25.冗談じゃないわ
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「クソッ」
滅多に聞かない声音で吐き出されたそれを咎めるつもりはなく、ハンスはセドリックの腕を掴んだ。このままでは考えなしに飛び出していくだろうことが目に見えていたからだ。気持ちは、痛いほどわかるが。
「離せッ!」
「ダメだセドリック!馬で逃げた!足で追いかけても――」
「じゃあここで黙って見てろって言うのか!?」
噛みつかれそうなほどの勢いで睨まれ、一瞬だけ口を閉じた。しかし、今この胸に沸く激しさは、なにも彼だけのものじゃない。
なにもできなかった。ほんのわずかな時間、そばを離れただけで。こんなに簡単に。失った。あんな顔を、させてしまった。
――セドリックの考えていることが手に取るようにわかった。
「――やみくもに捜したって、黙って見てるのと同じじゃないか!周りを見てよ、こんなに目撃者がいる。だれか一人くらいあの男を知ってるはずだ。そこを当たった方がぜったい早い」
「けど――ッ」
「怒ってるのがキミだけだなんて思うな!」
声を震わせながら、一度目を伏せ、すぐに開く。
「ぼくだって同じだ」
途端、だらんと腕の力が抜けた。わずかに目を見張ったセドリックが、抵抗をやめる。数秒、視線を合わせ、やがて、はぁ、と息が吐き出された。どちらのものかわからない。二人とも肩で息をしていた。
「……ごめん、ハンス」
「……ううん。行こう、セドリック」
同時に振り返り、歩き出す。一連の出来事に戸惑いを隠さない大衆のもとへ。ある程度騒いだので事情を知らず集まってきた者たちもいるだろうが、初めから見ていた者たちだっているはずだ。証拠に、二人で向かえばハッとしたように気遣わしげな視線を向けてくる人が何人かいた。
そんな中、セドリックとハンスが真っ先に向かったのは、鞄を盗まれ未だしゃがみ込んだままの女性のところだ。当事者だから、という安直な理由だった。
「おばさん、あいつらのことなんだけど――」
セドリックが切り出そうとした言葉は、しかし、目の前の女性の甲高い声に遮られた。
「ちょっとッ、あんたたち!なんで、なんであいつらに私の鞄を渡したのよ!!勝手なことをして!あの中には大事なものが――っ!アレが入って――ッ、そうよ、あいつらだわ!あいつらがやったのよッ!」
どうして。なんてことを。あいつらよ。絶対に。その後もぶつぶつと呟く女性の言葉は止むことがない。突然、堰を切ったように話し出した女性の姿には誰もが目を丸くした。状況がわからなかった者も、周りの雰囲気や耳打ちで薄々と事態を把握し始めている。そんな中で、女性の醜態は衆目を集めた。ある者は眉をひそめ、ある者は呆気にとられ、ある者は嫌悪する。子どもがひとり攫われたんだぞ、と苦言を呈してくれる者もいた。
もちろんセドリックとハンスも同じ思いだったが、それよりも聞き捨てならない発言にすぐさまハッと顔を見合わせた。女の両肩を掴み、揺さぶる。
「おばさん、オレたちの友達が――」
「そんなに大事なモノなら取り返してくるよ」
セドリックの言葉を、ハンスが遮った。跪き、女性と目線を合わせる。
女は瞳に暗い色を宿している。しかし、ハンスは優しく、ここぞとばかりに尋ねた。今もっとも知りたいことを知っている、最高の手がかりに。
「だから『あいつら』のこと、教えてくれる?」
***
「売ったのね……カザミドリの土地を」
「売ってない!奪われたんだ!」
即座にわたしの言葉を訂正したライナルトは、悔しそうに歯を鳴らす。ダンとヤッカスはそんな彼を痛ましげに見下ろしていた。
ようやく、事の全容が見えてきた。おそらく他にも『奪われた』店はあるのだろうが、彼らは――ライナルトは取り戻したかったのだ。自分の店を。武器屋カザミドリを。
『よそモンじゃねーか』
『どっかから来て町を荒らすだけ荒らして帰りやがる』
『うぜえったらねえ』
どうりであれほど、『よそモン』を嫌悪していたはずだ。
そして、なんとなくだが気付いたこともあり、思わず目を伏せた。今、彼にそれを確かめるつもりはないけれど。
――だとしても。
「騙されたと言いたいの?」
「そうだッ、だってまさかこんなことにー」
「だとしてもあなたたちの行為が正当化されるわけじゃない」
「え……?」
「確かにその契約はだまし討ちのように交わされたのかもしれない。店を奪われたと感じてるのも事実なんでしょう。……でも、じゃああなたたちも奪い返してよかったって言うの?」
「奪い返した……?」
「ッ、仕方ねーだろ!」
「これしか方法がなかったんだ…ッ!」
怪訝な顔をするライナルトを庇うように、ダンとヤッカスが叫んだ。敵意すら感じる鋭さで睨まれるが、わたしはまっすぐに彼らを見返した。そうすれば、先に視線を逸らすのは彼らの方だ。
だって、二人とも知っていたのだ。当事者であるライナルトに隠さなければならないほど、最悪な、間違った行動だと。それでも仕方ないと言い聞かせ、これしかないと決めつけて、選んでしまった。
「――まったく、冗談じゃないわ」
「……どういうことだ? おいダン、ヤッカス、」
ライナルトはいよいよ顔を強ばらせた。答えようとしない二人に、そのまま重たい沈黙が流れようとする。本当に、なんでこんなことをしたんだろう。黙っていても事態は変わらないし、それどころか悪化するばかりだ。――今は一刻も早く、行動しなければならないのに。
たしかに彼らは最悪で、間違ったことをしたけど、
取り返しのつかないことは、まだしてないのだから。
「せっかく良い稼ぎ口が見つかったのに。このまま奪われるなんて冗談じゃないってのよ」
でも、時間はない。お説教は全部終わってからだ。
わたしは立ち上がり、不安げに瞳を揺らす彼らを見回した。わたしのような子どもの戯れ言にも耳を傾け、希望を見出したいのだと、硬い表情が語っている。
「先に言っとくけど、わたし別に頭はよくないから。今から言うのは事実に基づいたただの推測よ」
「あ、ああ」
「このままじゃセドリックとハンスが――わたしの優秀な友人たちが、」
「カザミドリを襲撃する。
――わたしを攫った誘拐犯として」