに。子どもみたいに。無理してライナルトの親になろうとしなくていいじゃない」
「――は、」
「子どもは親がいなくても意外と育つから。そばに大好きな人がいれば」
スヴェンは今度こそ言葉を失ったように、ポカンと口を開けて固まってしまった。しばらく黙ったまま見つめ合うような状態になる。どうしたのかな?と疑問に思いつつも、そういえば、と視線をおろし、彼の全身を確認した。着替えの途中で邪魔をしてしまったので上着が開いており、肌色が見えたままだった。申し訳ないなと手を伸ばし、ボタンをとめてあげようとする……が、その手を取られて。
「え?」
「……いい。自分でやる」
「あ、ごめんなさい」
「……おまえ、とんでもねぇな」
「え??」
「番犬が二匹もついたワケだ」
「な、なに? 番犬? 犬なんて飼ってないわよ」
そんな金銭的余裕あったら働かないわ、と言いながら、意味のわからないことを言い始めたスヴェンに首を傾げた。すると、くくっ…と聞き覚えのない音が耳に届く。
なんだろう、と辺りをキョロキョロしていると、突然目の前の男の肩が震え出した。え、と思い前を向くと、スヴェンが声を出して、
笑い始めた。
「……!?」
「ぶっはッ! かっはッ、くくっ、ふはっ」
「なっ、あ、頭!!頭が!打ったのね!?あの子たちがまさか!?」
「ちっげーよ!ったく、頭おかしい女だな、くくっ」
あんたに言われたくないわよ!と言おうとしたら、なぜか頭を思い切りわしづかみにされ、わしゃわしゃと髪を混ぜられた。何が彼のツボにハマったのかまったくわからないまま、わたしは、スヴェンもちゃんと人の子だったんだな、と失礼なことを考えることで、彼の堪えきれず吹き出したといった笑いを耐えることにした。