26.急がないと
「しゅうげき……!? カザミドリが……誘拐犯……!?」
「ライナルト、あとで説明するから」
わたしは混乱する彼を一旦置いて、ダンの前に立つ。彼もまた意味がわからないというように、床を拳で殴り付けた。
「ざけんなッ、俺は確かに顔を見られたが、カザミドリで働いてたわけじゃねえぞ!?」
「あら、そうなのね。でも関係ないわ。疑われるのはカザミドリしかない」
「なんでだ!? なんのために俺たちが――」
「『なんで』? じゃあわたしも聞くけど、どうしてダンたちはわざわざあの時間帯にあの鞄を奪ったの?」
「調べたから。あの女は目当ての店をちゃんと奪い切るまで、大事な契約書を手放さねえ。あの時間、あの瞬間に、……奪うしかなかった」
隣で呆然としたように床の一点を見つめていたヤッカスが、横から口を開いた。
「こっそり盗む、なんてのは無理だったのさ。厳重に鍵をかけた家の中でさえあの鞄を持って動く。夜は絶対外に出ねえで、家で過ごす。……万が一にも盗まれないように、徹底的に管理してたから」
わたしの言いたいことがわかってきたのか、徐々に顔色を悪くしていく。頭が悪そう、なんてとんだ思い違いをしていた。ブレーンはダンの方だと思っていたが、どうやら彼の方だったらしい。
「……それほど大事に保管していたものを奪われたのよ。犯人は誰なのか、あの女性ならすぐ決め打つんじゃない?たとえ証拠がなくても」
『契約書を奪われた』という事実がある。女にとってはそれだけで十分だ。
「そしてわたしの友達は、二人揃ってとっても優しくて賢い子たちなの。おそらく、まずは被害者の女の人に声をかけるのよ。『犯人に心当たりはありませんか』って」
瞬間、意味を理解したダンもサッと顔を青くした。ライナルトだけは俯いたまま表情が見えないが、わたしは指をひとつずつ立て、彼らに意見を求めた。
「今からやることは何個ある?カザミドリへの襲撃阻止と、土地売買契約の破棄。それから?」
「あの女をこの町から追い出す!」
「二度と悪さできねえように思い知らせる!」
「いきなり難易度高いわね……全滅しても知らないわよ」
軽口を叩きながらも、これはゲームじゃないと知っている。一か八か、やるかやられるかだ。――だったら、やるしかない。覚悟を決めよう、と四本に立てた指をたたみ、拳を作ったそのとき。
「あと、アンタを無事に返す」
手をパーの形にして、ダンが静かに答えた。思わず目を開く。視界の端で、ライナルトがびくりと肩を震わせたのが見えた。
「巻き込んで、………悪かった」
「……そういうのは、全部終わってから聞いてあげる」
ダンとヤッカスが下げた頭を両手でグシャグシャとかき混ぜた。しばらくして手を離しても、すぐには顔を上げようとしない。
――やっぱり、憎めないのよね。
彼らに背を向け、わたしはもうひとりの当事者の元へ向かった。手を差し出すと、彼はようやくゆっくりとだが顔を上げる。
「ライナルト、一緒に行きましょう」
「……どこに」
「スヴェンさんのとこ。急がないと」
行きながら説明するから。そう言うとライナルトは、わたしの手を借りず立ち上がった。その表情は苦しげで、口元を引き結び、感情が溢れないよう懸命に堪えているようにも見える。
なにか声をかけようとして、なにを言えば良いのかわからず、口を閉じた。そのかわりに彼の手をぎゅっと握り、入り口に向かいながら背中越しに振り返る。
「……わたしはライナルトとカザミドリに行くから、二人はその契約書を、」
「破って捨てりゃいいんだな」
「それは最後。まずは大量生産して。そっくりにね」
ぱちぱち、と目を瞬く。説明したかったが、時間が惜しかったので「また戻ってくるから!」とだけ言い残し、家を出た。
ライナルトに道を聞きながら、全力で走る。彼の方が足が速く、わたしは引っ張られていたけど、なにも考えなくて良い分、事情を説明しやすかった。
わたしたちの会話からある程度は予想がついていたのか、ライナルトはそれほど驚かず、たまに相づちをうちながら静かに聞き終えた。細かい部分は省略したけど、大筋は伝わったはずだ。わたしを人質に鞄を奪ったことを話しているあたりでは、しっかりと握った手がかすかに震えていた。