28.犬や猫じゃないんだから
「セドリック!ハンス!」
ライナルトに続き、転がるようにして店に飛び込む。と同時に、目に飛び込んできた光景に卒倒しそうになった。
「~~ッ、なっ、なにしてんの」
「スヴェン!」
ライナルトが駆けだしていく。うつ伏せに地を這うスヴェンと、その背に足で体重を乗せるセドリックのもとに。セドリックは信じられないという顔でポカンと口を開けたまま、わたしと目が合っても身動きひとつしない。
「アイリーン……?」
「っ、セドリック!その足をどけなさい!」
ハンスの呆然とした呼びかけでハッと我に返り、声を張り上げた。もはや命令である。セドリックは思わずといった早さでスヴェンから足を離した。ライナルトが助け起こそうとして、スヴェンに辞退されている。それでも、苦しそうな表情で床に手をつき、立ち上がろうとしている彼を見て耐えきれず駆け寄ろうとした。
「スヴェンさんっ」
「いや、おまえはこっち来んな。まずそっちだ」
なのに、ライナルトにすげなく断られた。なんでよ。
でも、ライナルトが指さした方もわかる。とりあえずスヴェンのことは後で気にかけるとして、わたしは改めて彼らに向き直った。まず近い方にいたセドリックに声をかけようとして、
「セ「アイリーン」
肩口に顔を埋め、抱きしめられる。セドリックの柔らかい髪が頬に当たる。彼の方が背が高いので、口元が肩に押しつぶされて言葉を続けられなかった。
「本物だよな?」
コクリと頷く。
「怪我はしてないか」
もう一度頷いた。
「よかった……っ」
震える声に、心配かけてごめんなさい、と言いたくて。せめて顔だけでも離そうとしたが、ますますギュッと強い力で腕の中に閉じ込められた。正直苦しい、と思ったけど咎められなかったのは、背中にある彼の手が震えているのがわかったからだ。わたしもゆっくりと彼の背に腕を回す。安心させるように何度かさすっても、セドリックの震えは止まらなかった。
(最悪なタイミングで攫われちゃったものね……)
あのときはちょうど、珍しく落ち込んでいて、メンタルが弱っていた。わたしはラスボスに関する迂闊なことを言わずにすんで良かったけど、彼らはたった今まで気が気じゃなかっただろう。確かちょっとだけ泣いちゃったような気もするし――……う、思い出すとかなり恥ずかしいわ。見られてなかったらいいんだけど。
「セドリック、交代」
しばらくそうしていると、俯いたハンスが近くまで来ていたことに気付く。交代?と思ったら、ハンスはセドリックの肩に手をかけ、セドリックは名残惜しそうにしながらもゆっくりと身体を離してくれた。できた隙間に自分の身体をねじ込むようにして、ハンスが至近距離に立つ。片方はわたしの手を握り、片方はわたしの頬を優しすぎるくらい丁寧に撫でた。ようやく顔を上げてくれたハンスの言葉は。
「もう泣いてない?」
……かすかな希望もむなしく、ばっちり見られてたらしい。
「…………できればアレは忘れてほしいわ」
「忘れないよ」
わたしより少し低いはずの身長が、いまは同じくらいか、それ以上に見える。いつの間に、こんなに逞しくなったんだろう。頬を撫でるハンスの手が温かく、子どものそれとは思えないほど大きく感じた。
「もう泣かせたくないから」
「……言われなくても、もう泣かない」
「守れなくてごめんね」
「そんなこと。わたし、守られたいわけじゃないもの」
「それでも、ぼくも守りたいんだ」
わたしの可愛くない返事にも臆さず、ハンスは優しく、力強く笑ってくれた。まっすぐに見つめられると、曇りの無い目がまぶしい。ここは感動して涙ぐむ場面なのかもしれないけど、パチパチと目を瞬くわたしは、口をパカンと開けて呆けていた。
……だれ? この、絵本に出てくる王子様みたいなことを言う子は。世の女の子全員が一度は夢見るような、完璧王子様が目の前にいる。ちょっと将来が心配になるレベルで優しすぎるのでは? もうちょっと他人の悪意に触れた方がいいんじゃないだろうか。
なんて夢のないことを考えていたせいか、一歩引いていたセドリックが、突然わたしとハンスの肩を持ってベリッと引きはがした。え?なんで急に? 驚いて目を向けるが、彼自身も驚いたように自分の手を凝視している。ハンスだけは何か気付いたような苦笑いを浮かべ、肩をすくめていた。……仲間はずれみたいにされたのが寂しかったのかしら。セドリックにしては珍しく少々乱暴な手つきだった。
ちゃんと仲間だと思ってるわ、という気持ちを込めて、片方ずつ二人の手を取った。
「ふたりとも、心配かけてごめんね」
「……うん」
「無事でよかったよ」
「ありがとう、助けようとしてくれて。二人にはもっといろいろ話したいことがあるんだけど、とりあえず、一番大事なことから言っていい?」
「え?」
「うん?」
「スヴェンさんに謝りなさい」
二人は思い出したように、慌ててスヴェンのもとへ走って行った。いつのまにかカウンターの奥に腰掛けてこちらを観察していたスヴェンは、頬を引きつらせながら彼らの謝罪を受け取っている。てっきり怒り狂うだろうと思っていたので少し意外だ――とか考えてたら、スヴェンは怒りを思い出してきたのか、徐々に眉間に深い皺を刻み始め、しまいには二人の頭に巨大な拳を落としていた。ある意味安心した。
「本当にごめんなさい、スヴェンさん……」
「いや―……いや。まったくだ。テメーはもう絶対にコイツらから離れんな」
「はい……」
「ったく、手綱を握ってることを自覚しやがれ」
「手綱って……犬や猫じゃないんだから」
場を和ませようとしたのか、スヴェンは意外にも軽い冗談を口にした。が、その凶悪面ではおもしろくても笑っていいのかわからなくて、苦笑するだけになってしまう。スヴェンが苛ついたように「そんなかわいいモンじゃねえ」と続けている横で、ライナルトはゾッとしたように肩をふるわせていた。スヴェンの冗談がそんなに珍しかったのね、と少し同情してしまった。